太田述正コラム#9439(2017.11.3)
<定住・農業・国家(その16)>(2018.2.16公開)
 一方で、著者の視点はかなりの利点がある。
 近代初期の欧州における、より強力な国家群の創造は、高くついたところの、暴力的で、時には、殆どシジフォス的任務だった。
 ローロ・マーティンス(Lauro Martines)<(注32)>の本である『猛威–欧州における戦争1450~1700(Furies: War in Europe 1450–1700)』は、生き生きとした、そして、時にグロテスクな、諸詳細でもって、近代初期の欧州における戦争遂行に伴う諸暴虐・・抵抗する小作人達から剣と槍を突きつけて抽出された諸税、諸軍に強制徴募集された兵士達の、下痢、チフス、その他の諸疾病、に罹ることによる歩く柱群(walking columns)化、日常化した諸強姦、諸焼き討ち、そして、拷問、・・を文書化している。
 (注32)1927年~。米国の歴史学者(イタリア・ルネッサンス専攻)。[元]カリフォルニア大ロサンゼルス校欧州史教授。
https://www.babelio.com/auteur/Lauro-Martines/69114
https://www.goodreads.com/author/show/149083.Lauro_Martines ([]内)
 それは、一体、何のためのものだったのか?
 フランスはロレーヌを獲得するため、イギリスはアイルランドを植民地にするため、ハプスブルク家の皇帝はオランダとドイツの叛乱者達をこらしめるため、か?
 現場<感覚>で欧州の国家形成の諸コストをざっと検証すると、著者の国家に対する極端な懐疑主義は、完全に正当化される、いや、言い足りないとさえ言えるかもしれない。
 しかしながら、他方で、無数の学者達が、この、戦争と暴力の大釜は、1800年以降における近代国家群・・それまでのに比べて、よりはっきりと、よりリベラルでより非暴虐的な国家群・・の興隆をもたらした。
 仮にこれらの諸議論が意義があるとすれば・・私はあると思うが・・、著者の国家への満腔からの懐疑主義なるプロジェクトはシーブライトによって光が照射された問題にまさにぶちあたる。
 <だから、>国家の破壊性の全兆候群を、少なくとも若干の政治的秩序の諸形態と関連して可能であると考えられる諸便益とを比較衡量(set against)しなければならないのだ。
 (著者のために弁ずれば、彼は無政府主義に関する彼の本の中で、この案件と格闘はしている。)・・・
 恐らくのところ、近代国家の出現は、実際、18世紀欧州で始まった、資本主義的な富の爆発への道を整えることに積極的な役割を演じた。
 国民国家群による、言語、度量衡、不動産所有権の登記、地図、が、産業革命への点火に資したかと言えば、必須ではなかったのかもしれない。
 すなわち、このような標準化が、(民営諸鉄道が、カナダと米国で「標準時間」諸圏を創造したのと概ね同じ形で、)純粋に私的諸活動を通じて出現する可能性だってあったのかもしれない。
 しかし、<掌握>範囲と力の双方において成長する国家が、必然的に、起業家的(entrepreneurial)資本主義が確立し開花する諸展望を減少させる、という<見方>が間違っていること<だけ>は<少なくとも>確かなように見える。」(C)
⇒(第一次)英仏百年戦争の結果として、英仏が切り離され、イギリスが国民国家化し、フランスも国民国家的になったのが、欧州文明地域における(戦争遂行機構たる)国民国家群、すなわち、近代国家群、の形成機運をもたらし、まず、国民国家群の連鎖的形成が行われ、次いで、イギリス(アングロサクソン)文明の、いびつな・・議会主権は継受せず、かつ、階級社会を残したまま、換言すれば、個人主義/人間主義的、な部分は皮相的にしか継受しないまま、という意味でいびつな・・総体継受が行なわれた、というのが私のかねてからの主張であること(コラム#省略)、を思い起こしてください。
 このシリーズでも既に触れたように、この継受の核心は、(国と企業に係る)固い組織、と、市場、の二つの並行的継受であったわけであり、そう考えれば、著者やこの書評子が提起した問題は、問題でも何でもないわけです。(太田)
(続く)