太田述正コラム#9421(2017.10.25)
<定住・農業・国家(その9)>(2018.2.7公開)
 (5)農業社会
 「著者は、まず(調理と地域を啓開するための)火の使用を通じたところの、次いで、(有用、かつ、破壊的であった)植物類と動物類の栽培化/家畜化を経由したところの、何十万年もの物理的環境に対する人間の介入の最終段階として、国家形成を見ている。
 これらの諸過程は、彼が「食事の半径」・・生命を維持する物を獲得するために人々がどれだけ遠くへ行かなければならないか・・と呼ぶところのものを次第に減少させて行き、それはまた、人間の移動性についても、次第に減少させて行った。
 我々の祖先達がこれらの注意深く管理された共生的諸関係に依存するようになればなるほど、最初は諸穀物と家畜が絶え間ない世話が要求されたこと、後には、ある意味で、人間たる主人達によって同様の要求がなされたこと、によって、不可逆的に彼ら自身が家畜化されて行ったのだ。
 ・・・<こうして、彼らの>物理的福祉(wellbeing)は悪化した。
 しかし、死亡率の上昇が、更に高まった諸出生率によって相殺される限りにおいて、定住化、及び、耕作と<家畜の>群れ飼い、は生き残ることとなった。」(A)
 (6)国家
 「それが「世界で最初の「無垢の(pristine)」国家群の核心地」であることから、著者は、彼の説明の焦点をメソポタミアに当てる。
 「無垢の」という言葉は、ここでは、これらの国家群が、それ以前の定住地群の母斑(watermark)を残しておらず、かつ、かかる社会的組織群が存在することになった最初の時であること、を意味している。
 これらは、書かれた諸記録を持つこととなる最初の国家群だったし、これらは、近東とエジプトにおける他の国家群のひな型となったことから、これらを、後の歴史にとって二重に意義あるものにした。」(B)
 「で、我々の祖先達が、複雑な食糧諸供給の網から単一の穀物類の集中した生産へと切り替えたのは、一体どうしてなのだろうか?
 我々には分からないが、著者は、気候変動が関わったのかもしれないと想像している。<(注17)>
 (注17)「人類が農耕を開始した理由については、狩猟・採集に頼った慢性的な飢餓状態から脱するためという説や、気候変動によって狩猟採集生活が不安定となった果てに穀類採取を行うようになったという説、これ以前に人口増加がおき狩猟・採集生活における臨界点を突破したため、それまで食料と認識されていなかった穀類採取を行うようになったという説・・・など諸説ある。また、定住生活を始めたことにより必然的に農耕・牧畜を始めるに至ったという説もある。
 農耕を開始した時期についても諸説あるが、・・・紀元前1万年から紀元前8000年頃にシュメールで始まり、これとは独立して紀元前9500年から紀元前7000年頃にインドやペルーでも始ま<り、>・・・その後、紀元前6000年頃にエジプト、紀元前5000年頃に中国、紀元前2700年頃にメソアメリカでも開始されるに至った<、といった説がある。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%9F%B3%E5%99%A8%E9%9D%A9%E5%91%BD
 
 とはいえ、二つのことは明確だ。
 第一には、何千年にもわたって、農業革命は、それを生き抜いた大部分の人々にとって災難だったことだ。
 化石の記録は、農業者達の生活が狩猟採集者達のそれよりも厳しかったことを示している。
 彼らの諸骨は、食餌上のストレスが存在していた証拠を示している。
 それらの諸骨は、より短く、より病的であり、彼らの死亡率は高くなった<、と思われる>。
 家畜化された動物達に近接して生活したことが、諸種間の障壁を超えた諸疾病をもたらし、稠密に定着した諸コミュニティの中で大惨事を引き起こした。
 著者は、それらを、町群ではなく、「新石器末多種再定着収容所群(late-Neolithic multispecies resettlement camps)」、と呼ぶ。
 一体、誰がこれらのうちの一つで生活することを選ぶと言うのだろうか。
 ジャレド・ダイヤモンド(Jared Diamond)<(コラム#1023、1882Q&A、3769、5637、5643、5966、6917、7218、7422)>は、新石器革命を「人間の歴史の中で最悪の間違い」、と呼んだ。
 この主張について驚くべきことは、この時代に係る歴史学者達の間で、それが、さほど議論を呼ばなかったことだ。
(続く)