太田述正コラム#0536(2004.11.17)
<韓国の現政権の正体(その2)>

 (前回のコラム#535で、「ノ・ムヒョン」を「ノ・テウ」と誤記してしまいました。掲示板上での二件のご指摘のほか、メールでもご指摘がありました。ありがとうございました。この訂正を行うとともに、終わりから二つ目の段落に手をいれて、このコラムをホームページの時事コラム欄に再掲載してあります。また、まぐまぐ・E-Magazine以外の購読者の方のバージョンとは異なり、終わりから三つ目の段落にも手をいれた形でもともと時事コラム欄に掲載されています。)

 もう一つは、歴史教育の左傾化です。初めて史的唯物論(要するに共産主義史観)に立脚した現代韓国史の高校教科書が出版されたのは二年前でしたが、今では韓国現代史を選択科目として提供している1415校中の701校、49.5%の高校がこの教科書を採用するに至っています。
 一体これはどんな教科書なのでしょうか。
 まず、朝鮮独立運動ではもっぱら左翼系の満州内での対日「ゲリラ戦」等の紹介がなされ、日本の降伏後の朝鮮半島の南北への分断の責任はもっぱら米国にあるかのような書き方がなされ、北半分を占領したソ連に対しては一切批判を加えていません。朝鮮戦争における金日成の責任にも殆どほうかぶりしています。また、韓国の朴政権が推進したセマウル運動(New Village Movement=農村振興運動)については長期政権を正当化するために民衆を懐柔しようとしたと貶める一方で、金日成が推進した千里馬運動(Cheollima Movement)については北朝鮮の社会主義経済建設に巨大な役割を果たしたと高く評価しています。
(以上、http://english.chosun.com/w21data/html/news/200410/200410040029.htmlhttp://english.chosun.com/w21data/html/news/200410/200410040041.html(どちらも10月5日アクセス)による。)
これは、台湾の二期目の陳水扁政権下で、満を持して着手された高校教科書(韓国同様国定教科書)改訂の方向とは対照的です。
その方向とは、中国に対する台湾の独自性を強調するというものであり、中国古代王朝から現代台湾までを網羅した現行の「本国歴史」を「中国史」と「台湾史」に分割し、孫文や中国国民党に関するもの等、日本の敗戦に伴う台湾統治終了までの大半の記述が「中国史」に移されます。また「台湾史」では、台湾「独立」論の根拠となる「台湾の地位は未定」との主張も、初めて取り上げられるとともに、国民党政権による戦後台湾での弾圧事件や戒厳令下での強権政治についても詳しく記述されます。
当然のことながら、国民党系の野党はこれに激しく反発しています。
(以上、http://www.sankei.co.jp/news/morning/17int002.htm(11月17日アクセス)による。)
つまり、台湾では国民党のファシズム史観から自由・民主主義史観へと動いているのに、韓国では自由・民主主義史観から共産主義史観へと動いているわけです。
 一体、このレトロなノ政権を生み出したものは何なのでしょうか。

4 ノ政権を生み出したもの

 (1)両班精神
まず挙げられるべきは、「李朝時代の支配階級の精神であり、「文を尊び武を卑しむ気風、激しいイデオロギー闘争、政敵との容赦ない闘い、それに実務軽視・・等々」を特徴としてい・・た・・両班精神」(コラム#404)です。
つまり、左翼が軍事政権時代まで一貫して政権を担ってきた右翼を永久に葬り去ろうとしており、過激なイデオロギーの活用を含むあらゆる策動を続けてきている、ということです。
韓国の最近の政争を、李氏朝鮮時代への先祖返りと捕らえる見方を、ニューヨーク在住の(恐らく)韓国人であるWon Joon Choeも提示している(http://www.atimes.com/atimes/Korea/FI04Dg01.html。9月4日アクセス)ことは、興味深いものがあります。

 (2)日本の「責任」
しかし、私は旧宗主国日本の「責任」もある、と考えています。
韓国民主化を支援した1970??80年代の日本の左翼の活動が、軍事政権下の韓国では当局の情報操作によって「反韓運動」にすり替えてとらえられ、反日感情の増幅・永続につながったという指摘があります(http://www.asahi.com/culture/update/1117/001.html。11月17日アクセス)。
私は、韓国の軍事政権は、北朝鮮・中共・ソ連といった表玄関からの共産主義思想の浸透は必死に防いだけれど、もともと旧宗主国日本の強い影響を受けていた軍事政権の指導者達(コラム#404)は、早晩韓国を民主化させなければならないと考えていたため、民主化運動を弾圧しつつも民主化思想の弾圧までは踏み込めず、日本からの民主化思想の流入を黙認したのではないか。そしてその結果、韓国の民主化運動は、支援の手を差し伸べた日本の左翼の間で蔓延していた共産主義思想(注2)、つまり裏口から流入した共産主義思想にかぶれてしまったのではないか、という仮説を立てています。

 (注2)私は大学二年の時に東大紛争(1969年)を経験した。紛争の最中駒場のキャンパスで、私は、模様見の一般学生中心の多数の聴衆の前で、大学占拠中の全共闘の一人と議論をしたことがある。彼が「マルクス・レーニン主義に則り、われわれは・・」と言ったのに対し、私が「マルクスだろうが誰だろうが、その「学説」を批判的に検証できる能力を身につけるためにわれわれは大学に来ているのではないのか」と遮ったところ、彼は「おい、こんなことを言っている奴がいるぜ」と聴衆に向かい、あきれ顔で私を指さした。すると聴衆はどっと私を嘲笑した。
東大紛争を起こしたのはトロツキストと毛沢東主義者と構造改革派であったのに対し、紛争終息に大きな役割を果たしたのは日本共産党系の民青だったことからも、わずか三分の一世紀前の日本の大学がどれだけ共産主義思想の巣窟だったか、分かっていただけるのではないか。

もしそうだとすれば、韓国の現在の右翼と左翼は、旧宗主国たる日本の戦後の冷戦時代における、(戦前から戦後まで続いてきていた)体制派と(戦後生まれの)反体制派それぞれのカリカチュアであり、現在の韓国の悲劇は、ポスト冷戦時代に、冷戦時代の頭のままの社会党と共産党の連立勢力がマジで政府自民党を倒して政権をとってしまったところにある、ということになります。

(完)