太田述正コラム#9483(2017.11.25)
<石野裕子『物語 フィンランドの歴史』を読む(その19)>(2018.3.11公開)

——————————————————————————-
[ソ連の戦争目的と勝敗]

 石野の念頭には、もちろん、私の、モンゴルの軛的ロシア観はないだろうが、この史観に立てば、ロシア、改め、ソ連、が、ナチスドイツの、対ソ手打ち要請を奇貨として、東欧における帝政ロシア領の回復を図ろうとしたのは当然だ、ということになる。
 分からないのは、どうして、独ソ不可侵条約の秘密協定中で、フィンランドについてだけは、その全体ではなく、わずかに、カレリア地方、だけの、ソ連による回復が謳われているのか、だ。
 (まだ独ソ戦争が始まっていなかった、)冬戦争開始時には、ソ連は、事実上のフィンランド全体の回復を掲げたのだからなおさらだ。
 ドイツ側が強く反対したのか、そうだとして、その理由は何だったのか。
 本件の解明は他日を期したいが、いずれにせよ、石野の言うように、「フィンランド政府は、当時ソ連のドイツへの危機意識に気づいていなかった」どころではなく、同政府は、モンゴルの軛的(な領土・勢力圏拡大症候群に憑りつかれた)ロシア観を抱いていたからこそ、ソ連の、フィンランドに係る、領土・勢力圏拡大要求に一切応じようとせず、来たるべきソ連との戦争への備えを怠らなかった、というのが私の見立てだ。
 このように見た場合には、冬戦争で、全体の併合を免れ、カレリア地峡等を奪われたことだけで済んだのだから、フィンランドは勝利した、という判定になりそうだ。
——————————————————————————-

 「<冬>戦争が終わってもフィンランドの危機が去ったわけではない。
 冬戦争が終結した翌月、つまり1940年4月から6月にかけてノルウェー、デンマークは瞬く間にドイツに占領される。
 スウェーデンは中立をかろうじて保ったものの、ドイツ軍の領土通過を認めざるを得ない状況にまで追い込まれていた。
 6月にはバルト3国、すなわちエストニア、ラトヴィア、リトアニアがソ連に併合される。
 フィンランドの危機意識は高まっていく。・・・
 1940年8月、ノルウェー北部を占領していたドイツは、軍のフィンランド領内通過を求め、フィンランドはそれを受け入れる。
 その見返りとして、フィンランドはドイツから武器を調達する。
 その後フィンランドはドイツにニッケルとパルプ製品を、ドイツは穀物をフィンランドに輸出するなどの協力体制が布かれた。・・・
 1940年12月、ドイツからソ連侵攻計画「バルバロッサ作戦」<(注36)>へのフィンランド軍の参加が要請される。

 (注36)「作戦名は神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ1世のあだ名「Barbarossa」(「赤ひげ」、イタリア語のbarba「あごひげ」+rossa「赤い」 )に由来する。フリードリヒ1世は伝説的な人物で、民間伝承によると現在も眠り続けており、ドイツに危機が訪れた時に再び目覚めて帝国に繁栄と平和をもたらすとされた。それにあやかっての命名、また第3回十字軍総司令官として戦果を残し、ボヘミア王国とハンガリー王国に神聖ローマ帝国の影響を拡大した実績から、対ソ戦にふさわしいと判断されたと考えられている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B5%E4%BD%9C%E6%88%A6

 翌1941年5月にはドイツ軍はフィンランド軍と直接接触し、交渉が行われた。
 その過程で、ドイツ軍のソ連侵攻時にフィンランド軍も動員することが確認される。
 また、非ドイツ人武装部隊への参加も要請され、1200名のフィンランド人が義勇兵として参加した。
 ただし、フィンラン側には作戦の全体像は知らされなかったという。・・・
 6月初旬、9万人の兵士からなるドイツの6個師団がフィンランド北部のラップランドに進駐し、ドイツ空軍もフィンランド領内の空港に到着した。
 ドイツ海軍はフィンランド海軍と協議し、エストニアのソ連海軍基地の周囲に機雷を敷設するなど、戦闘準備が整えられていく。」(161~164)

⇒私の知らなかった史実が描かれているだけに、その典拠をぜひ知りたいところです。
 帝政ロシア領であったフィンランドでのこのようなドイツ軍等の動きすら、全く気付くことなく、ソ連は、6月22日、ドイツによる先制攻撃を受け、大打撃を被ることになるところ、フィンランドが、(帝政ロシア時代のフィンランド内諜報網の遺産、プラス、フィンランド内の親ボルシェヴィキ勢力、を活用していたはずの、)ソ連の諜報網をここまで無力化できていたのはどうしてか、を、とりわけ、知りたいものです。
 単に、スターリンが、フィンランドからのものを含め、ドイツのソ連侵攻の兆候に係るあらゆる情報を無視した、ということだったのかもしれませんが・・(太田)

(続く)