太田述正コラム#8881(2017.1.28)
<映画評論48:君の名は。(その2)>(2017.5.14公開)
 (2)普遍的セッティング
 氷室竜介は、本作品は「恋人がなかなか会えないすれ違い」を描いた『君の名は』(注5)を「想起させる」とも書いています(公式パンフレット34頁)が、一定以上の年齢の日本人にとっては、そんなこと、言われるまでもないことでしょう。
 (注5)「1952年にラジオドラマで放送・・・<翌年映画が公開された。>全3部。大ヒットし、・・・3部作の総観客動員数は約3,000万人(1作平均1,000万人)である。・・・
 2012年現在、テレビでは4度ドラマ化されている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%9B%E3%81%AE%E5%90%8D%E3%81%AF
 そのストーリーのハッピーエンドが下掲に出ている。
http://www.ne.jp/asahi/gensou/kan/eigahyou76/kiminonawa3.html
 当時は、中共とも韓国とも国交樹立がなされていなかったけれど、仮にこれらの国々等で『君の名は』が公開されていたならば、恐らく、今回の『君の名は。』同様、大ヒットしていたことは請け合いです。
 どうしてか?
 「なかなか会えないすれ違い」を乗り越えて「恋人」が結ばれる、という「運命の赤い糸」伝説(注6)を支那が生み出し、この伝説が東アジアに広く伝播しているからです。
 
 (注6)「運命の赤い糸・・・とは、中国に発し東アジアで広く信じられている、人と人を結ぶ伝説・・・<漢>語では「紅線」・・・と呼ばれる。・・・北宋時代に作られた前漢以来の奇談を集めた類書『太平広記』に記載されている逸話『定婚店)』に赤い糸が登場する。・・・冥界で婚姻が決まると・・・見えない赤い糸(赤い縄)・・・の入った袋を持って現世に向かい、男女の足首に・・・結ぶという。この縄<(糸)>が結ばれると、距離や境遇に関わらず必ず二人は結ばれる運命にあるという。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8B%E5%91%BD%E3%81%AE%E8%B5%A4%E3%81%84%E7%B3%B8 
 新海がそこまで意識していたかどうかですが、赤い糸を彷彿させる、赤い組紐がこの映画の中に登場し、しかも、それを商品化している(注7)ところを見ると、間違いなく、意識している、と私は見ます。
 (注7)「正絹を使用し、作中の組紐を細部まで再現したハイクオリティな一品です! 映画『君の名は。』の中で、三葉が髪を結ぶために、瀧がブレスレットとして使用する組紐。二人の運命を結び付ける重要なアイテム」
http://tohoanimationstore.com/shop/g/gTASG00231/
と謳っている。
 この赤い糸セッティングのミソは、その伝説から、世の中、赤い糸で結ばれているカップルばかりでないことが伺われるところにあるのであって、同種のセッティングのドラマに接した時、人は、改めて、ひょっとして自分には赤い糸で結ばれている人がいるのかもしれない、そうであるといいな、そうであったとするならば、その人を早く見つけたいな、見つけられるといいな、と思わせ、人をそのドラマに没入せるところにあります。
 前回のオフ会で、「『君の名は』は、筋が荒唐無稽で納得がいかない。」と言った読者がおられた(コラム#8855)し、前出のシンガポールでのこの映画事情を記した日本人も似たような感想を吐露しています
http://www.sinlog.asia/entry/2016/11/15/124325 前掲
が、赤い糸セッティングって、要するに、赤い糸で結ばれているカップルは、「距離や境遇に関わらず必ず・・・結ばれる」(上出)というセッティングなんですから、筋(ストーリー)などあってなきがごとし、というか、どんな荒唐無稽で不条理な筋だっていい、いや、むしろその方が赤い糸の威力を引き立てるのであり、この映画の場合のように、カップルが「時空を超えて」結ばれちゃっても全然OK、というか、むしろ正解、なんですよね。
 こういうことも、新海は、あざとく計算している、と私は見ています。
 (続く)