太田述正コラム#9645(2018.2.14)
<キリスト教の原罪(その17)>(2018.5.31公開)

 次に、ギボンの『衰亡論』の核心部分を、同書の英語ウィキペディアからご紹介しましょう。

 「ギボンは、キリスト教は、死後により良い生活が待っているとの信条を創造し、それが、ローマ市民達の間で、現在に対する無関心を醸成し、より大きな諸目的のために犠牲を払う欲求を萎えさせた、と主張した。
 彼は、また、キリスト教の相対的な(comparative)平和主義が伝統的なローマ人の軍事精神を妨げる傾向があった、と信じた。

⇒私は、ギボンのこの余りにも有名な本を読んでいません。
 そんな昔の歴史書は、その後の諸歴史書によって乗り越えられているはずだ、という先入観からです。
 それは、必ずしも賢明な判断ではなかったな、と、いささか時機を失した反省を(ちょっぴりですが)しています。
 で、今、初めて、同書についての、このような紹介に接したわけですが、以上までについては、不同意です。
 その一つの理由は、「イエスを敵視するファリサイ派の人々が手下たちを派遣して、イエスの言葉じりを捉えて彼を陥れようとして「皇帝に税金を納めることは、律法にかなっていることでしょうか。」と尋ねさせた。イエスは「税金に納めるお金を持ってきなさい。」といって、持ってきたデナリオン銀貨にローマ皇帝の肖像が刻印されているのを見せて、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」と教えた。」(「マタイによる福音書」(22章15節から22節まで)という、イエスの、いわば、キリスト教会と世俗社会との相互不可侵の宣言です。
 この宣言の意味については議論があるところ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%B8%9D%E3%81%AE%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AF%E7%9A%87%E5%B8%9D%E3%81%AB
ですが、現実に、キリスト教会、とりわけカトリック教会が、イエスの唱えた利他主義を一般の権力者達や金持ち達に求めることがなかった、という史実一つとっても、この宣言の意味が「中世」において奈辺にあったかを雄弁に物語っているのではないでしょうか。
 (にもかかわらず、人間は本来は利他的であるべきである、との観念は、キリスト教社会に様々な病理をもたらした、とも私は考えていることはご承知の通りですが、ここでは改めて立ち入ることはしません。)(太田) 

 更にまた、公然と語られることこそ殆どなかったことだが、キリスト教は、ローマ帝国の統一性(unity)を破壊したことを、恒常的に実際において示した。
 キリスト教徒達は統一されていなかった。
 すなわち、彼らは、何十もの諸集団に分裂し、一つの母音の発音が永遠の至福か地獄かを決めるといった、限りなく細かい教理(dogma)の諸差異を巡って相争い、文字通り何十万人にも及ぶ相互殺戮を行った。

⇒このギボンの指摘にも、今、初めて接したわけですが、私のかねてよりの主張と同じであることに吃驚しました。
 当然ながら、全面的に同意です。(太田)

 イスラム教がエジプトをかくも容易に征服できた理由の一つは、エジプト人達が、コンスタンティノープル<(=ビザンツ帝国)>において信奉されていた、キリスト教の様々な異なった派(branch)、とは全く異質の信仰をより好んだからだ。
 最後にもう一つ。
 制度的反カトリシズムが浸み込んでいたところの、啓蒙主義思想家達と英国の市民達と同じように、ギボンは、中世について、聖職者達に支配された(priest-ridden)、迷信深い暗黒時代であるとして、侮蔑を抱いていた。
 人類史が再び進歩し始めるのは、彼自身の時代であるところの、合理的思想の強調を伴う「理性の時代」、が到来してからだ、と信じていたのだ。・・・
 ギボンは、伝統的に認められてきたところの、キリスト教徒たる殉教者達の数ははるかに少なかった、と見積もることで、カトリック教会史に挑戦した。
 同教会の初期史のバージョンは、それまで殆ど疑義が呈されることがなかった。
 しかし、ギボンは、当時のカトリック教会の諸文書(writings)は、二次史料群であるとして、それらを退け、一次史料群を好んだのだ。・・・
 <しかし、この、>エドワード・ギボンの中心的主題であるところの、ローマはキリスト教を抱懐したが故に衰亡した、は、今日の学界ではもはや受け入れられてはいない。」
https://en.wikipedia.org/wiki/The_History_of_the_Decline_and_Fall_of_the_Roman_Empire

⇒「ローマ<帝国>の衰亡」を「ローマ<帝国>領域の政治的統合の瓦解」と読み替えれば、ギボンの主張・・より正確には、その中で私の考えと一致しているところの最も重要な部分・・は今なお正しい、と皆さん、思われませんでしたか?
 かかる視点で、ローマ帝国の旧最大領域・・すなわち、地理的意味での西欧と地中海地域・・が四分五裂し、そのまま現在に至っている、根本的原因がキリスト教にあることを、次回か次々回のオフ会の「講演」テーマにしたい・・希望的観測です・・と思い立つに至っています。(太田)

3 終わりに

 キャサリン・ニッキーのこの本が、その内容の技術的な拙さに付け込まれて英国の歴史学界から総スカンを食いながらも、英国の高級紙・誌を含む、新聞・雑誌群で軒並みと言ってよいほど取り上げられたのは、ポリティカル・コレクトネスの観点から、抑圧されてきたところの、英国人、とりわけ、イギリス人、のホンネを久方ぶりに素直に代弁しているからでしょう。
 このようなホンネこそが英国のEUからの離脱をもたらし、それが既定路線となった現在、もはや、このホンネを抑圧し続ける必要はない、というわけです。

(完)