太田述正コラム#0394(2004.6.28)
<終焉に向かうアルカーイダ(その6)>

 (本篇は、コラム#390の続きです。なお、コラム#393に関し、毎日新聞の電子版が健在(http://www.mainichi-msn.co.jp)であるとの指摘がありました。訂正させていただきます。)

 以上がアルカーイダの攻勢期だとすれば、2001年の9.11の同時多発テロ以降は守勢期です。
(以下、全般的にhttp://www.guardian.co.uk/alqaida/story/0,12469,1243343,00.html(6月20日アクセス)を参考にした)。

<全般>
2001年10月7日に米国がアフガニスタン攻撃を開始してからというもの、アルカーイダ(アルカーイダ系のテロ組織を含む。以下同じ)はアフガニスタンでの基地群を奪われ、多数の幹部を失い、大打撃を受けます(コラム#193)。このためアルカーイダは、米軍が侵攻したアフガニスタン(隣国のパキスタンを含む)とイラク(隣国のサウディとトルコを含む)、特に後者での米軍等への「反撃」だけで基本的に精一杯となって現在に至っています。

それ以外の地域では成功したテロは、わずかにモロッコで一件、インドネシアで一件、スペインで一件の計三件であり、しかも、そのターゲットはソフトターゲットであって、一番目は一般市民、二番目は外国人観光客、三番目は一般市民という体たらくです(注7)。

(注7)昨年の5月11日にモロッコのカサブランカで五カ所で同時に自爆テロを行い、自爆犯13名のほか、大部分がモロッコの一般市民であるところの29名の死亡者を出した(http://www.cnn.com/2003/fyi/news/05/18/terrorism/。6月29日アクセス)。
また、同じ年の10月12日にインドネシアのバリ島の二軒のナイトクラブで自爆テロを行い、202名の死亡者を出した。更に、今年の5月11日にはスペインのマドリードで、複数の通勤列車に仕掛けられた爆弾を同時に爆発させ、190名の死亡者を出した。モロッコとインドネシアはイスラム国であり、スペインにはモロッコ系等のイスラム教徒が多数住んでいる。この三国では、上記事件以外にはアルカーイダによるめぼしいテロ事件は起こっていない。
    他方この間、アルカーイダの「主敵」である米国に対しては、2001年12月22日に、靴底に爆弾を仕掛けたテロリストがアメリカン・エアラインズの旅客機に乗り込もうとして逮捕された事件以来、めぼしいテロ未遂事件すら起こっていない。
     (以上、http://www.cbc.ca/news/background/osamabinladen/alqaeda_timeline.html(6月27日アクセス)による。)

 それでは、米軍が侵攻したイラク(及びその周辺)という「主戦場」におけるアルカーイダの「反撃」ぶりを見てみましょう。

<サウディ>
 最初にイラクの隣国の一つ、サウディです。
 めぼしいテロ活動を列挙してみましょう。
 2003年5月12日:首都リヤドの欧米人居住区に自爆テロ。35名殺害。うち米国人10名、サウディ市民7名。
 11月8日:リヤドの高級居住区(欧米人居住区と誤解?)に自爆テロ。11名殺害。
 2004年4月21日:リヤドのサウディ官公庁ビルに自爆テロ。5名殺害。
 5月1日:紅海沿いのヤンブ(Yanbu)の欧米系石油会社を銃を持ったテロリスト達が襲い、6名以上殺害。
 5月29日:東部のコバール(Khobar)でサウディ系石油会社の職員居住区を銃を持ったテロリスト達が襲い、外国人等16名殺害。
(以上、http://www.freerepublic.com/focus/f-news/1144653/posts(6月29日アクセス)による。)

 画期的だったのは、今年の6月の中旬、サウディの過激派イスラム教指導者二名(しばしばサウディ政府に投獄された経験あり)が、アルカーイダによるサウディ市民並びにサウディ在住欧米人等に対するテロ攻撃を非難する声明を出したことです。
 これはサウディでも、かつてのエジプトやアルジェリアでイスラム原理主義テロリスト達がたどった道と同じ道をアルカーイダ系テロリスト達がたどりつつあることを示しています。
 イスラム原理主義テロリスト達がたどった道とは、特定のイスラム国における一般市民の間での不満(どの国にも見られる)を背景に、一般市民の暗黙の支援の下、国内のハードターゲット(国家指導者または当該国所在の欧米官署もしくは欧米軍)へのテロが行われるのが第一幕、このテロリスト組織が当該国の政府によって徹底的に弾圧され、指導者が殺され、組織がばらばらになることで、ハードターゲットが狙えなくなり、テロの対象がソフトターゲット(当該国所在の欧米人または一般市民)に移行するのが第二幕、これによってテロリスト達が一般市民から敵視されるようになり、テロ活動が一挙に衰退に向かうのが第三幕、というものです。
これになぞらえれば、サウディではアルカーイダのテロ活動は、1996年6月のダーランでコバール・タワー・ビル爆破事件で米軍がターゲットにされた(コラム#390)のが第一幕であり、9.11同時多発テロ以降は第二幕、そして現在は第三幕入りしつつある、と見ることができます。
今にして思えば、6月中旬の拉致米国人Paul Johnsonの首切り殺害(6月18日死体発見。http://209.157.64.200/focus/f-news/1156493/posts(6月27日アクセス))は、第二幕の「クライマックス」でした。今やサウディでは、テロリストに関する情報の9割が一般市民から寄せられるに至っているといいます。

<トルコ>
 アルカーイダは、2003年11月20日にイスタンブールの英総領事館と英国の銀行(HSBC)、及び二カ所のシナゴーグに自爆テロを行い、60名以上の死亡者を出しました(http://www.cnn.com/2004/WORLD/europe/03/10/turkey.explosion/http://www.cnn.com/2004/WORLD/meast/06/24/turkey.blast/http://www.here-now.org/shows/2003/11/20031120_1.asp(いずれも6月27日アクセス)が、それ以降、おおむねテロ活動は抑え込まれており、6月25日に爆弾を携行していた女性の爆弾がバスで移動中に誤って爆発し、この女性を含む4名の死亡者が出た事件が目立つ程度です。
 トルコでは、政府の治安対策が確立しているため、アルカーイダのテロ活動は、最初から第二幕であり、今年に入ってからは第三幕の様相を呈していると言えそうです。

(続く)