太田述正コラム#0427(2004.7.31)
<悪夢から覚めつつあるドイツ(その6)>

  イ ナチス時代

ヒットラーが英国に敬意を持ち、英国と戦おうとするどころか同盟を結ぼうとしたくらいであり、ヒットラーのポーランド侵攻をとらえて英仏がドイツに宣戦布告し、戦いの火花が切られてからもその早期終結に腐心した、ということは良く知られています。
有名な逸話があります。
ナチス副党首のルドルフ・ヘス(Rudolf Hess。1894??1987年)は1941年5月、一人で飛行機を操縦し、英国上空からパラシュート降下し、英国の捕虜になりました。ヘスの渡英目的は、英国にドイツと和議を結ばせた上で、ドイツと手を携えて対ソ戦争を行わしめることでした。しかし、英国政府はヘスを相手にしませんでした。
ヘスは渡英する数日前にヒットラーと四時間も話し込んでおり、ヒットラーは知っていてヘスを止めなかった、とされています。ヘスの渡英後、ヘスの秘書や部下は逮捕されましたが、ヘスの家族にはヒットラーは手を出させませんでした。しかもヒットラーはヘスの奥さんに年金を与えましたし、1941年10月にヘスの父親が亡くなった時には、ヘスの母親に対し、個人的な弔電を打っています。
(以上、http://chronicle.com/free/v50/i22/22b01001.htm(5月3日アクセス)及び(http://www.auschwitz.dk/Hess.htm(7月30日アクセス)による。)

 反ヒットラーの立場から、自ら英国のための高級スパイとして行動したカナリス(コラム#425)もまた、英国に敬意を抱いていたと思われます。
 チャーチルを始めとする英国民達がドイツ都市に対する焼夷弾爆撃に忸怩たる思いがあった(コラム#423)のは、ドイツへの親近感からでしょう。

(2)独仏の運命共同体化

 フランク王国の昔まで遡ればともかく、ドイツとフランスは長年月にわたって基本的には敵対関係にあり、第一次世界大戦でも敵味方に分かれて戦いました。
 その両国が一挙に癒着関係に歩を進めたのが、先の大戦におけるドイツのフランスに対する勝利に伴う北フランスの占領と南フランスにおけるヴィシー政権の(仏第三共和制の最後の議会による)樹立、そしてフランス人とドイツの政治的協力(collaboration)並びにヴィシー政権とドイツとの協力です。
 米国の国際政治学者のスタンレー・ホフマン(Stanley Hoffmann)は前者をcollaboratism、後者をstate collaboration と呼びました。
前者は、共産主義に対抗するためには反共のナチスドイツと協力しなければならないとするもの(ナチスドイツの反ユダヤ主義や反民主主義にも賛同する者がいた)であり、後者は、予見される戦後のドイツを中心とする欧州新秩序の下でフランスの地位を確保するためには戦時中にフランス自身を再生させる(これをヴィシー政権はpolitical revolutionと称した)とともにドイツに協力しておくことが得策だとするものです。
State collaborationの一環としてのヴィシー政権の協力もあり、フランスは65万人のフランス人男子と44,000人のフランス人女子のドイツへの徴用に応じたと推定され、フランス人は戦時ドイツにおける外国人非熟練労働力の第二位(一位はポーランド人)、熟練労働力の第一位を占めました。これらを含め、ドイツが占領した地域から得られた富の40%はフランスが提供したと見積もられています。またヴィシー政権は、ドイツのユダヤ人迫害にも手を貸しました(注10)。

(注10)もっともフランスのユダヤ人の四分の三以上が生き残るという程度の協力の仕方ではあった。他方、フランスのレジスタンス・・連合国の働きかけによって初めて活発化したと言うべきだろう・・が積極的にユダヤ人を救おうとしなかったこともまた事実である。

以上は政治的なcollaborationですが、民間レベルのcollaborationが広汎に行われたことも銘記すべきでしょう。
まずフランス産業界は、占領下のドイツ特需で活況を呈し、占領期の最初の二年間はフランスは高度成長を遂げ、航空機産業等の近代化が一挙に促進されるのです。戦後のフランスの発展の礎はドイツとの戦時のcollaboration時代に築かれたと言っても過言ではありません。
また、フランスの女性達はドイツ占領軍を「熱烈歓迎」し、20万人もの混血児が生まれました(注11)。これを揶揄して’horizontal collaboration’と称する場合があります。

