太田述正コラム#14732(2025.1.29)
<池上裕子『織豊政権と江戸幕府』を読む(その16)>(2025.4.26公開)

 「フロイスはいう、信長は「みずからが神体である」といい、諸国で崇敬されている偶像(仏像など)を安土に集め、それらをしておのれを崇拝させようとしたと。
 日本の「国王」となり、東アジア世界の皇帝を夢みた信長は天主にその思いをこめるとともに、摠見寺をその西に、しかも下位に造ることによって、民衆に現世の幸福をもたらす神としての自己をも創出するに至った。
 そうして、世俗世界と宗教世界の二つの頂点に立つ自分を可視的に位置づけた。
 信長が天正9年天皇の譲位を求めたのは、新天皇を自分の居処より下段にある本丸御殿に迎えるためであろう。
 安土山の山腹に段々に家臣の屋敷を構えさせたのも、信長を頂点とするヒエラルヒーを可視的に表現する。」(129~130)

⇒「織田信長<は、>出陣するに際し、大覚寺、仁和寺、青蓮院、醍醐寺三宝院、同理性院など京都の寺院、摠見寺、また上賀茂社、松尾社、多賀社などの神社や伊勢御師などに対して祈禱を依頼していた・・・。また年頭の祝儀として祈禱を行う御師や寺社に対しても感謝の言葉を伝えていた・・・。言い換えれば、信長は戦場における神仏の加護を、少なくとも一般的な戦国大名同様に重視していた<。><(α)>・・・
 <また、そもそも、>織田家には法華信仰が存在していた<。(β)>」(神田千里「ルイス・フロイスの描く織田信長像について」より)
https://www.bing.com/ck/a?!&&p=6285630eacb962e359ea8e5dc275181d0f495331809b23f0338e175a822f24b6JmltdHM9MTczNzg0OTYwMA&ptn=3&ver=2&hsh=4&fclid=00cb7a4f-890f-66e8-130d-6f15880a6721&psq=%e4%bf%a1%e9%95%b7+%e7%a5%9e&u=a1aHR0cHM6Ly90b3lvLnJlcG8ubmlpLmFjLmpwL3JlY29yZC84MTY3L2ZpbGVzL3NoaWdha3VrYWhlbjQxXzA0OS0wNzYucGRm&ntb=1
といった史実に照らせば、「ヤマト王権の勢力が日本の東西に広まるにつれ、古くから日神崇拝の聖地として中央にも知られていた伊勢の地を大王の聖地とし、皇祖アマテラス大神として信仰するようになっていった。「遅くとも6世紀前半」「どんなに遅く見積もっても6世紀末以前」には皇祖神の天照大神として伊勢神宮に祭られていたという。 また、大王自身も「カミ」を祭る<こと、すなわち、>・・・神事・・・が本来の主要な任務であったとされ<た>。・・・
 <しかし>、鎌倉時代から戦国時代になると、戦乱により多くの祭祀が中断することになった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E4%B8%AD%E7%A5%AD%E7%A5%80
、と、天皇が神社の神官の元締め的な存在であることに照らせば、αから、信長は、天皇を「少なくとも一般的な戦国大名同様に重視していた」と見るべきでしょう。
 そして、「日蓮聖人は<、>・・・天竺、震旦、<よりも>日本は優れている<、>・・・越えてる<、>・・・と・・・いう理解があるわけです。その根拠として、・・・「其上神は又第一天照太神・第二八幡大菩薩、第三は山王等三千余社、昼夜に我国をまほり、朝夕に国家を見そなわし給。」即ち、・・・神に守護されている、そういう国が日本だと、いう風にこれを捉えておられた<。>・・・
 <また、>釈迦仏は、譬えば我国の<主上(天皇)>のごとしと書いて<い>ます。・・・ということは、天皇が、日本国の中での至高の存在であると認めているように取ることができます。」(藤﨑善隆「日蓮聖人と国家」より)
https://genshu.nichiren.or.jp/genshu-web-tools/media.php?file=/media/shoho41-12.pdf&type=G&prt=1218
という、日蓮の神道観、日本観、天皇観に照らせば、βから信長を日蓮宗の事実上の信徒であると見るべきである以上、信長もまた、日蓮と同様の神道観、日本観、天皇観を抱いていた可能性が大でしょう。
 よって、「現在は、信長は<、>天皇や朝廷と・・・融和・・・協力的な関係にあったとする見方が有力となっている」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7 前掲
という現在の有力説・・上掲は池上もそうだとしているが、私には、彼女は対立・克服説のように見える・・ですら、信長の天皇観を上下関係ではなくあたかも対等のギブアンドテイク関係にあったかのように見ている点で、ほぼ間違いなく誤りである、と、私は断ぜざるをえません。(太田)

(続く)