太田述正コラム#0483(2004.9.25)
<イラク情勢の暗転?(その3)>

 ここで、スンニ派地区の中で、思いがけない展開を経て、現在最もひどい状況を呈しているファルージャについて触れておきましょう。
 バグダッドの西方60km弱に位置するファルージャは、不穏分子の巣窟となり、米警備会社の要員四名が殺戮され、遺体が冒涜された直後に米軍が攻勢をかけたものの、ファルージャの一般市民に数百人の死者が出たこともあって米軍に非難が集まり、攻勢3週間目に、主としてファルージャ出身者からなる治安部隊(ファルージャ防衛隊=Fallujah Brigade)を急遽編成し、市内の治安回復はこの部隊にまかせて米軍はファルージャ郊外に引き揚げたこと、そしてファルージャの治安が回復したかに見えたこと、は以前ご説明しました(コラム#314、319、320、322、336、341)。
 以上が4月の状況です。
 ところが、(イ)・(ウ)・(エ)の三派がゆるやかに連携しながらファルージャを壟断する状況に変化は生じず、今では(イ)の主導権の下、タリバン的統治がファルージャで行われるに至っています。
 すなわち、イスラム法(シャリア)が施行され、酒も欧米風理髪店も御法度になっています。
 この間、8月には鳴り物入りで創設されたファルージャ防衛隊が解散に追い込まれ、ファルージャを含むアンバル(al-Anbar)県の副知事は誘拐され、県知事は三人の息子が誘拐されて屈辱的な辞任に追い込まれ、県警本部長は不穏分子側に寝返った嫌疑と汚職の嫌疑で米軍に逮捕され、ファルージャに「駐留」することとなったイラク政府の治安部隊(旅団)の部隊長が誘拐され殺害されるという具合に、ファルージャはかつてより一層ひどい梁山泊的状況にあります。
 ところが米軍は、羮に懲りて膾を吹くといったおもむきであり、年末にイラクの治安部隊の錬成訓練が完了し、米軍が不穏分子を掃討した後イラクの治安部隊にファルージャの治安維持をまかせられるようになるまでは、不穏分子の根城に空爆をかける以外はこのままの状態に放置する方針です(注4)。
(以上、http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1302042,00.html(9月11日アクセス)による。)

(注4)9月中旬に統合参謀本部に転任した、ファルージャ担当米海兵師団の師団長であった中将は、米民間人の虐殺への復讐心に引きずられて、ファルージャに早期に攻勢をかけすぎたし、かけた以上は市内完全制覇まで後数日作戦を継続すべきだった、と上層部批判を行った(http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-fallouja13sep13,1,4053313,print.story?coll=la-headlines-world。9月14日アクセス)。

3 予想外であったこと

 ふりかえってみれば、サドル派民兵(ア)、アルカーイダ系「戦士」(イ)、旧体制派ゲリラ(ウ)、不穏市民グループ(エ)、犯罪諸グループ(オ)の五つの不穏分子中、(ア)と(エ)、とりわけ(エ)の出現は米英にとって、そして私にとっても予想外でした。
 (ア)と(エ)が出現したということは、それぞれイラクの世俗化と近代化が思ったほど進展していなかったことを意味します。(世俗化は近代化の一環と考えられて来ましたが、最近の米国の動向(コラム#456、458等参照)を見ていると、この二つは区別した方がよさそうです。)
 イラクはもともと英国の統治を受け、その後バース党というファシズム政権下で世俗化・近代化が更に急速に進んだはずであったところ、1991年の湾岸戦争の後、国連の経済制裁下でなお政権の維持を図るため、フセイン大統領がイスラム教と部族主義的伝統主義を復活させたことがこれほど「成果」をあげていたとは、米英の諜報機関やメディアをもってしても把握できなかったのです。(米英両政府ともイラクに大量破壊兵器があると信じて疑わなかったくらいですから、閉鎖的な社会の実態を把握するのは容易でない、ということなのでしょうね。)
 米英の情報に拠っている私としても、とんだ予想違いをしてしまった次第です。
 (エ)のような不穏分子は、近代文明そのものであるアングロサクソン文明がその他の文明(=非近代文明)に接触したところでは、殆ど常に出現するのであって、イラクが非近代的な社会に戻ってしまっていたとすれば、(エ)が出現したのは少しも不思議ではないのです。

(続く)