太田述正コラム#8854(2017.1.15)
<皆さんとディスカッション(続x3223)>
<太田>(ツイッターより)
 <昨>日のオフ会は、私を除き9名が参加。毛沢東もほぼ解明し尽くしちゃった今、日本に関わる事柄で私にぜひ解明して欲しい、残されたものがあったら挙げて欲しい、と尋ねたところ、韓国、という声だけでおしまい。
他にないとなると、早晩、「講演」ネタがなくなっちゃって私も用済みになるんだけど・・。
<KT>
 オフ会お疲れ様でした。
 次回の4月8日(土)です。よろしくお願いします。(飲み屋の席で決まりました)
 太田さん、「善の研究」を持ち帰ってしまいました。
 次回、全部読んで持っていきます。すみません。
<komuro>
 <昨>日(1/14)は、太田家で行われた東京オフ会に参加しました。
 少し早く到着したのでテーブルの上をウェットティッシュで拭いたりして、講演までの時間を過ごしました。
 テーブルが少し埃ぽかったのが、一人暮らしの悲哀を感じました。
⇒昨年、退院直後の7月の頭に渡洋二郎君(コラム#8755)が初めて拙宅にやってきた時、「きれいにしてるね、我が家よりよっぽどきれいだ」、と言われたのを思い出し、吹き出しちゃいました。
 こんな単純なことで、印象が180度異なることがあるのですから、いわんや、歴史解釈においてをやってことですよね。
 今回の件については、komuroさんが座ったテーブルの箇所・・だけとは言いません・・が特に埃りっぽかったからであり、それは、いただいたkomuroスピーカーをいつも置いている場所なので、その周りはテーブルとしては使っておらず、乾いたティッシュで時々テーブルの上を拭いてはいるのだけれど、スピーカー周りは結果的に放置した状態になってしまっていたからでしょう。
 今後、気を付けます。
 (オフ会の時は、komuroスピーカーが邪魔なので、いつも下に誰かに下してもらっているのですが、今回はkomuroさんに下していただいたようで・・。)(太田)
 その参加者の方が大きな扇子で米長ポーズをとったので将棋の話題を振ると、案の定将棋が高段者の方でした。
 中京地区から来たそうで、先日中学生でプロになった藤井四段の歓迎会にも参加したとの事。
 数年前に行われた「詰将棋解答選手権」に一般部門で参加したら、藤井少年がすぐ側にいて、物凄い速度で詰将棋を解いていた事を話されていました。
 この間藤井九段の件で妙な発信をした谷川兄氏と同世代のようで、氏に苦言を呈していました。
 その方と「<三浦>九段はクロ」との意見で一致したので、ほっとしました。
 太田家から駅前のファミレスに向かう道は冷たい風が吹いていましたが、そんな時間を忘れてしまうような時間でした。
<G5RRh5y.>(「たった一人の反乱(避難所)」より)
 三浦九段不正疑惑その1
http://wonderryuchan.blog.fc2.com/blog-date-20161016.html
 三浦九段が本当にシロならば、猛然と抗議をして竜王に「逃げるな」「負けた言い訳」などの挑発や嘲笑を繰り返して竜王を辱めて心理的優位に立つことは容易だったはず。
 もし、こういう行動を取っていれば、相当印象は変わっていただろうとは言える。
⇒最初に、私が三浦九段がクロ、と断定した時のリクツ(コラム#8678)と同じだな。(太田)
<W/1T8e.o>(「たった一人の反乱(避難所)」より)
≫彼の「自殺」の真の原因は何か、・・・読者諸君の推理を聞かせて欲しい≪(コラム#8852。太田)
 軍隊が彼にとって身体的コンプレックスを唯一補える場所で憧れであったが、結局戦地に赴くことができず、戦後はコンプレックスを抱えながらも軍人との交流を活発化させ、少しでも心の平穏を保とうとするが、逆に戦後変質化した軍隊もどきに気付き再び絶望し、元々軍をなりたい自分と重ね合わせていたので自分の命でもって改変させようとした。
<K.K>
≫毛と私に共通する実存的問題意識を、現在の日本で私と同程度以上の真剣さで共有している人が依然として皆無だからだ、と受け止めざるをえない。≪(コラム#8848。太田)
 下記のA・B・Cの状態を想定してください。
A:「少数の上澄みとしての弥生人と多数の縄文人らしい縄文人」
B:「ほぼ全てが縄文人」
C:「弥生人と弥生人並の統制下にある縄文人」
