太田述正コラム#9643(2018.2.13)
<キリスト教の原罪(その16)>(2018.5.30公開)

 均衡がとれ、豊富に典拠付けられたところの、30年前に出版された『異教徒達とキリスト教徒達(Pagans and Christians)』の中で、<その著者の>ロビン・レーン(Robin Lane Fox)<(注32)>は、異教からキリスト教への変化は、人々の、自分達自身及び他者達への見方に長く続く変移をもたらした、と結論付けた。

 (注32)ロビン・レーン・フォックス(Robin Lane Fox。1946年~)。イギリスの古典学者、古代史家。イートン校、オックスフォード大卒。同大で、フェロー、講師等を歴任し、現在名誉フェロー。無神論者。
 件の、Pagans and Christians: In the Mediterranean World from the Second Century AD to the Conversion of Constantine は、1986年に上梓されている。
 彼は、ガーデニングの本も上梓している。
https://en.wikipedia.org/wiki/Robin_Lane_Fox

 「そのことを研究すると、我々が、いかに、その諸効果と一緒に生きているかを自覚させられる」、と。
 宗教を、平和から暴力へ、寛容から迫害へ、と変貌(transform)させるところの、諸引き金が何であるかを追求することは、過去のいかなる時と比べても、より緊急性の高い任務だ。
 <しかし、その場合、著者のように、>キリスト教について、その諸基盤(foundations)を断罪するのは、<我々に対する、>絶望的であることに加えて貧弱な史的判断たる助言(counsel)である<、と言わざるをえない>。」(I)

⇒無神論者であるフォックスが、キリスト教が及ぼした「効果」について、プラスの「効果」も挙げているのであればなおさらですが、具体的に何を言っているのか知りたいところです。
 いずれにせよ、繰り返しになりますが、あらゆる教義宗教は、「暴力」と「迫害」という「効果」をもたらしがちであること、そして、とりわけアブラハム系一神教においてそうであること、を強調しておきたいと思います。(太田)
 
3 ギボンの主張

 「暗黒時代」についての英語ウィキペディアに次のようなくだりがあります。↓

 「17及び18の両世紀の啓蒙主義時代の間、多くの批判的思想家達は、宗教を理性と対置されるもの(antithetical)である、と見た。
 彼らにとって、中世、ないし、「信仰(Faith)の時代」、は、従って、理性の時代に反するものだった。
 カントとヴォルテールは、中世を、宗教によって支配された、社会的退歩の時期、と声高に攻撃したし、ギボンは、『ローマ帝国衰亡史』の中で、「暗黒時代の無価値さ(rubbish)」に対する侮蔑を表明した。」
https://en.wikipedia.org/wiki/Dark_Ages_(historiography)

 どうやら、「中世」を初めて「暗黒時代」と形容したのは、21世紀初頭におけるスコットランド人カーではなく、18世紀後半におけるイギリス人ギボンであったようですが、ギボンのキリスト教に対する違和感や「中世」暗黒時代観は、大半のイギリス人達が抱いていた考えを、彼が、単に、明確に口に出したに過ぎない、というのが私の見方です。
 フランス人ヴォルテール(1694~1778年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%AB
にせよ、ドイツ人カント(1724~1804年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%8C%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%88
にせよ、何度も申し上げてきた(コラム#省略)ように、イギリス・コンプレックスにしてイギリス・フェチ人間達なので、年代的に、(1776~88年にかけて出版された)ギボンの『衰亡史』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%9C%E3%83%B3 前掲
を読んだ可能性はボルテールはほぼゼロ、カントはあったところ、仮に二人とも全く読んでいなかったとしても、彼らが、ギボンと同様の(イギリス人からの受け売りの)「中世」観を吐露したことは、不思議でも何でもありません。
 なお、念のためですが、ギボンの考えは、より正確に言えば、プロト欧州文明は、イギリス文明とは異質の野蛮の文明だ、という認識の下で、欧州のプロト欧州文明の時代、すなわち「中世」、は暗黒時代であり、欧州の欧州文明の時代、すなわち「近代」、は欧州によるイギリス文明の部分的かつ歪曲的継受の時代であり、依然として野蛮ではあるものの、暗黒の時代とはもはや言えない、というものであったのではないか、と私は見ているわけです。

(続く)