太田述正コラム#8681(2016.10.20)
<植民地史を改竄した英国(その3)>(2017.2.3公開)
 (2)背景
 「<背景としては、>もう一つありそうだ。
 我々<英国人>は諸秘密が好きなのだ。
 著者は、英国の、イギリスの枢密院の議員達が自分達の議事録を外に出さないことを誓約(oath)したところの、1250年からの国秘の歴史を改めて物語る。
 この制約は、爾来、800年近くの間、変わらないまま維持されてきたが、その間、秘密は、慣習的に、立法・・とりわけ、1911年の公秘法・・、及び、地味な雇用契約に包含される秘密保持(confidentiality)諸条項、の発展を通じて成長してきた。
 著者は、それを「極めて英国的な病気」と言及する。」(A)
 「1950年代に、名高い米国の社会学者のエドワード・シルズ(Edward Shils)<(注2)>は、そのことの説明は、「秘密主義と寡黙さにおいて比肩されるもののない」支配階級・・その成員達は互いに極めて緊密で信頼し合っている(comfortable)ので、隠された諸密<があったとしても、そのこと>を殆ど恐れていない・・に存する、と喝破した。
 (注2)1910~95年。ペンシルヴェニア大(仏文)卒。一人のシカゴ大の教授に見込まれて同大の助手となり、マックス・ヴェーバーやカール・マンハイムを研究し、第二次世界大戦中は英陸軍、米OSS(COAの前身)に勤務し、戦後、シカゴ大准教授、そして、教授として、同大で社会思想と社会学を教える。
https://en.wikipedia.org/wiki/Edward_Shils
 著者は、概ねこの見解を支持している。
 <より上の>階級に対する敬意(deference)、が、国のふるまいについて相対的に恵み深くて信頼できるとの見解、と結び付いて、「この英国国家の格別に無口<で情報開示に消極的>な性格が英国の公衆及びメディアの間でもっと大きな怒りと不安(unease)を掻き立てない理由」を説明するのかもしれない。」(A)
⇒このくだりは、また違った意味で、日本とイギリスの類似性を改めて感じさせますね。
 すなわち、世界では希なことに、日本とイギリスにおいてのみ、国と国民との間に基本的に信頼関係が確立している歴史が見られる、ということです。
 私(わたくし)的に申し上げれば、それは、それぞれ、日本が、人間主義社会であり続けてきたこと、また、イギリスが、人間主義的社会であり続けてきたこと、を反映しているわけです。(太田)
 (3)その他
 「ケニヤは古典的事例だ。
 すなわち、上の方で裁可(sanction)された呆れるような諸悪行、諸否定、秘密にされて圧倒的な法的かつ公衆的圧力の下においてのみ開示されたところの諸記録。
 ヴェトナム・・1945年に、捕虜になった日本軍諸部隊がヴェトナムでのフランスによる支配を回復すべく英軍将校達の下請けにされた・・、1946年のインドネシア、1960年代のオマーンとイエメン・・・。
⇒このあたり、直接本にあたって、詳細を知りたいところですが・・。(太田)
 そして、秘密であるとの口実のもとに、英国の工作員達(agents)がカトリック教徒達を殺害した暗殺隊群をコントロールしていたところ、独立した調査の諸ファイルが不可思議な放火攻撃の中で破壊され、その殺人者達、工作員達、及び、彼らの指導責任者達はお咎めがなかった。・・・
⇒広義の有事においては、どこの国でも、正規の法的手続きに則らずに、敵ないし潜在敵を直接的または間接的に殺害することはありますが、潜在敵とすら言えない、いわば一般住民を謀略目的で殺害し、それに関与した人々を保護し、証拠隠滅も行う、というのですから、さすがに、形式的にも実質的にも(人権条項を含め)憲法が存在しない英国(イギリス)は違うな、と改めて痛感させられますね。(太田)
 そして、秘密はそれ自身を破壊しうる。
 フィルビー(Philby)<(コラム#1152、3186、5270、5300、8628)>が、ソ連へのその最終的な亡命前に疑惑がかけられた時、彼は、英国の工作員としての業務についてのジャーナリスト達による諸質問を回避するために、公秘法に依拠した。」(C)
(完)