 AとBは説明の必要はないと思います。Cの状態で一番わかり易いのが、第一次弥生モード末期の戦国時代で、農民が竹槍担いで仕官すれば弥生人を気取れる、残った農民は自衛の為に自らの手で自らを強い統制下に置かなければならない、という状態だと思ってください。<当時>、キリスト教(カトリック)の流行を見たことから、Cの状態は非人間主義社会の前駆体の一つと見なすことには一定の妥当性があると思います。
 太田さんは、Cの状態への危機意識が希薄なように思います。日本人(縄文人)の多くにとってCの状態を回避することが実存的問題なのではないかという仮説に立ってほしいです。優れた弥生人とは、自らは弥生人でありながら、Cの状態を回避する弥生人ではないでしょうか。毛沢東が正にこの優れた弥生人であるかどうか私には判断する能力はありませんが、太田さんが「弥生性は一定以上に保つだけでなく、一定以下に保つ必要がある」という仮説に立ってくだされば見えてくるのではないでしょうか。
<太田>
 基本的なことですが、日本史におけるモード転換の担い手だったのが弥生人であって、それは弥生モードから縄文モードへの転換(回帰)・・あなた的に言えば過度の弥生モード化の弊害の是正・・の場合も同様であったこと、をお忘れなく。
 例えば、第一次弥生モード⇒第二次縄文モードに関しては、弥生人の元締めたる、後奈良、正親町、後陽成の三代にわたる諸天皇の尽力があった、と以前(コラム#8297で)記したことがありますが、第二次縄文モードの開祖とも言うべき、弥生人の徳川家康の下掲の挿話を思い出してください。
 「「厭離穢土欣求浄土」は戦国時代、徳川家康の馬印に用いられたことで知られる。松平元康(後の徳川家康)は、桶狭間の戦いで今川義元討死の後、菩提寺である三河国大樹寺へと逃げ隠れた。前途を悲観した元康は松平家の墓前で自害を試みるが、その時13代住職の登誉が「厭離穢土欣求浄土」と説き、切腹を思いとどまらせたと言われる。すなわち、戦国の世は、誰もが自己の欲望のために戦いをしているから、国土が穢れきっている。その穢土を厭い離れ、永遠に平和な浄土をねがい求めるならば、必ず仏の加護を得て事を成すとの意味であった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%AD%E9%9B%A2%E7%A9%A2%E5%9C%9F
 第二次弥生モード⇒第三次縄文モード、に関しては代表的な開祖のうちの2人は、戦後の吉田ドクトリンの事実上の樹立者たる吉田茂、及び、日本型政治経済体制の主要樹立者にして(初めて言うが)吉田ドクトリン延命責任者たる岸信介、は、それぞれ、やはり弥生人の系譜に繋がる人物達です。
吉田茂:土佐藩士の子。養父は元福井藩士
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%86%85%E7%B6%B1
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E5%81%A5%E4%B8%89
岸信介:長州藩士の曽孫
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E4%BF%A1%E5%AF%9B
 ついでに言えば、日本における黎明期の広義のマルクス主義者達は、縄文モード回帰を最初に唱え始めた人々であった、という話をしたばかりですが、以下のように、彼らでさえ、結構、弥生人系ですよ。
堺利彦:武士の子
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%BA%E5%88%A9%E5%BD%A6
幸徳秋水:父方は陰陽師の家、母方は土岐氏の流れ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B8%E5%BE%B3%E7%A7%8B%E6%B0%B4
http://ya-na-ka.sakura.ne.jp/morookaMasatane.htm
山川均:岡山県倉敷の旧家に生まれる ?
http://www.doujidaisya.co.jp/author/a51822.html
大杉栄:代々庄屋の家系で父親は常時陸軍(近衛師団の前身)の軍人。本人も幼年学校中退。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%89%E6%A0%84
荒畑寒村:横浜遊郭内で生まれる。・・・横須賀の海軍工廠に勤務 ??
