太田述正コラム#9910(2018.6.27)
<皆さんとディスカッション(続x3751)>

<太田>(ツイッターより)

 性暴力と奴隷労働に関し、インドが世界中で最も女性にとって危険な国である、という、550人の専門家達による判定が下された。
 ちなみに、以下の順位は、アフガニスタン、シリア、ソマリア、サウディ、パキスタン、コンゴ、イエメン、ナイジェリア、米国だ。
https://edition.cnn.com/2018/06/25/health/india-dangerous-country-women-survey-intl/index.html
 我らが宗主国、健闘。

 「日銀<が、>…上場投資信託(ETF)<購入開始後>7年半<が経過、>企業の4割で大株主…5社で「筆頭」…
 一方、個人株主や<日銀、信託銀行以外の>事業法人が持ち株比率を減らし<ている。>」
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO32284120W8A620C1000000/
 日本は、主要企業を国有化する、日本型政治経済体制マークIIへと移行中?

<TSY>

 太田さん、・・・続きを書いてみました。よろしくお願いします。

・黒田の北海道開拓は質を問うべきだ。
 「牛肉と馬鈴薯」の記述を読むと独歩は北海道の開拓の効率性、合理性を疑っている。
 女医 荻野吟子をモデルにした小説「花埋め」(渡辺淳一)には、荻野の夫の北海道開拓話が紹介されている。
 北海道に住んでいた渡辺は開拓を取材するのには地の理がある。
 彼も、独歩と同様の問題点を感じている。
 開拓の技術的指導が不足していた。
 開拓地の選択も非合理的だった。
 こういう要素の改善には、道路建設や、大規模治水(北海道ならたとえば空知川)ほどの費用はかからない。
 東京にいたという姿勢(現場感覚薄い)も含めて、黒田の開拓地指導者としての評価は慎重にすべき。

⇒その後、北海道庁、戦後の北海道開発庁、そして、現在の、国土交通省北海道局へと、司令塔は「東京にい<る>という姿勢」は堅持されてきており、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E9%96%8B%E7%99%BA%E5%BA%81
この部分の先見の明は争い難いものがあります。
 どうして、かかる体制に合理性があるのかは、長くなるので立ち入りません。(太田)

 国境線を守るという使命(斉彬ドクトリン)を感じていたかどうかも、黒田の仕事の査定を経てからでなければ、結論はだせない。

⇒黒田が「斉彬ドクトリン・・・を」奉じていたことは、「明治11年(1878年)3月28日、肺を患っていた妻の清が死んだ。ところが酒に酔って帰った黒田が、出迎えが遅いと逆上し妻を殺したのだという記事が新聞に載<り、>黒田は辞表を提出したが大久保利通の説得でこれを撤回した<けれど>・・・、伊藤博文と大隈重信が法に則った処罰を主張したのに対して、大久保は黒田はそのようなことをする人間でないと保証すると述べ<た>」こと、大久保死後の「薩摩閥の重鎮」として、長州閥の伊藤博文に続いて、薩摩閥を代表して「明治21年(1888年)4月から<第二代>内閣総理大臣」を務めた、から明らかでしょう。
 そうである以上、斉彬ドクトリンの最重要事項の一つであったところ、北方の「国境線を守るという使命・・・を感じていた」はずですよ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E7%94%B0%E6%B8%85%E9%9A%86 (「」内)

● 3島津斉彬の考え (2)斉彬が目標としたこと イ 長期目標(密教的目標):英国の脅威への対処
・この島津の発言は、木村芥舟の大海軍構想(実に軍艦370艦保持計画)を連想させる。
 木村は幕臣にしては、死後送られた爵位が高かった。
 斉彬ドクトリン信奉者の薩摩閥の誰かと気脈を通じていたとしたら、爵位の謎はとける。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E8%8A%A5%E8%88%9F

● 3島津斉彬の考え (2)斉彬が目標としたこと ウ 中期目標:支那の覚醒・復興
・武器を売るのは口実で、「外夷の形況をも見聞すべし」。

⇒あのー、この「外夷」って清(支那)のことじゃありませんよ。
 斉彬は、どんな感じで露や欧米が支那に手を出してきているのかをついでに見てこい、と言ってるんです。(太田)

