太田述正コラム#9075(2017.5.5)
<ナチが模範と仰いだ米国(その17)>(2017.8.19公開)
 最後にだが、彼の、「20世紀初」という予防線的限定にもかかわらず、著者自身による、米国の人種主義の告発は過去にだけ限ったものではない。
 この本の結論部分で、彼は、以下を付け加えている。
 現在の…米国の刑事司法は、瞠目するほど、そして、恐るべきほど、国際的諸標準に照らして過酷だ。
 それには、例えば、常習犯諸法(「three-strikes-and-you’re-out」laws)<(注27)>のように、ナチ達によって導入されたもろもろを、しばしば、心地悪く思い起こさせるところの、諸慣行が含まれている。…
 (注27)Three-strikes law=habitual offender laws。米国で1994年3月7日に初めて導入され、前に2件以上の、暴力諸犯罪ないしひどい凶悪犯罪を犯していて、更にひどい暴力的凶悪犯を犯した場合は終身刑とするものとした。
https://en.wikipedia.org/wiki/Three-strikes_law
 80年前に、米国の人種法の中に、[ナチの法律家達]が見た[もの]、そして、称賛した[もの]は、依然、米国の刑事司法の政治の中に我々と共にある。
 <しかし、>ホロコーストの犠牲者達が3犯(strikes)も2犯も、いや、1犯すら許されなったことを、この著者に思い起こさせるまでもなく、彼のこの本全てが、ヒットラー帰謬法(reductio ad Hitlerum)<(注28)>として知られる知的ペテン(trick)の精緻なる行使(exercise)であって、このペテンは我々の時代の気分にぴったり合致しているのだ。
 (注28)他者の主張を、ヒットラーが同様の主張をしていた、として貶めること。
https://en.wikipedia.org/wiki/Reductio_ad_Hitlerum
 ジムクロウの時代から遠ざかれば遠ざかるほど、我々の人種主義に対する敏感さ(sensitivity)は大きくなってきているように見える。
 それと同じことを、敏感さに関して、ホロコーストが時と共に遠ざかっている今日、果たして言えるだろうか。
 いや、この場合は、あらゆる種類の隠された諸目的に資するべく、「米国性(character of America)」に内在する比類なき悪を図示するための新しいより良い諸方法の追求をすべく、あの<ホロコーストという>特異な戦慄譚が無恥にも矮小化され、利用されてきたことを、我々は、目撃しているのだ。」(K)
⇒戦後、ドイツにおいて、ナチスドイツが知識層の相当な部分を不可欠な形で占めていたユダヤ人を一掃してしまったことに加え、敗戦によって、その残された知識層の発言権が著しく低下してしまった一方で、米国は、全球的覇権国に成り上がったおかげで、ユダヤ人を含め、世界の知識層が長期滞在や帰化をしてくれた上、戦勝国として、このような知識層の発言権がインフレ的に高まったために、むしろ、この書評子の主張とは正反対のことが起こったまま、現在まで推移している、と言うべきでしょう。(太田)
3 終わりに
 実は、趣旨的に下掲のようなことを、このシリーズの最後に書こうと目論んでいたところ、安倍首相の改憲私案の提示に憤って、その折にフライング的に書き殴ってしまった次第です。
 いささか筆致が乱暴でしたが、あえて書き換えず、ここで改めて、同文を掲げさせてもらいます。
 「ただただソ連(ロシア)をぶちのめすためだけに、先の大戦時には日本の敵の敵であるナチスドイツと組んだところ、その後の冷戦時にはやはり日本の敵の敵である米国・・ナチスドイツよりも、更に、獰猛でタチが悪く、かつ人種主義的・・をおだて挙げて組んだ、ということなのに、そのことを忘れちゃって、ロシアをぶちのめしてからも、漫然と属国として米国と組み続けているってことは、今や、日本は(米国人達の過半を含む)「全人類の敵」に成り下がってるっちゅうことなんだからね。」(コラム#9070)
 
(完)