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E7%95%91%E5%AF%92%E6%9D%91
<K.K>
≫もう今じゃ、三島由紀夫と言っても昔の人なんだろうけど、彼の「自殺」の真の原因は何か、私がこの前書いたことを一旦忘れてもらって、改めて、読者諸君の推理を聞かせて欲しいな。≪(コラム#8852。太田)
 日本という社会だけでなく、個人も上述のCの状態(弥生下(統制下)に置くべきでないものも弥生下(統制下)に置く/置こうとする状態)になると死に至る場合があるという説明はどうでしょうか。
上述のA・B・Cの状態というのが、個人としての日本人の中にも現出するとしてください。例えば、長時間労働に晒されたとして、AもしくはBの状態を保てるのであれば、その人は自殺しないと思います。ところが、Cの状態になってしまって、勤務時間すべてを弥生的にすなわち統制下に置こうとすると、場合によって自殺に至ります。
 文学という縄文(←日本の場合、縄文的文学の方が面白いであってますよね?)を弥生下(統制下)に置こうとすると、その文学は死ぬ→三島由紀夫の文学は面白くない。肉体という縄文を弥生下(統制下)に置こうとすると(←これが、三島由紀夫が肉体的コンプレックスを持っていた様に思える原因では?)、それは土台無理なので、場合によっては死を選ばざるを得ない。太田さんが、頭髪を弥生下(統制下)に置こうとすると絶望する、といことですね。
<太田>
 K.K理論そのものの当否はともかくとして、三島由紀夫こと平岡公威の父、祖父は、どちらも官僚・・それぞれ、農商務省、内務省・・ですが、曽祖父は、普通の百姓だったのですから、縄文人から弥生人に転換中の家系・・(岸(佐藤)家などとは違って)軍人はいなかった・・に三島は生まれたわけです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B3%B6%E7%94%B1%E7%B4%80%E5%A4%AB
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%B2%A1%E6%A2%93
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%B2%A1%E5%AE%9A%E5%A4%AA%E9%83%8E
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%B2%A1%E5%A4%AA%E5%90%89
 このことも踏まえて、皆さんに、更に、私の設問について、引き続きお考えいただければ、と思います。
 なお、「日本の場合、縄文的文学の方が面白い」かどうかも興味深いテーマですね。
<太田>
 それでは、その他の記事の紹介です。
 あれまー。↓
 「豊洲、都議選の争点に浮上も 想定外の汚染拡大・・・」
http://www.nikkei.com/article/DGXLZO11704540U7A110C1NN1000/?dg=1
 「「これでは実験場だ」業者ら憤り・・・」
http://mainichi.jp/articles/20170115/k00/00m/040/102000c
 そんなにコワイんなら、ご希望通りにして差し上げたら?↓
 「秋篠宮さまを皇太子待遇に 天皇陛下を怖れる安倍官邸・・・」
http://news.livedoor.com/article/detail/12542820/
 朝日が人民網化?↓
 「ゲームディレクター・野村達雄さん 「ポケモンGO」開発に抜擢・・・
 いまは日本国籍だが、中国・黒竜江省の寒村に生まれた。父方の祖母は日本人で、戦時中に旧満州に渡ったが戦後取り残され、中国人の祖父と結婚。母方は中国人だ。物心ついたときには、母について早朝から豆腐を売り歩いていた。村に娯楽はなく、4人の姉と野山で遊び、冬は板からそりを作った。9歳のとき、一家は豊かな生活を求めて日本に渡った。
 苦学して東京工業大大学院を修了し、グーグルに入社。3年後、ナイアンティックに移り、ポケモンGOの開発に携わることに。・・・」
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12743157.html?rm=341
 結構なことで。↓
 「“日本発”嗜好飲料 海外でバカ売れ 緑茶・日本酒 昨年の輸出額過去最高に・・・」
http://www.sankei.com/economy/news/170114/ecn1701140016-n1.html
 またオリエンタリズム記事が。↓
 Japan’s employees are literally working themselves to death・・・
