太田述正コラム#8489(2016.7.16)
<2016.7.16東京オフ会次第>(2016.10.30公開)
1 始めに
 退院後、朝起きた時に血圧を測定することにしているのですが、上が100前後というのが通例で、111が1回、119が1回だったところ、今朝は143もあり、オフ会の日だというだけで、興奮状態になっている自分にちょっと引きました。
 どうせ血圧が高くなっているのなら、と、一念発起して、半年ぶりくらいに、(汗だくになりながら、)玄関から入口の階段にかけて、散水し、モップで泥を掻きだした上で、これはいつも東京オフ会の時にやっているのですが、自動掃除機による2階の掃除、と、1階の玄関を上がった所と階段の拭き掃除、を行いま
した。
 肝心のオフ会ですが、14:00過ぎに(私を除いて)8人全員が集合し、「講演」を始めました。
 (なお、今回、大森駅からバスを利用して出席した読者がいたのですが、オフ会幹事に対し、次回から、西馬込駅からの道順だけでなく、こちらの道順も、出席予定者に教えるよう依頼しておきました。
 川崎、横浜方面から来られる読者には、こちらの道順の方が絶対お奨めです。)
2 オフ会でのやりとり
 Oは私です。順不同。
A:太田さんのヒットラーや毛沢東や法王庁に対する評価が180度変わってきている。
 太田さんの言うことを鵜呑みせず、自分なりの判断基準を持たなければならないと最近思うようになった。
O:忸怩たるものがあるが、基本的には、かつてはイギリス人による評価の受け売りだったのが、その後、独自の見解に達したということだ。
B:普通、日本の学者達は、自分の説を維持し、その説を固めて行くことに腐心するものだが、太田さんの場合、自分の説を変えていくことを躊躇しないのには感心する。
 年齢を考えれば、驚嘆に値する、と言ってもよかろう。
O:私の場合、防衛庁に入ったらそこはしっちゃかめっちゃかだったし、防衛庁から米国を眺めていると、ひどい国にしか見えなかったところ、一体全体、そんな国におんぶにだっこでいいのか、等々、強い実存的問題意識を抱くに至った。
 そこで、どうすればよいかを考え始め、その解答を得るためには、まず、日本とは何か、米国とは何か、等を解明しなければならない、と思うようになった。
 爾来、この問題意識は、一貫して変わらないので、それ以外のことについては柔軟たりうる、ということだと思う。
 他方、戦後の日本の学者の大部分は、実存的問題意識など全く持ち合せていないのではないか。
 口幅ったいが、そこが、私は、彼らと決定的に違うような気がする。 
C:太田さんの場合、変わったと言えば、アングロサクソン文明に対する評価も変わったのではないか。
O:確かに、『アーロン収容所』にコメントしたシリーズを書いている頃は、日本文明に比べてアングロサクソン文明の方を若干ながらも上に見ていたけれど、現在では、習ちゃんの「後押し」にも力を得て、日本文明の方が上だと見るに至っている。
 日本とイギリスは、どちらも、大陸の近傍の島国・・イギリスの方は欧州に属するスコットランドとは地続きだが・・であって、二元性を持つ点でも同じだ。
 しかし、イギリスは、個人主義と人間主義・・より正確には人間主義的性・・の二元性であるのに対し、日本は、弥生性と人間主義(縄文性)の二元性であって、イギリスの場合、個人主義の部分が(日本文明に対して相対的にというだけのことだが)、私に言わせれば、弱点なのだ。
D:今、『人間の学としての倫理学』を読んでいるのだが、個人主義、全体主義を止揚したものが人間主義である、という趣旨の記述があった。
O:そのくだりは忘れてしまっているが、「「日本型」経済体制論」の記述ぶり・・市場や固い組織に対するに日本型「組織」、という記述ぶり・・は、今にして思えば、和辻のその本の影響を強く受けていた、ということを改めて感じる。