 インテリジェンスのセンスがあるのがすばらしい。
 「ちわ、三河屋です、ご注文の品おとどけにあがりました」と口上をのべれば、家の中までフリーパスだったりする(ちょっとちがう ?)。
 商売に貪欲。
 そういえば集成館は、いろんなミニ工場を密集させていたようです。
 鉄を溶かすための熱を、ガラス製造、ワックス(なんとかロウ)、樟脳生産にも生かそうとした気がします。「工場におちている各種削りくずも集めて原料にしろ」、そういうセンスを斉彬から感じます。
・古鉄の再利用の禁止は、共感しました。
 「リサイクル」と称する運動はほんとうに迷惑で、再生紙はいったい何年持つのかといったつまらない問題をひきおこします。
 工業では原料の均質性は必須だのに、老化、複数物質混交の可能性がある再利用原料は製品の質をおとします。
 昔も今も「もったいない」バカがいたんだなと思いました。
この問題は実は深刻で、工業的製造に必要なメンタリティと農業(封建時代的農業)に必要なメンタリティとの差がそこには横たわっています。
 工業製造に新手法があったときは、古い工場を改良するより、新しい土地に新技術に最適な設計で新工場をたてるのが理想です。
 まだまだ使えるものを未来のために捨てるというのが工業的センス。
 僕にはこのセンスはまだまだ日本には不足しているように見えます。
同じ条を、太田さんは清国挑発戦術とよみ、僕は工学的センスの導入とよむ。
 おもしろいと思いませんか。

⇒そりゃ(悪い意味での)理系センス的ご見解では?
 (良い意味での)文系センスってのは、何ごとによらず、一つの事柄をそれだけで判断せず、全体の文脈の中に置いて判断するんですが、お薦めですよ。
 明、清と、律儀に朝貢という出血的貿易を(実は相手が薩摩だと承知しながら、琉球と)続けてきてくれた支那、また、今後とも交易を密にやっていかなければならないと思っている支那、に、斉彬が、「恩」を仇で返すようなことを、そして、今後の交易を蹉跌させかねないリスキーなことを、あえてやれと示唆したのはなぜなのか、と考えなきゃいけません。
 「清人ハ頑固ニシテ未ダ西洋ノ兵式ヲ用ヒザル由、依テ此方ニアル古制ノ大小砲無用ノモノハ賣渡<セ>」中の、「頑固ニシテ」は、斉彬が、自分が、復興させ、提携したいと思っていた支那の不甲斐なさに歯噛みしている、ととるのが自然だと思いますがねえ。(太田) 

・対華21カ条の過大な要求は、僕を啞然とさせていました。
 大隈重信(でしたよね)の内閣が日本の勢力圏のはるか南の鉄道(つまりその周辺の開発全て)の権利を主張するって、正気の沙汰ではないと思っています。
 そりゃ中国人だったら怒り、日本を憎むようになる。
 しかしそれが「狙い」だったら。
 やられましたこの発想はありません。発想がなかったことを恥ずかしく思います。
あら、すいません、次頁に21カ条の解説があるんですね。

⇒大隈がそんな発想ができたか、ということです。
 あの、超有能下級官吏型の人間であった西郷隆盛(「『西郷南州遺訓 附 手抄言志録遺文』を読む」シリーズ(コラム#9863。未公開)参照)から、そのお仲間にすら入れてもらえず、「「俗吏」とみなして嫌<われ>ていた」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9A%88%E9%87%8D%E4%BF%A1
人物だったんですからねえ。
 (その大隈自身、西郷を罵ってます
http://www.yomiuri.co.jp/culture/history/20180621-OYT8T50007.html?from=ytop_os1
が、負け惜しみでしょ。)
 そもそも、大隈の支那フェチからして島津斉彬コンセンサスにおけるアジア主義の受け売りである可能性が高く、そうだとすれば、当然、支那辱め政策なんてのも同様だと私はふんでいるわけです。(太田)

・複数回115を読み直したのですが、僕は「愛の鞭」を感じませんでした。
 この条の真意は古鉄を再利用して武器を作るなじゃないでしょうか。
 ついでに古い武器の売り先は遅れた地域で売れ、という商売のコツを言っていると読めます。

⇒とにかく、もうちょい、斉彬は大物だった・・別に商人なんて小物だ、と言ってるワケじゃありませんが・・と思っていただけませんか。(太田)

・僕の祖父は早稲田の夏期講習というのに出席したことがあります。授業中に足をひきずった老人が教室に入り、きさくに言葉をかけてくれたそうです。それが大隈公だったよと、なつかしそうに昔語りをしていました。
・シンガポール華僑粛清事件。シンガポール中国人大量殺人事件。日本軍は下手だ。英軍ならゲリラが襲いたくなるような餌をまいて、食い付かせて、それを口実に殺戮をやらかすだろう。

