太田述正コラム#9011(2017.4.3)
<ナチが模範と仰いだ米国(その1)>(2017.7.18公開)
1 始めに
 コラム#9008の冒頭で示唆したところですが、ジェームス・ウィットマン(James Q. Whitman)の仰天の新刊本、『ヒットラーのアメリカ・モデル(Hitler’s American Model)』、について、書評等をもとにそのさわりをご紹介し、私のコメントを付します。
 この本に刺激を受け、私の米国観が一層深まったところ、その一端をご披露できようかと思います。
 なお、英米の主要メディアが、BBC、テレグラフ紙、ロサンゼルスタイムス、を除き、今のところ沈黙しているのは、後でもう一度触れますが、きゃつらの正体見たり、という思いがしています。
A:http://www.haaretz.com/life/books/1.778929
(3月29日アクセス。書評(以下同じ))
B:https://www.insidehighered.com/views/2017/03/08/review-james-q-whitman-hitlers-american-model-united-states-and-making-nazi-race (読者投稿付)
(3月30日アクセス(以下同じ))
C:http://legalhistoryblog.blogspot.jp/2017/02/whitmans-hitlers-american-model.html(現在、消去されている。)
D:http://www.bbc.co.uk/programmes/p04w6h4k (映像付。本シリーズでの引用なし)
E:http://www.nyjournalofbooks.com/book-review/hitlers-american-model
F:http://www.tabletmag.com/jewish-arts-and-culture/books/227396/was-nazi-germany-made-in-america
G:http://www.telegraph.co.uk/books/what-to-read/uncle-sam-hitler-did-america-inspire-nazis-race-laws/ ←冒頭部分のみ無料公開
H:http://thecounterfactualhistoryreview.blogspot.jp/
I:http://atlantablackstar.com/2016/12/19/why-the-nazi-regime-saw-u-s-jim-crow-laws-as-inspiration-for-its-own-racist-laws/
J:https://www.inconvenienthistory.com/9/2/4280
K:https://mosaicmagazine.com/observation/2017/03/did-american-racism-inspire-the-nazis/
(4月3日アクセス)
L:https://aeon.co/ideas/why-the-nazis-studied-american-race-laws-for-inspiration 
(著者による解説(以下同じ)。3月30日アクセス(以下同じ))
M:http://www.latimes.com/opinion/op-ed/la-oe-whitman-hitler-american-race-laws-20170222-story.html
 なお、ウィットマンは、エール大卒、コロンビア大修士、シカゴ大博士で、現在、エール大ロースクールの比較法・外国法担当の碩座教授です。
https://en.wikipedia.org/wiki/James_Whitman
2 ナチが模範と仰いだ米国
 (1)プロローグ
 「1935年7月26日、約1000人の反ナチデモ隊が、ニューヨークに入港していた、小奇麗な最新のドイツの外航船ブレーメン号(SS Bremen)を攻撃した。
 この抗議者達は、船のナチス旗を破ってハドソン川に投げ込むことに成功した。
 それは、ニューヨークでの、親ナチと反ナチの間の街頭での争闘の夏のクライマックスだった。
 このブレーメン号事件の暴徒達のうちの5人が逮捕されたが、彼らが1935年9月にルイス・ブロッドスキー(Louis Brodsky)<(注1)>判事の前に現れた時、何か瞠目すべきことが起こった。
 (注1)1884~1970年。ニューヨーク大ロースクール卒。1924年、ニューヨーク市長によって治安判事に任命される(~39年)。
https://en.wikipedia.org/wiki/Louis_B._Brodsky
 ブロッドスキーは、ナチス旗は、「文明に対する反乱であり…野蛮ではないとしても、中世より前の、社会的・政治的諸条件への隔世遺伝的な先祖返りの紋章であり、破壊に値する「海賊の黒旗」である、と主張して全ての諸容疑を退けたのだ。
 ブロッドスキーの勇気ある宣告の背後にあった法は疑問符が付くのであって、そう時間が経たないうちに、フランクリン・ローズベルトの司法省が、この判事の判決について謝罪した。<(注2)>
 (注2)ハル米国務長官が、ドイツ政府に遺憾の意を表明した書簡を送った。(上掲)
 ヒットラーは、ローズベルト政権がブロッドスキーの判示を否認したことを称賛した。
 しかし、それでもなお、このユダヤ系のブロッドスキーの反ナチ財産毀損者達の無罪放免は、ヒットラーの党の注目を集める事件になった。
 ドイツのユダヤ人達に過酷な諸制限を課した1935年のニュルンベルク諸法(Nuremberg Laws)<(後述)>は、ブロッドスキーによる「侮辱」に対する「返答」である、とナチは主張したのだ。」(F)
(続く)