(注11)ところが戦後、この混血児達は迫害の対象となる。戦後における政治的collaboration関係者達の大量処刑や政治的collaborationの記録の意図的隠蔽・廃棄と合わせ、フランスの本質が透けて見える。

(以上、http://www.sunderland.ac.uk/~os0tmc/occupied/collab.htmhttp://www.commentarymagazine.com/Summaries/V73I1P74-1.htmhttp://www.able2know.com/forums/about27133.html(どちらも7月27日アクセス)による。)

 戦時中のドイツの対フランス政策が、その他の占領下の国や地域に対するものに比べて穏便だったこともあり、この戦時中のcollaborationは独仏間のそれまでの敵対意識を解消させ、一挙に独仏間に運命共同体意識が醸成されるに至ります。
 だからこそ、戦後わずか5年目の1950年(、すなわち西独が誕生した翌年、西独の占領が終了する5年前、)にフランス人のロベール・シューマン(Robert Schuman)が独仏を中核メンバーとする欧州石炭鉄鋼共同市場の設立を提唱し、それから2年たった1952年には独仏を中核メンバーとする欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が設立され、それが1958年に欧州経済共同体(EEC)、更に1967年には欧州共同体(EC)へと衣替えし、今日の独仏中心の政治統合を射程に入れたEUへと発展していくのです。(EUの歴史的・思想的淵源についてはコラム#149参照。)
(以上、http://mural.uv.es/~mifepra/hiscon.htmhttp://www.britannica.com/ebc/article?eu=389319http://www.bartleby.com/65/eu/EuropnEC.htmlhttp://www.worldstatesmen.org/Germany.html#Federal%20Republic(いずれも7月27日アクセス)による。)

(続く)

<森岡>
2005年1月13日、BBCとAPで面白い記事をみかけたので紹介します。

http://www.nytimes.com/aponline/international/AP-France-Le-Pen.html
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/4169963.stm

これらの記事によると、反ユダヤ、反移民の「極右主義者」として有名なフランスのLe Pen氏(ルパン氏?)が、最近「第2次大戦中のドイツ軍のフランス占領は特に非人道的(inhumane)だったわけではない。もちろんドイツ軍による愚行(blunders)もあったが、それはフランスのように国土の狭い国では起こって当然だ」と発言したというのです。この発言はフランスの小さな「極右」新聞に一週間ほど前に載ったようですが、それが今になって物議をかもしだいています。
(Le Penの名は、2002年のフランス大統領選においてシラクとの決選投票までいった時に初めて目にしたのを覚えています。「こんな極右に投票する、フランス選挙民の良心はどこにあるのか?」という感じの論評が英字メディアでたくさん出ていたからです。)
この発言を受けて、フランス法相は「激怒し」、調査を始めるよう指示したようです。これはフランスではホロコーストの否定は犯罪であるからのようです。また、フランスのユダヤ人の団体もLe Penの発言を非難する声明を出しました。(大戦中、フランスからは7万6千人のユダヤ人がアウシュビッツに送られ、2千5百人しか生き残りませんでした)
太田さんのコラム#427「悪夢から覚めつつあるドイツ(その6)」によると、ドイツのフランス占領はそんなにひどいものではなかったということを認める動きが最近おきているそうなので、Le Penの発言の内容自体は驚くべきことではないのかもしれませんが、「極右主義者」が先の大戦中の敵国を弁護する発言をする理由が私にはよくわかりません。APなどに引用されている発言を読む限りでは、反ユダヤ発言というよりはドイツ弁護発言ですし。またそれに対するフランス政府の反応も過剰のように思えます。(ドイツ軍を悪とする「建国神話」への冒涜に対して怒るのはわかりますが、刑事裁判まで持っていくのは私には過剰に思えます)ユダヤ人団体による反応は理解できます。
Le Pen氏の発言の真意はいったい何なのでしょうか?この発言は、フランスの「極右主義者」に受ける発言なのでしょうか?
これは、韓国の保守派が革新派(現政権)よりも、(韓国の建国神話における悪役である)日本に対する態度が比較的冷静(のように私には見える)のと同じような現象なのでしょうか?