⇒ここは、あえて、山下奉文の肩を持ちますが、(あんな乱暴なやり方は論外だけど、)何らかの方法で、華僑中の危険分子排除をする必要があっただけじゃなく、それを急ぐ必要があったことから、おっしゃるような悠長な方法はとれなかったでしょうね。(太田)

・斉彬は腐れ儒者を批判する。これはドイツ語教授、ドイツ文学教授、ドイツ史教授(ドイツ語を適宜他の国におきかえる)に僕が感じていた不満と同質であり同感。
 対象に惚れないと上手くならないが、惚れると評価は怪しくなる。
儒教を正面から論じた部分ではないのだが、僕は儒教のおもしろさは、葬式をとりしきる的な儀式(礼)をやかましくいう一方で、そういう礼の体系を支えるのは他人への思いやり(仁)といっているところにあると思っている。
 外形行動規範と内面的価値のバランスに儒者は悩む。
 これを経験しておくとカトリックの典礼の問題(たぶんどの宗教でも儀式の問題は似ているだろうが)の理解につながる。
 また広くは行動習慣(癖を含む)と価値観の関係を考えることにもつながる。
 こういう思考は僕は必要だと思う。
 斉彬は習慣(人や、世間の、また自分だけの)とそれへの批判意識(価値観からの習慣の再批判)をどう意識していたのだろう。批判意識だけに固まっても生きづらい。
 かといって習慣(日課)に身をまかせていては人間の姿をした機械になってしまう。
 儒教が詩や音楽(楽)を重んじるのは人間を「礼」を遂行する機械に堕落させないための工夫なのだろう。
 日本の和歌の伝統は、儒教の一貫した詩の尊重のコピーだと僕は思っている。
 和歌は日本文化の時代的一貫性の背骨だ。

⇒「僕<が>思っている」と書く前に、典拠を探しましょう!(太田)

 背骨を作ってくれた儒教についての斉彬のもう少し本格的な評価も聞きたい。
・秀吉に斉彬は自分の理想を代弁させているわけですね。
 実におもしろい。積ん読している『近世日本国民史』(蘇峰、祖父は新聞連載を楽しみにしていたようです)の秀吉の朝鮮出兵の部分、いよいよ読んでみようという気にさせられます。
そういえば、司馬遼太郎が薩摩は朝鮮出兵のさい、韓国の陶工を拉致し、陶器を焼かせたという話を書いていました。『故郷忘じがたく候』だったかな。
・秀吉が明国皇帝候補にした、後陽成天皇は、Wikipediaによると、源氏や伊勢物語についての注釈書を自ら著し、古典のエディションのよい版を印刷普及させたりする(その過程で朝鮮から手に入れた朝鮮の先進印刷技術が役にたっている)伝統文人天皇だったようです。こんな人を京都から引き離すとは、まったく人を人とも思わぬ処遇です。

⇒後陽成天皇が、「秀吉の外征には反対であり、秀吉に対して「無体な所業」であると諭し<た>」のは、弥生モードから縄文モードへの転換示唆者(コラム#省略)としてであり、そんな理由で反対したはずがありません。
 というのも、同天皇は、「儒学や和学に造詣があり、舟橋秀賢を召して四書の進講を受け、細川幽斎からは和学を学んだ。その学識は自ら宮人に『伊勢物語』『源氏物語』『詠歌大概』などを講じるほどで、自著に『源氏物語聞書』『伊勢物語愚案抄』『後陽成天皇宸記』などがあり、『日本紀神代巻』『古文孝経』『職原抄』などを慶長勅版として刊行している」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E9%99%BD%E6%88%90%E5%A4%A9%E7%9A%87
ところ、『古文孝経』は「曽子の門人が孔子の言動をしるしたと<されている>」孝経の一つの版であり、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%9D%E7%B5%8C
支那文化への関心も並々ならぬものがあったことが伺えるからです。(太田)

