太田述正コラム#9581(2018.1.13)
<渡辺克義『物語 ポーランドの歴史』を読む(その24)>(2018.4.29公開)

3 現在進行形のポーランド問題

 渡辺の本はまだ続くのですが、残りは端折ることにし、最後に、現在進行形の、ポーランドとEUの対立問題を取り上げたいと思います。

 「ポーランドのEUに対する挑戦(defiance)のルーツ<を探りたい。>・・・
 ポーランドは、その司法制度を全面改修し、要するに諸裁判所を与党の統制下に置くという、議論の分かれる諸措置を推進することで、EU圏(block)の一部であることが何を意味するかの観念そのものに挑戦(challenge)した。
 この行動は、EUからの空前の批判(censure)を呼んだ。・・・
 <但し、>ポーランドはハンガリーとは違う。
 ハンガリーでは、ヴィクトル・オルバン(Viktor Orban)<(注61)>首相が、しばしば、EUの指導者達と敵対したり、ロシアのウラディミール・プーチン大統領に取り入ったりしている。

 (注61)1963年~。「エトヴェシュ・ロラーンド大学(ブダペシュト大学)を卒業・・・弁護士・・・社会主義体制末期の1988年、反政府組織「フィデス」の設立に参画し、抗議運動を始める。・・・1993年には同党の党首に就任、1998年の総選挙でフィデスが勝利すると首相に就任した。・・・<その後、下野していたが、>2010年4月の総選挙でフィデスは議会の3分の2の議席数を確保する地すべり的勝利を収め・・・同年5月29日に、8年ぶりに首相に就任した。・・・
 <EU>の中でも移民・難民に対して最も強硬な政府指導者で知られ、「民族が混ざりすぎると問題が起こる」「移民は毒」と発言したこともある。移民・難民を貨物コンテナに収容する法案も成立させている。
 一方で<中共>との関係を重視し、ハンガリーを・・・AIIB・・・に加盟させ、一帯一路国際協力サミットフォーラムにも出席しており、イスラム教徒の移民に極めて敵対的なのに対して<中共>人富裕層の移住は歓迎している」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%AB

 ポーランドのEUとの紛争は、もっと複雑で、ポーランド独特の出来事なのだ。
 この危機のルーツは1989年にある。
 この年、この国は、何十年にもわたる、厳しく、しばしば犠牲者を伴った闘争の後、東欧圏で最初に部分的に自由な諸選挙を実施した。
 その後、憲法を制定するまで、更に8年を要した。・・・
 政府が強くなり過ぎて、かつての時代に戻りかねないという大いなる恐怖があり・・・<制定された>憲法の前文にすらその旨記されている<ことが示すように、当時は>・・・人権が蹂躙された時代の記憶があったのだ。
 その諸条文中、重要なことは、諸裁判所と政治家達との間に明確な諸権力の分離が明記されていることだ。
 しかし、この憲法が施行された1997年、・・・現在の与党である法と正義<の党>の前身の党を含む、右翼の諸党の姿はなかった(represented)。・・・
 彼らは、この憲法に正統性を付与することを拒否したのだ。・・・
 <彼らに言わせると、>1990年代に、ポーランドの人々に対して諸罪を犯した犯罪者達<たる共産主義者達>・・・「赤い蜘蛛達」・・・の多くが司直の手を逃れたのだ。
 赤い蜘蛛達はより多くの赤い蜘蛛達を増殖させるのであり、最高裁の80数名の裁判官達のうちの2名だけしか、ソ連時代にまで遡る<共産主義者達との>諸繋がりはないけれど彼らの影響は依然感じられる、と・・・いうのだ。
 いや、もっと邪悪な力が働いている<、との声もある。>
 法と正義が2005年から2007年にかけて、短期間、権力を掌握した時、その指導者のカチンスキ(Kaczynski)<(注62)>氏は、自身、諸裁判所によって、あらゆる試み(turn)を台無しにされた(stymied)、と思ったのだ。

 (注62)ヤロスワフ・カチンスキ(Jarosław Kaczyński。1949年~)。「[ワルシャワ大(法)]学生時代は、労働者保護委員会(「連帯」の前身)で、1980年代には「連帯」で政治活動を始めた。2001年春、弟のレフと共に、「法と正義」(PiS)を創設し・・・た。2005年9月の議会選挙において、PiSは、投票数の27パーセントを獲得し、第一党となった。同年10月、大統領選挙において弟のレフを当選させるために、ヤロスワフは、首相<に就任せず、そ>の座を同じ党のカジミェシュ・マルチンキェヴィチに譲った<が、>2006年7月・・・マルチンキェヴィチが辞職した後、・・・首相に就任した。結果、首相が兄・ヤロスワフ、大統領が弟・レフという、「双子政権」が誕生した。2007年議会選挙でヤロスワフ率いるPiSが最大野党市民プラットフォームに敗れた。この結果を受けて11月・・・市民プラットフォームの党首ドナルド・トゥスクに首相の座を譲り、双子政権は終焉を迎えた。2010年4月10日、弟のレフの乗った政府専用機がロシア西部スモレンスクにて墜落してレフ夫妻ら政府高官多数が死去した」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD
 連帯時代から、カチンスキは、弟と共に、過去(ソ連圏時代)の共産主義者達のネットワークを根絶すべきだとして未来志向のヴァウェンサと対立。
 現在、PiS党首でも大統領でも首相でもない一介のセイム議員だが、事実上のPiS党首にしてポーランドの最高権力者。
https://en.wikipedia.org/wiki/Jaros%C5%82aw_Kaczy%C5%84ski
 父親のRajmundはシュラフタの家系のようだが、下掲の自動翻訳で「貴族」とあったものの、それが適訳なのか、また、この「貴族」が「シュラフタ」的なものなのか、必ずしも定かではない。
https://pl.wikipedia.org/wiki/Rajmund_Kaczy%C5%84ski

 彼は、自分がそう見たところのものについて、妨害工作(obstructionism)、法的(prawny)不可能主義(impossibilism)、という言葉を作り出した。

⇒私のとりあえずの仮説は次の通りです。(批判を期待しています。)
 「左翼」のヴァウェンサ(注63)とヤルゼルスキは、同じカトリック系マルクス主義者として阿吽の呼吸で手を携えつつポーランドのソ連(ロシア)圏からの離脱を円滑に成し遂げ、トゥスク(注64)はその系譜に属するのに対し、「右翼」のカチンスキ/法と正義は、シュラフタの系譜に属し、西欧と距離を置きつつ、ソ連(ロシア)の残滓を一掃すること、そして、究極的には大ポーランドを復活すること、を期している。(太田)

 (注63)ヴァウェンサは、仏カトリック系マルクス主義者のルイ・アルチュセールに惹かれていた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B5 前掲
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%83%AB
 (注64)ドナルド・フランチシェク・トゥスク(Donald Franciszek Tusk。1957年~)。「ポーランドの西スラヴ語群系少数民族であるカシューブ人。・・・同名の父ドナルドは大工、母エヴァは看護士であった。・・・1980年グダニスク大学卒の文学修士。専攻は歴史学。・・・学生時代から・・・「連帯」運動に参加<。>・・・元首相(第三共和政第14代)。所属する政党は市民プラットフォーム(PO)。現在、欧州連合の元首に相当する欧州理事会議長を務めている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%B9%E3%82%AF
 どうやら、無宗教者だったようだが、後に、カトリック教徒である旨宣明。
https://en.wikipedia.org/wiki/Donald_Tusk

(続く)

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