https://www.washingtonpost.com/news/worldviews/wp/2017/01/14/japans-employees-are-literally-working-themselves-to-death/?utm_term=.0e72f124433d
 この調子で頑張れ、産経。↓
 「【入門・日米戦争どっちが悪い(7)】–最初から落とすつもりだった原爆 相手が日本人だから大量虐殺・・・」
http://www.sankei.com/premium/news/170115/prm1701150012-n1.html
 中共官民の日本礼賛(日本文明総体継受)記事群だ。↓
 <日本の外食産業を称賛。↓>
 「・・・今日頭条は・・・爆買いブームが生じた過去2年間の時期に、日本旅行を通じて「日本人の匠の精神」を実感することができたという経験を紹介する記事を掲載した。
 記事は、2015年末に中国の外食産業のある経営者たちが日本企業から学ぶための日本を視察で訪れたことを紹介。この旅行の目的は、外食産業を発展させるにあたって直面する問題の解決策を日本企業から得ることにあったと伝えた。
 この旅行に参加した多くの中国人は最初、「大したことは学べない」とどこかで高をくくり、日本を軽く見ていたと説明。しかし、「日本で学ぶにつれ、中国人たちの態度はがらっと変わった」と紹介。外食産業に従事する日本人たちの食材や原料に対する「常軌を逸したこだわり」が、中国の外食産業の経営者たちを震撼させたと説明した。
 この点について、さらに記事は、ある日本の老舗企業は食材の質を確保するために責任者を食材生産の現場に派遣し、その味を確かめながら生産業者と契約を結ぶが、もし生産地の気候が変化し、食材の味に影響が及ぶなら、企業は大量の違約金を払ってでも契約を打ち切り、別の食材を探し始めると説明。日本企業は良質な食材のためにこれほどまでのこだわりを見せると驚きを示した。
 また記事は、中国外食産業の人びとは調理を「職業と見る」のに対し、日本のコックたちは調理を「芸術と見る」と指摘。また、日本のコックたちは調理を心から楽しみ、「自分の作品に深い誇りを持っている」と説明、中国外食産業の経営者たちは日本の外食産業は自分たちより20年進んでいることを理解したと紹介した。」
http://news.searchina.net/id/1627095?page=1
 <日本の米を称賛。↓>
 「・・・今日頭条は・・・「日本のお米専門店を見てみよう」とする記事を掲載した。記事の言う「お米専門店」とは、街でよく見る米穀店のことではない。東京にある、お米をテーマに食品や雑貨を揃えるライフスタイルショップ・AKOMEYAのことを指している。
 記事は、同店の外観写真を掲載したうえで「この店では何を売っているか当ててみてほしい。ブランド品? 香水? いや違う」とし、お米とその関連商品を売っている「お米専門店」であると紹介。そして、同店が自ら考える「幸せなライフスタイル」に基づき、日本全国から仕入れた玄米や特製米や調味料、各地の「匠」が製作した食器、書籍や雑貨などを取り揃えており、「店に入る1人1人が、ここで自分の幸せなライフスタイルを見つけて欲しい」との願いが込められていると説明した。
 さらに、ここでは心を込めて選んだお米を現場で調理したり、昔ながらのおやつを拵えたりといったサービスも行われているとし、「調味料や調理器具は全て店内にあるものを用い、やはり店内にある器に盛りつけてお客さんに味わってもらうのだ」と伝えた。
 記事は、「日本のお米は中国人観光客がこぞって買うターゲットの1つになっている」としたうえで、同店に陳列されているお米のパッケージ、店のデザインなどを見ると「確かに差があることを認めざるを得ない」と結んでいる。」
http://news.searchina.net/id/1627098?page=1
 <日本の紙幣を称賛。↓>
 「・・・今日頭条は・・・日本は先進国のなかでも偽札がほとんどない国だと指摘しており、その3つの原因について説明している。
 記事は「日本に偽札がほとんどない」理由の1つ目について、日本社会では「偽札を造るメリットがない」ことを挙げ、日本社会において偽札製造は投獄よりも深刻な犯罪であり、もし発見されるならそれはその人の人生の終わりになると指摘。また、例え自殺しても誰も同情しないと説明した。
 記事は2つ目の理由について、誰も「偽札を製造できない」と説明。日本の紙幣の紙質・印刷・すかし技術は「非の打ち所がない」と絶賛し、日本の紙幣は最も偽札製造が難しい紙幣としてして認められているとも指摘した。
 さらに3つ目の理由として、日本紙幣の場合は「偽札を造っても割に合わない」と説明。コピー機などで作成した偽札は製作コストは低いものの、すぐに見破られてしまうだろう。逆に精巧な日本紙幣を製作しようとすれば、その模倣の難しさから偽札製造コストは、その偽札の額面価格よりも高くなってしまうと指摘した。」
