太田述正コラム#9205(2017.7.9)
<2017.7.8東京オフ会次第(続)>(2017.10.23公開)
O:文禄・慶長の役についてだが、現在の日本人の大半が抱いているところの、秀吉が呆けたせいだ、的な認識は、徳川幕府によって歪曲された歴史に基づく、誤った認識だと思えばよい。
 かなり前から、私は、秀吉が明の征服に乗り出したのは、スペイン/ポルトガル帝国の支那や日本支配の機先を制するためだった、という説を援用してきた(コラム#省略)ところ、(その後のコラム(#省略)で、フェリペ2世が明征服を考慮した上、最終的にその計画を中止したという史実があったという話を書いたが、この説が裏付けられた思いがしたものだ。秀吉とフェリペの判断の前提としてあったのは、16世紀末の明が衰亡、弱体化しているという情勢認識だったはずであり、かかる情勢認識を、フィリピンのスペイン総督、ひいてはフェリペに伝えたのは、東アジア一帯で宣教活動ないし、宣教活動のフィージビリティ調査を行っていたところの、)カトリック教会の宣教師達(であったわけだが、彼ら)は、(日本での宣教活動の生殺与奪権を握っていた)秀吉に(も同じような、)明についての情勢認識を伝えていた可能性が高い、と私はふんでいる。
 この状態は、文禄・慶長の役が始まってからも続き、秀吉は、側近の石田三成らよりも、より確度の高い、明や李氏朝鮮内の情報を、最後まで得ていた可能性だってある、とも。
 大体からして、秀吉は、一介の水飲み百姓から日本の最高権力者にまで成り上がった人物であり、そんなことができたのは、彼が情報収集分析の天才だったからのはずであり、国内の情報だけでなく、国際的な情報についても同じことが言えない方がおかしい。
D:ところで、現在、世間を騒がしている松居一代は、典型的な精神分裂症ではなかろうか。
O:但し、彼女、夫の船越英一郎に対して手も足も出していたらしいが、女性から男性に対する家庭内暴力は、日本じゃ決して珍しくないはずだ。
 これは、ちゃんと調べたわけではないのだが、日本以外の世界では極めて珍しいのではなかろうか。
 平均的に男女間には顕著な体格差や筋力差があるにもかかわらず、日本でそれが決して珍しくないのは、日本が女性優位社会であって、暴力をふるわた男性の側が、基本的に反撃しないからだ。 
 豊田議員による男性秘書への暴力だって、(家庭内暴力ではないが、)車という密閉空間内での暴力であり、通常は恐ろしくて暴力などふるえないはずだ。
E:それにしても、最近の官僚出身の政治家は、どうして残念な人が多いのだろうか。
O:戦前はもちろん、戦後もしばらくの間は、次官や局長まで行ってから政治家に転身し、政界でも活躍した、官僚あがりの政治家がいたものだが、戦後しばらく経つと、(一つには、社会全体の平均寿命の延伸もあり、局長や次官に就任する年齢が高くなったこと、もう一つには、)政界が年功序列の世界になってしまっていて、次官や局長まで務めてから政治家に転身しても活躍できるまでに時間切れになってしまうことから、転身する人が殆どいなくなってしまい、その反面、次官や局長になれそうもないと見極めをつけた、いわばダメ官僚しか基本的に政治家に転身しなくなったからだ。
 もとより、より根本的には、以前から私が累次指摘してきているように、戦後、日本が米国の属国化したことによって、中央政治が、広義の安全保障と基本的に関わりのないところの、地方政治的なものに成り下がったことから、中央政治の魅力が大幅に低下してしまった、ということがあるわけだ。
 そもそも、政界の年功序列化なんてことが起きたこと自体、中央政治家において、広義の安全保障の任に当たる(ために不可欠な、瞬発的知力や強靭な体力の)必要がなくなったからだ。