太田述正コラム#9477(2017.11.22)
<石野裕子『物語 フィンランドの歴史』を読む(その16)>(2018.3.8公開)

 「第一次世界大戦後、ヨーロッパでは多くの独立国家が誕生した。
 フィンランドは、同じ新興国であり隣国であるエストニア、ラトヴィア、リトアニアのいわゆるバルト三国およびポーランドと手を結んで、1922年に安全保障条約を締結しようとした。
 だが、ソヴィエト・ロシアの反対で失敗に終わる。
 その後フィンランドは、1920年に加盟した国際連盟を軸に自国の安全保障を模索していくことになる。・・・

⇒その「模索」の一事例がオーランド諸島(注32)帰属問題(119~121)であり、なかなか興味深いのですが、端折ります。(太田)

 (注32)「バルト海、ボスニア湾の入り口に位置する6,500を超える島々からなるフィンランドの自治領。住民のほとんどはスウェーデン系で、公用語はスウェーデン語。・・・
 オーランド諸島はフィンランドの一地方としてスウェーデン王国に帰属していたが、1809年にロシア帝国との戦争に敗れたことからフィンランドが割譲されたため、オーランド諸島もフィンランド大公国の一部としてロシア領となった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E8%AB%B8%E5%B3%B6

 独立前のフィンランドの<一人当たりの>GDPは西ヨーロッパ諸国の平均以下であったが、独立以降毎年5%の上昇を続け、一人当たりのGDPは第二次世界大戦前にはフランスやオランダに並ぶまで上昇した。

⇒ソ連(ロシア)も、スターリン主義下で、当時の日本を超える高度経済成長をしていたものの、最初の水準が低かったこともあり、一人当たりGDPで仏蘭に追いつく域まで到底行かなかった(典拠省略)ところ、やはり、これは、広義のゲルマン人のウェートの、フィンランドとロシアにおける違いによるところが大きい、と私には思えます。(太田)

 1921年に義務教育違法が制定され、猶予期間が設けられたものの、7歳から13歳までの子どもが義務教育を受けることになった。・・・

⇒「1900年に尋常小学校の授業料が無料になるなどした結果、1915年には通学率が90%を超え<た>」日本
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E5%8B%99%E6%95%99%E8%82%B2#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E7.BE.A9.E5.8B.99.E6.95.99.E8.82.B2
に比べて、帝政ロシアにせよ、フィンランドにせよ、いかに義務教育化が遅かったか、ということです。(太田)

 フィンランドでは、ロシア帝国統治時代の1840年代からアルコールをめぐる問題が訴えられるようになり、70年代から社会問題となっていた。
 その背景には宗教的な強い倫理観があった。・・・ 
 牧師の家庭出身・・・のエリアス・ロンルート<(前出)>も禁酒運動の賛同者であった。・・・
 <こうして、>1919年に禁酒法<が>成立<した。>・・・・
 禁酒法で有名なアメリカ合衆国憲法修正第18条が施行される1年前のことである。
 しかし、アメリカと同様効果はな<かった。>・・・
 結局、1931年末に禁酒法廃止の是非を問う国民投票が実施され、廃止賛成が70%で、翌年2月に廃止された。」(121、125~126、129、142~143)

⇒米国の場合は、確かに、宗教・・より絞って言えばリベラルキリスト教・・的理由だったけれど、フィンランドの場合は、スウェーデンかロシアか、というアイデンティティの問題だったのではないか、という気が私にはします。
 現在の一人当たりアルコール消費量(純アルコール換算ベースでのアルコール消費量)を見ると、ロシアが21位、スウェーデンが60位であるのに対し、フィンランドは40位です。
 (これら以外の各国の順位を見渡すと、全般的には、(イスラム諸国が下の方に固まっているのはともかく、)一人当たりGDPの順番だな、という感じですが・・。
 ちなみに、日本は55位です。)
https://www.globalnote.jp/post-3958.html (太田)

(続く)