太田述正コラム#0442(2004.8.15)
<京都・奈良紀行(その6)>

 (何と、目を覚ましたら16位になっていました。耳タコだと思いますが、
http://cgi.mag2.com/cgi-bin/mag2books/vote.cgi?id=0000101909
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 法隆寺は現存する世界最古の木造建築物だということはご存じですね。
 より正確に言えば、聖徳太子が建立した法隆寺(その跡を若草伽藍という)は670年に焼失し、その傍らに、(恐らく氏寺としてでなく、官営の寺院として)711年より以前に、まず金堂から始まって五重塔、中門が完成し、その後も次々に伽藍が建てられて行き、平安時代末期に現在の境内の姿が整ったようで、最初にできた金堂が現存する世界最古の木造建築物なのです。
 (以上、http://www.bell.jp/pancho/travel/taisi-siseki/temple/wakakusa_garan.htmによる。)
 運転手のNさんは、しきりに法隆寺は古いだけで、例えば五重塔をとってみても、興福寺の五重塔に比べて造作が貧弱で見劣りがする、と言うのですが、今回の旅行で沢山の寺院を見せられた息子は、一番よかったお寺は法隆寺(、そして一番感動したのは京都の大仙院と銀閣寺の枯山水(後述)だ)と言っています。子供の素直な感想の方に軍配をあげたいと思います(注11)。
 
 (注11)子供だっていいものを見る眼は持っている。だから、最近奈良への修学旅行が敬遠されている(http://www.eonet.ne.jp/~kotonara/sugoiotera.htm)らしいのは残念なことだ。Nさんに言わせれば、奈良市には引率の先生方が夜、遊びに行くところがないせいだという。それはともかく、奈良が観光客集めに苦労していることは事実で、燈花会をやり始めたのもそのためのようだ。Nさんは、京都と違って奈良にはおいしいものがないため、リピーターが少ないのが問題だと言う。

 伽藍を見てから、美術品を展示してある大宝蔵院に入りました。
 夢違観音は白鳳時代(645??710年。美術史上の年代区分。http://bunkaken.hp.infoseek.co.jp/index.files/kihon/jidai/hakuho.html)の作であり、この仏像に祈れば吉夢に変えてくれるという信仰から、そうよばれています。
 また、百済観音像は飛鳥時代(592??710年。ただし、美術史上の区分としては592??645年)を代表する仏像であり、大宝蔵院と一つながりの棟である百済観音堂に安置されています。すらりと伸びた体躯、杏仁形(アーモンド形)の目やアルカイックスマイルをたたえています。Nさんは、渡来人の姿を強調したものではないか、と言っていました(注12)。

 (注12)夢違観音や百済観音、それに救世観音(後述)が、聖観音なのか、それとも七(六)観音系列とは異なる変化観音(コラム#438)なのか、誰も解説してくれないので不明。ちなみに、百済観音と呼ばれていても、作風からみて百済の仏像とはいえず、また朝鮮半島では仏像の用材に用いられていない楠の木でできていることから、日本で造られた像であると見られている。

 最後に東大寺の境内の東の端にある夢殿におもむき、救世観音を拝観しました。白鳳時代の作ですが、百済観音と同じく「渡来人」型をしています。

 次は当然、法隆寺の夢殿に隣接している中宮寺です。
 中宮寺は聖徳太子の母穴穂部間人皇后の御願によって、太子の宮居斑鳩宮を中央にして、西の法隆寺(若草伽藍)と対照的な位置に創建された寺です。
 ずっと以前に中宮寺を訪れた時にはなかったコンクリートづくりの新本堂の中に、余りにも有名な菩薩半跏像が安置してあります。飛鳥時代後期の作で寺伝では如意輪観音ですが、本来は弥勒菩薩としてつくられたようです。心地よい風が吹き抜ける新本堂に座り、しばしこの像に見とれて過ごしました。
 (以上、特に断っていない限り、http://www.tabian.com/tiikibetu/kinki/nara/horyuji/horyuji4.htmlによる。ただし、中宮寺については、http://www.horyuji.or.jp/chuguji.htmにもよった。)

(続く)