太田述正コラム#0440(2004.8.13)
<京都・奈良紀行(その5)>

 (コラムの人気投票は現在19位ですが、最近のペースで行けば、13位くらいまでは確実に行けそうな予感がします。しかし10位以内をめざすのなら、相当気合いを入れる必要があります。
http://cgi.mag2.com/cgi-bin/mag2books/vote.cgi?id=0000101909
で引き続き、繰り返し投票をお願いします。)

 翌8月8日、前日二回利用した観光タクシーの同じN運転手に再びお願いすることにしました。
前日の二回の短時間観光コースもそうだったのですが、今回の一日コースも、パンフレット記載の標準コース名を指し示しただけで、後は何も考えず万事Nさんにお任せしました。
 Nさんは、本来は唐招提寺にも行くのだが、現在金堂が修理中であり、行っても仕方がない、とし、自分は天理教信者でも何でもないが、天理教本部経由で法隆寺に行くことにしたいと言うので、これも了承しました。
 
 (9)天理教本部
 天理教(幕末に生まれた神道系の新興宗教(教派神道)の一つ。中山みきによって1838年に立教。http://www.marino.ne.jp/~rendaico/tenrikiyonokenkiyu.htm)独特の和洋折衷形式の大きな建物が天理市の広大な敷地に沢山建ち並んでいましたが、天理教の敷地内にせよ、天理市にせよ、余り整然とした感じがしません。既存の集落の中に天理教の建物群が次第に形成されて行ったからでしょうか。
 モルモン教(19世紀前半に米国で生まれたキリスト教系の新興宗教。ジョセフ・スミスによって1830年に立教。http://park8.wakwak.com/~kasa/Religion/morumonkyo.html及びhttp://www.mormon.org/learn/0,8672,957-5,00.html)の本部のある、ユタ州の首都ソルトレークシティーを米国留学中にたずねた時、ソルトレークシティーが整然としていたことを思い出しました。(ソルトレークはモルモン教徒がゼロからつくった町です。)
ところで、モルモン教本部には、信徒や観光客に教祖や教義を説明する立派な展示館がありましたが、これに相当するような展示館は天理教本部にはなさそうです。世界救世教の熱海の本部にある絢爛豪華な美術館のようなものもなさそうです。しかも、天理教が創価学会のように政党をつくるどころか、一切政治活動をしないことは以前から知っていました。また、敷地内に大学と三つの高校(そのうちの一つである天理高校は野球で有名)があり、教育に大変力を入れている様子がうかがえました。
 天理教のことは一度よく勉強してみる必要があるな、と思いました。

 (10)大和郡山市
 次ぎに連れて行かれたのは大和郡山市の金魚田です。
 大和郡山城を拠点とした大名は、戦国時代から江戸時代初期にかけて、おおざっぱに言えば、筒井順慶、豊臣秀長、増田長盛、柳沢吉里、と変わるのですが、この柳沢吉里が観賞用として持ち込んで以来、金魚生産が武士の副業となり、現在大和郡山市は全国一の金魚生産高を誇っています。
 残念ながら、暑さを避けるためか、金魚が深くもぐっているらしく、全く水(田)の中に金魚の姿を認めることはできませんでした。
 その後、大和郡山城跡を眺めながら、車は法隆寺に近づいて行きました。
 (以上、http://www.kagyushinsha.com/turedure/genfukei/kingyo19990825.html及びhttp://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/yamatokoriyama.htmによる。)

 (11)法隆寺
 法隆寺の来歴の話をし始めると、きりがありません。
 用明天皇(第31代天皇。炊屋姫(後の推古天皇)の実兄にして厩戸皇子(後の聖徳太子)の父)が自らのご病気の平癒を祈って寺と仏像を造ることを誓願されたがその実現をみないままに崩御し、推古天皇(第33代天皇であり日本の最初の女帝。在位592??628年。第30代の敏達天皇の皇后)と摂政聖徳太子(574??622年。摂政就任は593年)が用明天皇のご遺願を継いで607年に寺とその本尊「薬師如来」を造られたのがこの法隆寺の始まり、というくらいにしておきましょう(注10)。

 (注10)この頃は蘇我氏の全盛期であり、用明天皇と推古天皇の母は蘇我稲目の娘。また、聖徳太子の摂政時代の最高の実力者は蘇我馬子(蘇我稲目の子)だ。更に、聖徳太子の母の穴補部間人は崇峻天皇(第32代)の実姉で二人は欽明天皇(第29代)と蘇我稲目のもう一人の娘の子。
      なお、当時の天皇家は、兄弟相続制であり、かつ近親結婚が常態だったことを頭に入れておく必要がある。
      また、推古天皇から始まり、皇極(斉明)・持統・元明・元正・孝謙(称徳)と7世紀から8世紀にかけて女性の天皇が輩出したのは、アマテラスや卑弥呼が女性であったという、当時までの日本の伝統・・(男性支配者と対になり、男性支配者より優位にある)巫女性の濃厚な女性支配者の存在・・を抜きにしては考えられないとする説が有力(http://homepage1.nifty.com/miuras-tiger/suiko-tennou.html)。

(以上、特に断っていない限りhttp://www.horyuji.or.jp/及びhttp://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/8918/taishi1.html以下、による。)

(続く)