 秀吉は人の(天皇も人なので)の個性、人格をまったく斟酌しなかった点で、やり口が西洋風(弥生風?)ですね。
・ Myeongseong の統治というのがどうもイメージできません。
 北条政子だと重要会合で演説をした、と具体的に「やったこと」があるのですが、Myeongseong にまだそういうものを見つけられていません。
 江青夫人なんかの支配もよくイメージできません。
 理不尽な一族支配というのは、中小企業レベルでは想像できるのですが、国レベルの大組織では(日本ぼけでしょうか)よくわかりません。
 共産中国や、戦前の朝鮮は、意志決定の場が、親族会議程度の雰囲気だったのでしょうか。
Myeongseongは「壬午軍乱」のとき、「甲申事変」のときと、日本と反対路線(西洋拒否)を歩む清国を朝鮮半島内の問題に巻き込んでいます。
 その流れのはての Myeongseong暗殺です。
 斉彬のように秀吉主義(欧米列強主義)をとると、植民地は多いほうがよく、植民地も西洋化して富国の一機関となすという方向に進んでいきそうです。暗殺によるかどうかは別として、日本は朝鮮の守旧派を権力から取り除くべく行動を起こしたことでしょう。

⇒斉彬は、必要があればナポレオンの外征・・文明の移植を図りつつ安全保障を確保しようとした・・に倣え、と示唆しただけであり、この外征の目的は、そもそも、経済目的がメインの「欧米列強主義」とは一味違う、ということは、私の「講演」原稿をきちんと読めば分かるはずです。(太田)

● 3島津斉彬の考え (3)手段 ア 総論-欧米の科学・制度の継受
・八木称平、石河確太郞を次の論文で調べました。
『薩摩藩における蘭学受容とその変遷』
file:///C:/Users/yoichi/Downloads/kenkyuhokoku_116_11%20(7).pdf
・・斉彬が重豪とともにシーボルトと面談したこと。箕作阮甫と斉彬の接触についての情報の追加あり。
 僕は彼が斉彬の対外政策の知恵袋だったことにますます確認をもちました。

⇒これじゃ、いけませんや。
 具体的かつ詳細に論じてください。
 そもそも、これ↑駄論文↓なんでしょ。
 読む気しませんぞ。(太田)

 斉彬の関係した蘭学者の多いこと。
 手紙、面談と両方駆使しても絶対必要時間が異常です。
 そのうえ斉彬のかかわりかたの細かいこと、「お前は江戸のなんとか塾だったが、今度大阪にできた適塾とかいう塾に移れ」なんて指示もだしています。
 優秀な人材を選抜して使うというマネージメントはよくありますが、斉彬はどんな人間にも必ず役にたつ所があるそれを見つけて伸ばすというマネージメントに徹していたようです。
 僕はこのやり方好きです。
 同時に選抜試験が嫌いな理由が今、はっきりわかりました。
僕もだんだん、斉彬の凄みがわかってきました。
 今までの人生で天才と呼ばれる人間にたくさんあった実体験があるものですから、天才性とは別の、才能があるゆえの孤立が、日常的な天才との交流では気になります。
 天才に感嘆するのではなく、天才だからこそ、いたわらないと、この日常を、斉彬評価にも持ち込みたいと思います。
・・その一方で、こんな田舎中学の歴史教員のだらだら文章程度のものに論文と言う名がつくことにうんざりしました。
 産業技術を自分の頭で考えてないから、薩摩の産業技術が正味どのレベルだったのか追究できない。
 組織における企画実行者の重要性が理解できてないので、いたるところに斉彬が関係しているという事実は拾えているのに、それを凝縮させることができない。
 僕は「軍事戦略的価値判断」が欧米近代史のすべてを覆っていて、その究極具体化が全体主義国家(国家総力戦、すべては戦略のために。今のXi Jinpingの軍部も科学技術は軍のためといっています)だと思います。

⇒ここ、太田コラムの十八番ってやつです。(太田)