http://news.searchina.net/id/1627099?page=1
 <日本に比しての中共の遅れを指摘。↓>
 「・・・今日頭条は・・・中国はなおも日本より「43年遅れている」とする記事を掲載した。日本と中国の差を比較する「指標」はいろいろあるが、この記事は一体何を基準に43年という数字を出したのだろうか。
 記事は、中国が経済規模の面で世界第2の地位を獲得し、2025年までには世界一の経済大国に登りつめる見込みであると紹介。その一方で、国民生活における豊かさのレベルはどの程度なのかと疑問を提起した。そして、1950年代中期から約20年間高度成長を成し遂げた日本との対比を行っている。
 比較の対象に選んだのは「自動車の普及度」だ。記事はまず、1940年における日本では人口約1億人に対して自動車の年間生産量が5万5000台だったと説明。これに相応するのが1985年の中国であり、人口約10億人に対して自動車の年間生産量が50万台程度であったことを紹介した。なお、40年当時の日本の人口は正確には約7300万人であった。
 日本は戦後、米国による大きな経済支援を受けながら自動車産業を大いに発展させ、1972年には自家用車保有台数が1000万台を突破、10人に1人がマイカーを持つ水準に達したとしている。一方中国は2015年に登録自家用車台数が1億2400万台となり、ほぼ10人に1人が自家用車を持つ状況になったと説明。「自動車の保有率とう指標から言えば、中国は日本から43年遅れているのだ」と伝えている。」
http://news.searchina.net/id/1627100?page=1
 <例によって日本のサッカーを称賛。↓>
 「・・・捜狐は・・・中国サッカーの実力は日本と比べると大きな差があると認めたうえで、「どうしたら日本を追い越せるか」という点について議論する記事を掲載した。
 記事はまず、日本の高校サッカーの決勝戦を目の当たりにして「はっきり言って複雑な気持ちだ」と表現。反日感情からすると日本を認めたくはないが、サッカーの観点からすると日本の高校生は衝撃を受けるほどレベルが高く、中国にとって「日本サッカーを超えるのは非常に難しい問題」とした。
 では、日本と中国のサッカーにはどこに違いがあるのだろうか。中国ではジュニアやユースなどの全国大会では「観客が非常に少ない」のが現状だという。レベルが高いとされる北京市の大学同士の試合でさえ、観客は「たった3人」だったこともあり、高校生のサッカーで4万人を動員する日本とは「比較にならない」と嘆いた。中国で4万人もの観客が集まるのは、人気の高いプロチームの試合だけだという。
 では、どうして日本の高校サッカーはここまで人気なのだろうか。記事は、全国高校サッカー選手権大会に「95回目」という歴史があること、「勝てば官軍、負ければ賊軍」のプロよりも、「普通の高校生」の頑張る姿が国民の共感を集めやすいことを指摘した。
 このように、サッカーが「民的的スポーツ」となっている日本は、戦術にも長けているという。記事は筆者が日本で見かけたエピソードを紹介。通りがかった小学校でサッカーの試合をしていたが、当時の日本代表監督だったトルシエ氏のフォーメーションを小学生たちが再現しており、「中田英寿、中村俊輔、小野伸二の影を見た」という。これはつまり、代表チームから小学生までサッカーの戦術に長けていることを意味しており、中国サッカーが日本に遅れているのは当然のことだと結んだ。」
http://news.searchina.net/id/1627101?page=1
 <そして、定番の、日本の幼児教育を称賛。↓>
 「・・・海外網・・・記事は、日本の幼児教育は「中国人に敬意と恐れを抱かせる」と論じている。
 記事は、中国の父母たちから見れば日本の幼児教育は「過酷で厳しい」と感じるかもしれないと説明し、例えば日本の子どもたちは幼児のころから耐寒訓練を受けると説明、冬季でも半ズボンという姿で運動し、「持久走大会」を行う幼稚園や保育園があることを紹介した。
 しかし、日本の母親たちは、こうした教育が子どもたちの健康な身体や強い意志の育成に必要であると認識していると説明。さらに、日本には子どもたちが運動で「かすり傷を負うことを気にする親はいない」と指摘した。たとえば、ある日本人の母親は、子どもは自分が傷を負うことにより初めて痛みを理解することができると語ったと紹介し、過保護が指摘される中国の保護者たちとは対照的であることを伝えた。
 さらに記事は、中国の母親たちが幼児の着替えの世話をしている時期に、日本ではすでに子どもたちに独立するための能力を身に着けさせる訓練を始めていると説明。日本の幼児たちは、登園すると自分で別の衣服に着替えると指摘したほか、日本ではどれほどカバンが重くても子どもたち自身にカバンを持たせるとも紹介した。
