太田述正コラム#0478(2004.9.20)
<イギリスとユダヤ人(その1)>

 世界に天才民族があるとすれば、それはアングロサクソンとユダヤ人で決まりでしょう。
 その両民族の英国における邂逅の歴史をふりかえり、その上で次ぎに可能であれば米国とユダヤ人の歴史に目を向け、そして願うらくは将来、ホロコーストという悲劇的結末に至ってしまったドイツとユダヤ人との関わりについて論じようと思います。
 まずはイギリスとユダヤ人についてです。
 (以下、特に断っていない限りhttp://www.geocities.com/Athens/Acropolis/7221/jewishistory.htm及びhttp://www.jewishvirtuallibrary.org/jsource/vjw/England.html(どちらも9月19日アクセス)による。)

1 イギリスとユダヤ人の一回目の邂逅

 ユダヤ人は、1066年のウィリアム征服王のイギリス遠征後、フランス等から招請されてイギリスにやってきました。
 イギリスでユダヤ人は、欧州にいた時と同様、もっぱら商業と金貸し業に従事しました。当時はキリスト教徒は利子をとることが禁じられていた(注1)ことから、キリスト教世界では金貸し業はユダヤ人が独占的に行っていました。イギリスでユダヤ人がカネを貸した相手は主として貴族と国王です。

 (注1)旧約聖書はユダヤ人同士で利子をとることを禁じているだけだし、新約聖書には利子に係る記述は出てこないが、中世教会法ではキリスト教徒が利子をとることを禁じていた。ちなみに、ドイツでは16世紀から利子を解禁したが、フランスではフランス革命後ようやく正式に解禁された。(http://www.newadvent.org/cathen/15235c.htm。9月20日アクセス)

 ユダヤ人の繁栄とその繁栄達成の手段はイギリス人の妬みと反感を募らせていきます。
 1114年に、ユダヤ人がイギリス人の少年を儀式殺人(blood libel)の対象にしたというあらぬ噂がたち、暴徒がユダヤ人居住区を襲います(William of Norwich事件)。
 1189年にイギリス国王のリチャード1世も参加する第三次十字軍が決定されるとその経費を確保するため、一般のイギリス人は1/14の動産税を課されていたのにユダヤ人は1/4もの重税を課されました。この結果、ユダヤ人は当時のイギリスの人口の1/4%しか占めていなかったというのに、税収の8%を負担させられたのです。しかし、十字軍によるキリスト教原理主義の喚起は(ユダヤ人はキリストを十字架にかけた元凶だとして)反ユダヤ人感情を高揚させ、またもやユダヤ人居住区は暴徒の襲撃を受け、焼き討ちされます。
1194年にリチャード1世が十字軍遠征から帰国すると、ユダヤ人の財産が焼き討ちされたりして散逸するのを防ぐという名目で、王室はユダヤ人財産目録(Exchequer of the Jews)作成を始めます。そして王室は、この目録をベースにユダヤ人からあらゆる名目で恣意的に税金を収奪するようになります。
 このため、ユダヤ人は貸し金の利子をあげざるを得なくなります。しかしこれは、イギリス人のユダヤ人に対する憎しみを一層増幅させることになりました。
 1217年には、イギリスのユダヤ人は全員胸に黄色いバッジを付けることが義務づけられます(注2)。

 (注2)その700年以上も後に、ナチスドイツがその支配下のユダヤ人に同様のことを行った。何とドイツ人の晩生であることか。もっともその先でナチスドイツが行ったホロコーストは、イギリス人(「中世」のイギリス人を含む)の想像力を超える蛮行だ。

 1255年には二度目の少年儀式殺人事件(もちろん噂に過ぎない)が起こり、反ユダヤ人暴徒の激高をおさめるため、当局はユダヤ人100名を処刑します(Hugh of Lincoln事件)。そして儀式殺人の対象となったと目された少年は、後にカトリックの聖人に列せられます。
 1265年にはイタリアの銀行家達がイギリス王室への貸金業務に参入し、王室にとってユダヤ人の効用が著しく低下します。イギリス王室は待ってましたとばかりに1269年、ユダヤ人が土地を所有することを禁じ、更にユダヤ人による遺産相続を禁じ、相続財産は王室が没収することとしました。いわばこの時点で、イギリスのユダヤ人は奴隷的境遇に陥れられたことになります。
 1290年にはついにユダヤ人は全員イギリスから追放されてしまいます。この時、16,000人ものユダヤ人が泣く泣くイギリスを離れ、フランス等に逃れるのです。

2 シャイロック像の構築

 イギリスにおけるユダヤ人不在期間は、それから350年の長きに及ぶことになるのですが、この間、イギリスでユダヤ人観のステレオタイプ化が進みます。シェークスピアの「ベニスの商人」に登場するシャイロックでこのステレオタイプ化は最高潮に達します。
 これに至るプロセスは次の通りです。

(続く)