 戦略的価値判断がいってみれば欧米の価値判断(表の?)なわけです。
 で、社会科学。
 よい論文と悪い論文は、それは、戦略的価値判断からみて有効かどうかという物差しがあれば判断できます。
 太田さんおっしゃる通り、日本は戦略的価値判断がなぜか大学から欠落します。
 儒教国家的(学問が非創造的訓詁注釈的になる)ですね。
 戦略以外の価値判断なんて欧米にあるわけないですから、日本の大学は開闢以来迷走を続けることになります。現代日本のお上(かみ)べったりの法学部なんかをみていると、幼稚で原始的で不徹底な戦略的価値判断はうっすらとみられます(戦略的判断ゼロなら大学が近代国家の部品として機能しませんからね)。
 金銭欲7割、密教的戦略的価値判断3割というところでしょうか。
ともかくこの駄論文のように、何の価値判断もない論文がはびこっているのは価値判断の物差しが喪失しているのが原因です。
 かといって西洋並みに(反人道的になって)軍事戦略をとるのはイヤです。
 物差しなしと、ありの究極の二択ではありがいいと思うので、軍事戦略をとります。正直、軍事戦略べったりで激しく一途な価値判断が勢力をもたないと、それの対抗馬の人道的な価値判断も力がつきません。
 普通の人間が普通に税金を払っていれば、よく設計された制度によって人間らしい行為が増え、非人間的行為が減少する(戦争は最小限にする)社会制度。
 ときどき良心をめざめさせて、制度を見直し、改善していく。この理想に近づけるために、いまとるべき戦略は何か真剣に考えないといけないなと思ったりしました。
 ・・留学生を送るのも斉彬さんが先駆者なのでしょう。
 長州五傑も斉彬のアイデアを長州藩の上席が聞きかじって実行した可能性もあるかなと思いました。

● 3島津斉彬の考え (3)手段 イ欧米的な海軍の継受
・何か英国並に堕落することを奨励されているようで気持ちが暗くなります。

⇒英国を含め、欧米諸国は全て軍国主義なんですから、日本も軍国主義的にふるまわなきゃどうしょうもない、と考えるのが果たして堕落でしょうか?(太田)

・さすがの斉彬も日本がこんなに早く大陸に植民地をつくるという展開を考えてなかったことがわかります。

⇒そりゃそうであり、斉彬は、台湾を除けば、必要に迫られた時に限って「進出」を、と示唆してたんですからね。(太田)

 先の秀吉の話は、まだお話。植民地をつくったとたんに、陸戦で外国と戦う必要がでてきます。
 もし植民地の拡大、防衛のことを海軍並みに本気で斉彬が考えていたとしたら、軍部は海軍と陸軍であるとを問わず薩摩閥にすっかり握られていたに違いないと思います。

⇒ここ↑↓は、仰せの通りだと思います。(太田)

一方で蘭学の人材登用をみていると斉彬には薩摩藩だけというこだわりはありません。
 斉彬流でいえば、薩摩も長州もなく、個性をみて全員が働くとなっていたに違いありません。
 藩閥政治は斉彬的ではないかも。

● 3島津斉彬の考え (3)手段 イ欧米的な軍事装備の継受
・自分で部隊編成が設計できるようになったら、軍学の初級は卒業ということでしょうか。
・{米国の戦闘機に空爆される直前のイラクの戦車小隊の指揮官だったとして、部下に命令できることがあるだろうか、とふっと悩んでしまいました。タンクの中で死ぬしかないのでしょうか}

● 3島津斉彬の考え (4)樹立すべき新国制 ●強兵
・日本軍という単位ができる過程を追体験できました。
 グローバル企業が増えたときいままで大企業と呼ばれていた組織が小さく見えましたが、その感覚を思い出しました。
・6軍管、14師管の区分表を眺めていて、これを今の住民表でふりわけたら、関東圏ばっかり人が多くていびつになるな、と感じました。
 世界的に住民の都市集住が進んでいます。
 アジアでは、こういうヨーロッパ型(小都市多数)の地域密着型区分は早晩実用性がなくなるなと思いました。
・自衛隊の方面隊の区分図を社会科の教科書に載せるだけで、軍への好奇心が育まれるように思います。
・EUも軍事的ユニットになるには、版籍奉還、廃藩置県のプロセスが必要なのかもしれないなと思いました。それができないから、弱い。
・大山巌が廃藩置県の企画者の一人だと初めて知りました。
 自分の作った区分け別に召集した軍隊を自分が率いる。
 ただの軍人とは違ったレベルで自分の軍隊という感じがもてたんじゃないでしょうか。

● 3島津斉彬の考え (4)樹立すべき新国制 ●富国
・殖産興業の方法に、財閥優遇、一点資本集中、工業中心の松方正義派(こっちが主流に)の方法と、地方の農業を中心とした分散投資、農業重視産業振興策が前田正名派です。
 前田は松方派に追いやられたとのことです。
 Wikipediaのこの記述はあたかも前田が、日本の殖産興業政策の主役だったように読め、これはへんです。
(『『興業意見』と地方業振興運動に関する研究のアブストラクト』から
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/77663/3/ynogr00891.pdf

⇒読んでません↑が、ここは仰せの通りかもしれません。(太田)

