太田述正コラム#0496(2004.10.8)
<無神論と神不可知論(その1)>

1 無神論について

無神論(atheism)とは、神または神々など存在しないとする信条です。
代表的な無神論者として挙げられるのは、18世紀はエルヴェティウス(Claude Adrien Helvetius。1715??71年)(注1)、オルバック(Paul Henri Thiry, Baron d’Holbach。1723??89年)(注2)、ディドロ(Denis Diderot。1713??84年)(注3)、ラメトリー(Julien Offray de La Mettrie。1709??51年)(注4)、19世紀はフォイエルバッハ(Ludwig Feuerbach。1804??72年)、マルクス(Karl Marx。1818??83年)、ニーチェ(Friedrich Nietzsche。1844??1900年)、そして20世紀はフロイト(Sigmund Freud。1856??1939年)(以上、http://atheisme.free.fr/Religion/What-is-religion-1.htm以下。10月1日アクセス)とモノド(Jacques Monod。1910??1976年)(注5)(http://www.csmonitor.com/2004/0803/p16s01-bogn.html?s=ent。8月3日アクセス)です。

(注1)フランス百科全書派の一人(http://www.bartleby.com/65/he/Helvetiu.html。10月7日アクセス)。
(注2)元来はドイツ人だが、フランス人の伯父の莫大な財産を相続し、パリで思想家達のサロンを営んだ(http://skepdic.com/holbach.html。10月7日アクセス)。ドルバックと呼ぶべきか?
(注3)正確に言えば、ディドロはその生涯の一時期無神論者だった。百科全書(上掲)の編集者。ロシアの女帝エカテリーナ2世の庇護を受ける。(http://www.iep.utm.edu/d/diderot.htm。10月7日アクセス)
著書「ラモーの甥」(小説)、「ダランベールの夢」(哲学書)等が邦訳されている。
(注4)プロイセンのフリードリッヒ大王の庇護を受ける(http://www.slider.com/Enc/L/La/LaMettri.htm。10月7日アクセス)。著書「人間機械論」が邦訳されている。
(注5)1965年にノーベル医学・生理学賞を受賞(http://www.answersingenesis.org/docs/3809.asp。10月7日アクセス)。

これを見ると、18世紀はすべてフランス人、19世紀はすべてドイツ人、そして20世紀はオーストリア系ユダヤ人とフランス人であり、アングロサクソンは一人も含まれていません。
つまり、無神論は欧州文明だけに見られる特異な信条なのです(注6)。

(注6)オックスフォード大学神学教授のマックギル(Alistar McGrath)は、無神論者として、オルバック・フォイエルバッハ・マルクス・フロイト、そしてモノドのほかに英国人のダーウィン(Charles Darwin)を挙げている(前掲クリスチャンサイエンスモニター・サイト)。しかし、チャールスの父の「無神論」者ロバートは、息子が牧師になれば生活費を確保した上で好きなことができると考え、あえて息子チャールスをケンブリッジ大学に送り、神学の学位を取らせている。チャールス自身、自分が「無神論」者であることを生涯基本的に隠し続けた。(http://www.parentcompany.com/csrc/cdagenda.htm。10月7日アクセス)
これでは到底ダーウィンらは「無神論」者であったとは言えない。ダーウィンも、その父も神不可知論者(後述)だというべきだろう。

 また、無神論の全盛期は1789年のバスチーユ監獄襲撃(フランス革命)から1989年のベルリンの壁の崩壊までであり(前掲クリスチャンサイエンスモニター・サイト)、(私の言うところの、)欧州文明によるアングロサクソン文明への最後の軍事的挑戦が行われた時期と合致しています。

2 神不可知論を通して見た無神論

 これに対し、神不可知論(Agnosticism)とは、英国人のT.H. Huxley教授が、1876年に開催された英形而上学会で初めて用いた言葉であり、神または神々の存否については現時点では、あるいは永遠に不可知である、という信条を指しています(http://www.infidels.org/news/atheism/intro.html#agnosticism。10月1日アクセス)。
 このように、この言葉が英国で生まれたところに、神不可知論がアングロサクソン文明における宗教意識の産物であることが推察できるのです。

(続く)