太田述正コラム#9555(2017.12.31)
<映画評論51:ユダヤ人を救った動物園 ~アントニーナが愛した命~(その7)>(2018.4.16公開)

6 毀「誉褒」貶

 「ポーランドの映画評論家達は、この映画に強い肯定的な反応を表明した。
 というのも、それが彼らの自分史の琴線に触れるからだ。
 クラクフ<(注11)>・ポスト紙は、「(この映画)は、慈善、共感、そして、人間性、という正気と文明的諸価値が、大衆的狂気、憎悪、そして、野蛮、によって支配される恐れが生じたと感じられるいかなる時においても<ふさわしい>、普遍的なレベルでの祈りだ。最近の歴史におけるこの最も暗黒であった期間から引き出される教訓は、これ以上、時宜にかなっていることはない」、と記した。」(B)

 (注11)「人口は約75万で、これはワルシャワ、ウッチに続く第3の規模。・・・
 17世紀初頭にワルシャワに遷都するまではクラクフがポーランド王国の首都であった。・・・ 1794年からオーストリア帝国領となり、1846年から1918年までオーストリアのクラクフ大公国であった。・・・
 歴史上、ポーランド国内でも多くのユダヤ人が在住した街であった。・・・第二次世界大戦中は占領者のナチス・ドイツにより、・・・クラクフ・ゲットーが創設された。オスカー・シンドラーが経営していた工場は、クラクフ・ゲットーのユダヤ人を労働者として雇っていた。工場のユダヤ人労働者が強制収容所に連行される時、彼らを連れ戻し<、チェコの>モラヴィア地方・・・にある自分の工場へと送った。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%95

 「<この映画制作に係る>顧問達ということで言えば、この映画は、殆どポーランド人の寄与がなかったように見える・・若干のポーランド人映画評論家達は、「どうして我々はこの映画を我々自身が作らなかったのか」、と自問してきた・・。
 破壊されてしまった戦前のワルシャワに代わるものとして、<破壊を免れた>プラハで<撮影が>行われたことは全くもって理解できることだが・・。・・・
 これらの全ての諸点はさておき、それにもかかわらず、この映画についてのポーランド人達の諸評論の大部分は肯定的なものであった、と言わなければならない。
 それは、恐らくは驚くべきことではなかろう。
 というのも、これまで、欧米の諸映画の中で、非ユダヤ系ポーランド人達に好意的な光を当てたものはそう多くなかったからだ。
 かかる認識(observation)は、直ちに、現実の、ないしは、帰責されたところの、ポーランド人の反ユダヤ主義へと導く。
 かかる言い方(trope)<の意味するところ>は、歴史上のポーランドに関する無作為なネット上の殆どあらゆる議論において、遅かれ早かれ、標準以下の評論家達が、彼らが常用する、歯に衣を着せない非難ないし決まり文句、を、その文脈(thread)中に投げ込む<、ということだ>。
 欧米の映画評論家達の1~2名は、この映画の中で、ポーランド人の反ユダヤ主義が描かれていないか、少なくとも目立たないようにされている、と言明している。
 最近の欧州における超ナショナリズムや排外主義の亢進の下では、しかも、ポーランドにおける一定の声高の諸分子がこの明らかな趨勢に棹差している以上は、これは、それほど不合理な主張ではないのかもしれない。」(γ)

⇒これは、(上出の)クラクフ・ポスト紙の評論子の言なのですが、殊勝なことです。
 この映画に対する主要諸評論の大部分は米国のメディアに掲載されたところの、米国の映画評論家達によるものですが、トランプの米国、或いは、戦間期にも第二次世界大戦中にも反ユダヤ主義を維持したローズベルト(コラム#省略)の米国、そして「超ナショナリズム」と「排外主義」のトランプの米国、を嘲笑する形で、少しは反撃したらどうだ、と言いたくなります。(太田)

(続く)