太田述正コラム#8651(2016.10.5)
<またまた啓蒙主義について(その7)>(2017.1.19公開)
 (4)欧米における近代
 近代性は、特定のいかなる技術的ないし社会的ブレークスルーとも同定することはできない。
 むしろ、それは、我々より前に生きていた人々と比べて我々が何らかの深い意味で異なっているとの感覚ないし直感、という主観的状況(subjective condition)なのだ。
 近代生活は、知識、富、そして自然に係る力、における諸達成(gains)の加速度のついた諸連鎖である、と<我々は>考えがちだが、<実は、>ある喪失に立脚している。
 それは、過去との触れ合い(contact)の喪失だ。
 あなたの見地いかんによって、これは、廃嫡(disinheritance)と見えたり解放(emancipation)と見えたりする。
 近代政治の多くは、あなたがこの件でどちら側につくかによって決定される。
 しかし、いつもそれは<我々の>方向感覚を狂わせてしまう(disorienting)。・・・
 <すなわち、>近代性は16世紀に始まった眩暈なのであり、それが治る気配はないのだ。」(B)
⇒この部分の見出しを私は「欧米における近代」としたことからお分かりのように、ゴットリーブは、自分の「近代」の捉え方が、欧米にのみ当てはまるというのに、そのことに無自覚です。
 私見では、欧米以外の大部分の地域においては、近代は、アングロサクソン文明ないし欧州文明(プロト欧州文明を含む)、もしくは、この両文明の混淆物、の継受の開始によって始まり、日本等においてだけは、第二次縄文時代(江戸時代)の始まり・・プロト日本型経済体制が成立し始めた・・が近代の始まりなのです。(注8)(太田)
 (注8)日本史学では、欧米史学における「中世・近代」という時代区分がぴったりこないとして、(戦国時代と江戸時代を「近世」とする説等もあるが、)一般に、江戸時代を「近世」とし、明治以降を「近代」としてきた
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E4%B8%96
ところ、現在の日本が日本型政治経済体制下にあることからすれば、プロト日本型政治経済体制下にあった江戸時代以降を「近代」とし、「近世」なる概念を用いない方が単純明快だと思う。
 もとより、私のモード循環論からすれば、「古代・中世・近代」という、欧米史学における時代区分を日本史に関しては廃棄するのが最も論理的なのだが、全球的な「近代」概念を、日本を基準とするものに将来転換させて行く、という「気宇壮大」な発想が頭の片隅にあるので、当面、「近代」概念の使用を続けることとしたい。
 なお、私見では、御承知のように、アングロサクソン文明は、近代だけののっぺらぼうの文明なので、イギリスに関し、16世紀ないし17世紀以降を近代とすることは誤りなのだが、この話にはここでは立ち入らない。
 「彼らの<啓蒙主義の>時代は余りにも空前の楽観主義の時代であったところ、ライプニッツの、我々は存在しうる全ての諸世界中、最高のものの中に生きている、との信条を描写した一人の書評者によって作り出されるまで、この<啓蒙主義という(?(太田))>言葉さえ存在しなかった。
 ガリレオの新しい科学の約束によって燃料をくべられ、多くが「確かに真実はすぐそこにある」、と信じた。
 今にして思えば、この理性に対する過剰な信条は、合理的な(rational)自信というよりは、正当化できない積極的思考だった。
 「人間の本性の科学的把握によって大部分の諸内戦(civil wars)に終止符を打つことができるようになるかもしれないとのホッブスによる主張、は、デカルトによるところの、科学は自分が生きているうちに全ての疾病を無くすことだろうとの予想、よりも、ある意味では更に途方もないものだった」、と著者は記す。」(A)
⇒ホッブスが単に諸戦争(wars)とせず、限定的に諸内戦としたことを詮索するのは止めるとして、ゴットリーブによるホッブスとガリレオの言に対する評価については、その逆が基本的に正しい、と私は思います。
 私は、老いも、老いによる死も、広義の疾病と捉えており、人間が(肉体の物理的損壊・滅失による死亡の場合を除いて)不老不死になって、初めて、疾病を無くしたと言えると考えているところ、現時点でも、なお、その「治癒」方法は影も形もない一方、人間を人間主義化、すなわち平和化、する方法論・・念的瞑想・・も、また、概ね人間主義的な社会、すなわち平和な社会・・を維持する方法論・・家庭教育・塾/学校教育・社会教育、の在り方・・も、欧米の啓蒙主義時代当時に、既にそれ以前から、それぞれ、東アジアのチベット等、及び、日本、には存在していたからです。(太田)
 
 欧米の意識(consciousness)が、この<古典ギリシャ時代と啓蒙主義時代の>二つの諸期間のうちの二番目の間にいかに全面的に変貌を遂げたかは、我々がその余波(aftermath)の中で生きているというまさにその理由によって、理解(comprehend)するのは困難だ。 
 今を遡る数世代<すなわち、啓蒙主義時代>の間に、数千年にわたって世界の方向付けをしてきた(oriented)あらゆる固定点(fixed point)がぐらつき始めた。
 アメリカ大陸の発見は確立された地理を破壊し、宗教改革は確立された教会を破壊し、天文学は確立された宇宙を破壊した。
 教育された人々が現実について信じていたあらゆる事柄が、間違い、或いは、更に悪いことには、嘘、であったことが分かったのだ。
 今日において、これに比肩しうる効果を生み出すことができる何物かを想像することは不可能だ。
 宇宙におけるエイリアン生命体の発見でさえそのような効果を生み出しえない。
 というのも、我々は長らくかかる発見を予期するよう教わって来たからだ。
 それに対し、中世の<地理的意味での>欧州人達は、アメリカ大陸の存在、或いは、電気の存在すら、予見することが全くできていなかった。・・・
 哲学者達は、何らかの理由によって・・プラトンはそれを不思議に思う感覚と呼んだ・・明白なものをおかしい(strange)と感じるよう強いられた人々だ。
 彼らが、その基本的な、広汎に浸透している異常さ(basic, pervasive strangeness)ないし不思議さ(wonder)、を他の人々に伝えようと試みる時、彼らは、他の人々がそんなことを好まないことを通常発見する。
 時々、ソクラテスのように、彼らはそれを余りにも好まないために、その哲学者を死に至らしめる。
 しかし、より頻繁に起こったことは、彼らによる彼の無視だ。
⇒自分を、ソクラテスやロックらに準えるつもりなど毛頭ありませんが、このあたり、何だか自分のことを言われているようで、身につまされます。(太田)
 しかし、17世紀と18世紀は、彼らの世界についての感覚が極めて劇的に分解しつつあった(decomposing)ことから、多くの人々が<哲学者達の言うことに>関心を持った、希な諸期間だった。
 字が読める人々・・印刷機のおかげで、これらの人々は、それまでのいつの頃と比較しても、より大勢いた・・は、古からの諸問題に新しい諸解答を与えることができる哲学者達に熱心に耳を傾けた。
 もし、自分が知っていると思っていたあらゆる事柄が間違っていたならば、あなたは、自分の知識が正しいかどうか、<どうやったら>自信を持つことができるだろうか。
 知識はどこから来るのか、物質(matter)は何でできているのか、神は存在するのか、そして、存在するとして、彼はいかなる種類の存在(being)なのか<、等、について・・>。」(B)
(続く)