太田述正コラム#8913(2017.2.13)
<米帝国主義の生誕(続)(その12)>(2017.5.30公開)
 「・・・今日的な諸主題もこの著作を通じて流れている。
 米国が道徳的国家であるとの諸観念は、現在の、「死活的諸利害が関わる場合は、憲法上の諸綺麗ごとにこだわるのは馬鹿馬鹿しい」、という一貫した観念とは衝突する。
 <しかし、>力による道徳性(forceful morality)の概念が当時も現在同様作用し始めていた。
 マッキンリーは、「中立的存在として米国がある戦争に力による介入をすることは[恐らく]慈善的大義(cause of humanity)[だろう。]」と主張した。
 帝国主義者達は、一般に、「戦争は浄化作用があると考え」ており、「彼らが想像した未来において、人類は、有徳の米国によって導かれ、米軍事力によって規律を与えられるのだった。」・・・
 大部分の修辞の背後にあった現実は、諸市場、諸資源、そして、諸利潤、であり、それは、今日における、米国が、その石油ドル覇権を維持することに関心があるのと同じだった。
 
⇒このシリーズでも既に述べたように、米帝国主義は、経済的要因によって主として推進されてきたわけではありません(過去コラムについては#省略)。
 (第一、仮にそうであったとすれば、唯物史観に立脚したマルクス主義やレーニンの帝国主義論が正しい、ということになってしまいます。)
 だからこそ、広義の損得勘定的な歯止めが利かない恐ろしさがあるのです。(太田)
 米国が経済的下降期に入り、何百万人もの失業者が出る<(注17)>・・今でもよく聞く話?・・と、帝国主義者達は、「商業は保護されるか、従わぬ諸国は海軍力で<米国の言い分を>押し付けるか、…<によって、>米国の商業的及び戦略的諸利害を全球的戦略[と融合]しなければならない、と主張した。
 (注17)1899年6月~1900年12月の1年半の米国の不況
https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_recessions_in_the_United_States
を指しているのだろうか。
 帝国は、「余剰<生産物>の捌け口」を作り出し、米国の「商業的至上性」を保証する、というのだ。
 キューバは、既に、その大部分が、<米国の>果物と砂糖農業者達によって所有されており、フィリピンは、米国の消費態様(manner)を教え込まれるであろうところの1000万人の市民達からなる市場を代表するとともに、アジアの諸市場への踏み石の役割を果たすだろう、とも。
 反帝国の人々がこの議論に負けたのは明白だった。
 それは、恐らくは議論によってではなく、間違いなく現実によってだった。
 彼らが中心的に焦点を当てたのは、海外での<領土>諸獲得がこの共和国の本性そのものに対して及ぼす悪しき諸効果であり、それが究極的には、その衰亡と世界の多くからの悪意と不信だった。
 この意味では、確かに、彼らは議論に勝ったのだが、現実には勝てなかったのだ。・・・」(C)
 「・・・著者は、彼の物語を始めるにあたって、「これは、自由の本性そのものに関する議論だった」、と記している。
 提起された諸論点(questions)を考えてみよ。
 遠く離れた諸土地は彼ら<原住民達>自身によって統治されるにまかしたままにすべきか、それとも、自由の祝福を彼らにまで及ぼすであろうところの<この米>国の一部であった方が幸せで繁栄するのか、を。
 トウェインは前者を、ローズベルトは後者を、抱懐したのだ。・・・」(D)
 「・・・熱烈な反介入主義者である著者は、反帝国主義者達は、「米国による最初の併合の波(burst)が最後の波となることを確保することを助けることで、米国の歴史に決定的な影響を与えた」、と結論付ける。・・・」(D)
⇒その後も、日本の国際連盟委任統治領であった南洋諸島の一部を米国は、第二次世界大戦後に併合しています
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%B4%8B%E8%AB%B8%E5%B3%B6
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%8D%E3%82%B7%E3%82%A2%E9%80%A3%E9%82%A6
が、それはさておき、そもそも、「最初の波」の時に併合した諸領域中、米国が依然手放していないのは、当初の予定通り、ハワイ、グアム、プエルトリコ、だけであり、「波」と言えるほどのものではありません。
 より重要なのは、何度も申し上げているように、北米での領域拡大を終えた米国が、それ以降は、人種主義的観点から、海外での領域的拡大を基本的に止めた形での、新しい、よりおぞましい帝国主義国へと変貌したことなのです。(太田)
(続く)