太田述正コラム#9523(2017.12.15)
<渡辺克義『物語 ポーランドの歴史』を読む(その12)>(2018.3.31公開)

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[ポーランド分割]

 「ブランデンブルク=プロイセン、ロシア帝国、オーストリア(ハプスブルク帝国)が関わったポーランド・リトアニア連合領土の分割は、1772年8月5日、1793年1月23日、1795年10月24日の3度にわたって行われた。
 ナポレオン戦争後、ナポレオン・・・は、ポーランド・リトアニア共和国のポーランド王国地域をワルシャワ公国として復活させた。しかしながら、ナポレオン戦争はナポレオンの敗北で終わり、ウィーン会議の結果ポーランドは再び分割された。・・・
 広義には、1815年のウィーン会議によるワルシャワ公国の解体が第4次ポーランド分割、1939年の第二次世界大戦勃発時にナチス・ドイツとソビエト連邦が行なったポーランドの分割占領が第5次ポーランド分割と呼ばれることもある」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E5%88%86%E5%89%B2
 第1~3次分割一覧図。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E5%88%86%E5%89%B2#/media/File:Partitions_of_Poland.png
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 「<第1次分割後、>「4年国会」(別名「大国会」)が1788~92年に開かれた。
 「大国会」の別称は、国の重要な問題が議論されたことにちなんだものである。
 この国会では、軍の増強、シュラフタや教会への課税などがきめられた。
 しかし、4年国会最大の成果が5月3日憲法の制定にあることは議論の余地がない。・・・
 <この間にフランス革命が起こり進行していたが、>1791年5月3日に4年国会で採択された憲法(「5月3日憲法」と呼ばれる)は、アメリカ合衆国憲法に次ぐ先駆的なものとして知られる。
 選挙王制を廃して、スタニスワフ・アウグスト以降はザクセン家(選挙侯を出した家柄)が王位を継承すること、リベルム・ヴェトを廃止し多数決制を採ることなど<(注30)>が決められた。

 (注30)「地方貴族代表だけでなく都市代表も加えられ、代議員の任期制も導入された。・・・欧州<における>最古の憲法」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E4%BC%9A_(%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89)
 「議会(立法)・国王(行政)・裁判所(司法)の「三権分立」の原則および「法の支配」を明示しており、国王には立法権がない。実際の行政は国王に代わり議会の代表者である首相が取り仕切る「国王の評議会」が行い、これが現在の内閣に相当する(「立憲君主制」と「議院内閣制」)。名目上、国軍の最高司令官は国王であるが、大法官(カンツェシュ)は議会の代表者である首相であると同時に国軍の制服組の最高位である大元帥(ヘトマン)の職を兼ねており、実質上の国軍の最高司令官は国王ではなく首相。戦争も行政の一環であると認識されている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/5%E6%9C%883%E6%97%A5%E6%86%B2%E6%B3%95

⇒ザクセン家には、前述したように、強烈な個性を持った、ポーランド人たる一女性の血が流れていたとはいえ、あくまでもドイツ(ゲルマン)大貴族の家柄であるというのに、かかる選択を行ったことについての説明は、少しネットにあたった限りでは発見することはできませんでした。
 私自身は、直前のシリーズでも記したように、ポーランドの進路に大きな影響を与えた諸国は、かつてのスウェーデン、及び、ポーランド分割の3実行国であるところの、ロシア、プロイセン、オーストリア、の支配層はいずれもゲルマン系、就中後の3国はドイツ系、であって、当時、依然としてこれら諸国において、国王が名実ともに最高軍事指揮官であった以上、ポーランドとしても、戦争に長けているドイツ(ゲルマン)系を王家とすることが抑止力になる、という認識だったのだろう、と見ています。(太田)

 マグナトとシュラフタの権限は狭められ、一方、土地を所有したり高位の職に就いたりする道が市民に開かれた。
 また、納税は全住民の義務とされた。
 しかし、5月3日憲法は農民の権利については認めていなかった。<(注31)>・・・」(43)

 (注31)「市民と貴族(シュラフタ)とを政治的に平等と定めた」中に農民が入っていないことは事実だが、「農民を政府の庇護下に位置づけ、特にリトアニア、ウクライナ・・・など、共和国の東部地域でその悪化が見られた農奴制という悪習の軽減を図っ<ている>。」(上掲)

(続く)

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