 記事は、こうした日本の幼児教育は強い子どもたちを育成できるとして絶賛したが、結論の部分で中国人の親たちに熟考に値する問いを投げかけている。それは「20年後、中国の子どもたちが大人になって国家の柱となったとき、彼らは富士山のふもとで吠えたける狼たちに抵抗できるだろうか?」という問いだ。」
http://news.searchina.net/id/1627094?page=1
 <以下は、称賛じゃないが・・。
 昔からある指摘。↓>
 「・・・東方網は・・・「日本料理で出てくる前菜は、こっそりお金を取られている」とする記事を掲載した。
 記事は、日本の居酒屋などで食事をしたことのある人であれば、「食事の前に小皿の料理が供される。お勘定の際、思った合計金額よりも高いことに気づく。そして、レシートに『お通し』と書かれていることに気づく」という経験をした事があるかもしれないとした。また、メニューにも店のどこにも「お通し」の説明が書かれていないと紹介した。
 そのうえで、この「お通し」問題は、しばしば店と外国人観光客との間で議論になるとし、特に店側が外国語で「お通し」の説明を上手くできないケースがあることを伝えている。
 記事は、この「お通し」については「お席代と考えるのが良い」と説明。お通し代は数百円であることを伝えたうえで、「もし日本で食事をした際、注文していない料理が最初に出てきたのであれば、お通し代を支払うという心づもりをしておこう」、「美味しいし、恐れることはない。これもまさに日本での料理体験の一部分なのだ」とした。」
http://news.searchina.net/id/1627096?page=1
 <新しい指摘。↓>
 「・・・今日頭条は・・・「ライトノベルのタイトルをもっと長くする気じゃないだろうな、と翻訳者が怒っている」とする記事を掲載した。
 記事は日本のライトノベルについて「若者をメイン読者とした、新しいエンターテインメント性のある文学作品」と紹介。かつて、そのタイトルはシンプルで覚えやすいものが主体だったが、「最近のライトノベルのタイトルは逆にどんどん長くなっており、もはや天に達するのではないかという勢いだ。翻訳者のプレッシャーも山の如く大きくなっている」とした。
 そして、このほど電撃文庫のサイトに「縫い上げ! 脱がして? 着せかえる!! 彼女が高校デビューに失敗して引きこもりと化したので、俺が青春(ファッション)をコーディネートすることに。」という69文字(スペース含まず)のタイトルを持つライトノベル書籍の新刊情報が出現したことを紹介。「一体どうやって表紙にこのタイトルを押し込むのか。そして書店のデータベースに登録できるのか」と疑問を呈している。
 記事はこのほか、長いタイトルのライトノベル作品として「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている」、「勇者になれなかった俺はしぶしぶ就職を決意しました」、「男子高校生で売れっ子ライトノベル作家をしているけれど、年下のクラスメイトで声優の女の子に首を締められている。」などを挙げた。そして、それまで短めなタイトルが多かった流れを変えた分水嶺的な作品が「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」であると伝えた。
 ネットユーザーからは、「長くないと見る人がいない。それだけ競争が激しいということだ」、「大切なのは作風」といった感想のほか、「どんなに長くなっても、みんなが略称を付けてくれるから」との声もあった。」
http://news.searchina.net/id/1627097?page=1
 トランプの巻ぞいで、シュワちゃんの州知事時代まで批判の対象に。↓
 Trump’s approach might seem new, but Arnold Schwarzenegger tried it first. It was a disaster. ・・・
http://www.latimes.com/politics/la-na-pol-trump-schwarzenegger-20170113-story.html
 ほほえましいというか・・。↓
 「生理用ナプキンが女の子たちの人生を変えている。・・・マラウィ・・・」
http://www.huffingtonpost.jp/2017/01/13/malawian-women-tailoring-and-selling-reusable-sanitary-pads_n_14141960.html
—————————————————————————————————————————————–
太田述正コラム#8855(2017.1.15)
<2017.1.14東京オフ会次第(その2)>
→非公開