太田述正コラム#8971(2017.3.14)
<下川耿史『エロティック日本史』を読む(その3)>(2017.6.28公開)
 「鳥居がエロティックなシンボルだという説は、神道関係者の間で古くから語られていたようである。匹田以正(ひきたこれまさ)は江戸時代前期の神道学者<であり、>・・・1702(元禄15)年、・・・神道に関する辞典・・・を刊行したが、・・・「あるいはいう。鳥居<(注3)>は陰陽交感の表れなり。左の柱は陽、右の柱は陰、木をその上に通すのはこれ、すなわち引用交感の理なり」と・・・。・・・
 (注3)鳥居の起源については、まだ定説がなさそうだが、セックスがらみの説の存在は初耳だ。
 なお、興味深い説があるので、思い出しがてら紹介しておく。↓
 「現在の雲南省とビルマとの国境地帯に住むアカ族(・・・Akha、中国ではハニ族)の「パトォー・ピー(精霊の門)」という村の入口の門では、上に木彫りらしき鳥が置かれることや、鳥を模した造形物を飾る風習もあることが実地を調査した研究者から報告されていることから、日本の神社でよく見られる「鳥居」の原型は、アカ族らが長江流域から南下、避難してくる前、長江流域に住んでいた時代(百越人であった時代)の「鳥居」ではないのか、という説もある。アカ族の村の門には鳥の木形が置かれるが、同様の鳥の木形は日本での稲作文化の始まりとされる弥生時代の遺蹟である池上・曽根遺跡や纒向遺跡でも見つかっており、また他にも多くの遺蹟でも同様である。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85
 民俗学者の戸川安章<(注4)>によると、鳥居を女性器に見立てる考え方は出羽三山・・・の修験道の中に、今でも生きているという。
 
 (注4)とがわ あんしょう。1906~2006年。専修大学経済学部卒業。出羽三山山岳修験道の研究で知られ、鶴岡女子専門学校校長等を歴任。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B8%E5%B7%9D%E5%AE%89%E7%AB%A0_(%E6%B0%91%E4%BF%97%E5%AD%A6%E8%80%85)
 修行のため羽黒山へ籠もるという前日、修験者は笈・・・の前に小型の鳥居を置く。これは女性が陰部を開いた形であり、修験者は印を結んで仏の加護を祈念し、ア・ウンの声とともに体を鳥居の前に投げ出す。これは男性が性交によって女性の体内に射精したことを表し、ア・ウン<(注5)>の声は快楽の叫びなのだという。」(44、47)
 (注5)阿吽についても、セックスがらみの説は一般には存在していない。↓
 「1 梵字の12字母の、初めにある阿と終わりにある吽。密教では、この2字を万物の初めと終わりを象徴するものとし、菩提心と涅槃(ねはん)などに当てる。
2 仁王(におう)や狛犬(こまいぬ)などにみられる、口を開いた阿形(あぎょう)と、口を閉じた吽形(うんぎょう)の一対の姿。
3 吐く息と吸う息。呼吸。
4 相対・対比など相対する二つのものにいう語。 」
https://kotobank.jp/word/%E9%98%BF%E5%90%BD-24038
⇒鳥居についての以上のくだりは、話半分に受け止めておいた方がよさそうです。(太田)
 「『古事記』によれば、大国主命は出雲でスサノオ命の娘・・・と結婚していたが、出雲から遠いと落ち高志(こし)の国(越後国)にいる<女性>をモノにしたいと思って、早速出かけていった。「・・・呼ばひ・・原文には「用婆比」・・に有り通はせ…」・・・というわけで、これが「夜這い」<(コラム#1666Q&A、3061、3515、4773、4775、6320、5322、6324、6328、6329、6415、7109、7149、7184)>の公式記録の第1号である。」(48)
⇒夜這いについては、これまでさんざん取り上げてきたところですが、「起源」が抜け落ちていました。
 その「起源」がやっぱり神サマであったとは・・。(太田)
 「西周・・・が滅びた後の<支那>は本格的な戦国時代に突入し、戦火を逃れて多くの<支那>人が朝鮮半島に流入してきた<ところ、>・・・この種の難民は、受け入れる側からすればもっとも迷惑な存在のはずだが、日本人にはちっとも迷惑ではなかったようだ。それは日本という「国家」が成立する以前に、庶民の間では混浴の風習を通して、「心のバリアフリー」が確立していた証しであるように、筆者には思われる。」(61~62)
⇒縄文人と弥生人の出会いをセックス史観で表現するとすれば、こういうのも確かにアリかも。(太田)
(続く)