太田述正コラム#14854(2025.3.31)
<遠藤誉『毛沢東–日本軍と共謀した男』を読む(その25)>(2025.6.26公開)

 「・・・岡村寧次<は、>・・・降参している日本軍に対して、・・・激しく中共軍が武装解除を要求してきた・・・<と>書<い>ている。・・・
<他方、>蒋介石<側は、>・・・1年間にわた<って>元日本軍の復員と日本居留民の引き揚げ作業<を>優先的に行<い、>・・・国民党軍の異動や物資補給に必要な列車や船を総動員したため、終戦後に始まる国共内戦に対して、スタート時点で国民党軍は中共軍に遅れを取ってしまう。・・・
 何応欽は、「日本兵の復員のために中華民国が所有していた船舶の8割を割き、列車も7割から8割は日本人の引き揚げおよび元日本軍の復員に当てた」と回顧している。・・・

⇒このあたりのことについては、ネット上に殆ど材料がなく、検証のしようがありませんでした。(太田)

<これが、>私たちのとなりに中国共産党が統治する国が生まれてしまった原因の一つなのである。

⇒いずれにせよ、いくらなんでもそんなことは言えない、と、直感的に思います。(太田)

 日本人は、この事実を絶対に忘れてはならない。・・・
 蒋介石には不利な状況が重なっていた。
 戦時中、アメリカのルーズベルト政権内では、コミンテルンのスパイ(ロークリン・カリー大統領補佐官、ハリー・デクスター・ホワイト財務次官など)が暗躍し、延安で毛沢東に会い毛沢東を絶賛したジャーナリストたち(アグネス・スメドレーなど)が影響を及ぼしていた。
 そのためルーズベルトは完全に「共産党陣営」の虜になっていたのだ。・・・

⇒コミンテルンのスパイなんぞでは全くない、「中国・ビルマ・インド戦域米陸軍司令官<の>・・・ジョセフ・スティルウェル・・・<が>見抜いていた<ところの、>・・・中国国民党軍<(=蒋介石政府)>の腐敗と弱小ぶり」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%BB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AB
に遠藤が全く言及しないのは、私には到底理解できません。(太田)

 日本の軍部がかつてどれほど愚かな方向に進み、中国や韓国を含む周辺諸国の民にどれだけの危害を加えたか、そして結果的に日本国民自身にもどれだけの被害をもたらしたかは、今さら言うまでもないだろう。
 しかしその日本軍と共謀して国民党軍の兵士を殺させたのは、いま天安門にそびえたっている、あの毛沢東だ。
 そして、その中国共産党政権を誕生させることに貢献したのは、ほかならぬ日本軍だったのである。
 この皮肉な事実を、われわれはどのように位置づけ、消化していけばいいのだろうか?
 日本はたしかに日露戦争により西側列強による日本の植民地化を防ぐことに成功している。
 そこまでは孫文も蒋介石も、毛沢東さえも高く評価し礼賛している。
 もし日本がその時点で戦場の拡大をとめておくことさえできていれば、中共軍は絶対に強大になることはできなかっただろう。
 その結果、いま日本の隣にある「中国」は「中華人民共和国」ではなく「中華民国」だったにちがいない。
 このことは毛沢東自身が認めていることであり、だからこそ皇軍に感謝しているのである。」(221、223~225、263)

⇒遠藤を始めとする日本の識者のほぼ全員が、明治維新以降の日本史について、司馬遼太郎史観的なものを当然視しているところ、この種の史観の呪縛を逃れる、思考実験的努力すら怠る者ばかりであると思える以上、私としては、呆れ、ため息をつき、いかんともし難いと突き放すほかありません。(太田)

(完)