・薩摩藩出身者が、路線の対立はともかく、殖産興業の企画に取り組んだことは斉彬の直接の影響と僕も思います。

● 3島津斉彬の考え (5)維新 ●倒幕
・政敵の評価を、先祖話で表現する。勉強になりました。
・徳川斉昭、松平春嶽の率直に駄目といっていることにはびっくり。
 米国献上の本込め銃の件を根にもっているのは、武器を重視している証拠。
 注目すべきは斉彬の理想で、それはまず「日本中一致して」「日本一致一體」と日本の統一を目指し、さらにその統一日本に優れた武器が行き渡るという状況を理想にしている。
 太田さん、おっしゃるとおり倒幕しかありえない。
・天皇に弓を引かない男を、幕府のトップに置く!
 日本が内戦の惨状を回避できたのは斉彬のおかげである。
 とすると、この戦略(大戦略から派生した副次的戦略であるが)、実に人命を重視したもの。
 Kim Jong-unも危ない橋を渡ったが、政権保障を勝ち取った。

⇒核開発しなくたって、政権保証は得られていたのに、北朝鮮は、あえてそれを放棄した、という趣旨のことを何度も私は指摘しています。(コラム#省略)
 今回は、再度、当たり前の政権保証を再確認的に得た上で、半島での米軍の演習停止を「勝ち取」り、更に、半島からの米軍撤退を交渉中、というわけです。(太田)

 結果として人命の損耗は(たぶん)ゼロだった。
 人命尊重という、僕も重視する尺度で判断すれば、今回の北朝鮮の核兵器材料にした対米戦略はすぐれた戦略だったと言ってよいと思う。

⇒「今回」じゃなく、北朝鮮の、王朝創成期・・いや、少なくとも朝鮮戦争終結時典・・からの悲願ですよ。
 で、その間、核開発に着手してから、金欠でもって、百万人のオーダーで餓死者を出しているんですから、「人名尊重」じゃなかったことだけは確かです。(太田)

 {福島第一原発事故で、あまりに大量の放射性物質がばらまかれたので、10個程度の原爆の放射性物質ぐらいたいしたことない、と思ってしまう、自分が悲しい。}

● 3島津斉彬の考え (5)維新 ●斉彬が当然提携できると見ていた家や藩
●●肥前藩
・Wikipediaによると鍋島氏は宇多源氏佐々木一族が祖、楠木正成は橘氏が祖。どうつながるのでしょうか。

⇒つながらなくたって、藩主が斉彬と従兄弟同士、で終わりです。
 とにかく、嫡男連中は、当時、みんな江戸住まいだったんだから、親戚同士の付き合いの濃密さは現在の比じゃなかったはずですしね。(太田)

●●土佐藩
・島津の幕府に対する影響力が窺えるエピソードです。
 明治維新は関ヶ原の恨みを晴らすといった性質のものではなく、将軍大名取締役会での将軍解任動議と理解しようと思いました。
・娘を嫁がして勢力拡大をはかるというと、すぐに思い出すのはハプスブルク家ですが、それと較べても斉彬のやり方は手が込んでいますね。

⇒いや、その大部分は、ひいおじいさんがやったことです。(太田)

●●中津藩
・奥平昌高のオランダ部屋は、木村蒹葭堂を連想させる。
 島津斉彬も奥平と語るときには、西洋勉強の楽しい面を存分に共有できたのではないか。斉彬にも仲間がいたことを喜びたい。

●●福岡藩
・黒田長溥は、斉彬最大の危機に際し、決定的な役割をはたした男。
 斉彬にとって恩人。
・20世紀の大国、米露とくむという発想を、英仏の時代である19世紀にできたのは、国の面積を国力ととる発想があったせいか。
 おもしろい人物だと思う。

●●長州藩
・下関を旅行した記憶がない。
 長崎ばかり覚えている。もっとしっかり見ておけばと後悔。
 その場で戦略的重要性に毛ほども気づかなかった自分の非才が悲しい。
・日本の海運の急所。
 「公義が下関を長州の領分に与えたるは拙策なり」という所は、たしかに、私が押さえる、と言っているように読める。
・薩摩のそんな意図を、長州は、たとえば土佐経由で得ていたのか、興味があります。

● 3島津斉彬の考え (6)維新後における対外政策の基本
●● 提携:仏
・{斉彬が自分でもオランダ語をやったというのは大きいかもしれない。
 技術的な問題を専門家と議論するとき、僕は必ずそのジャンルの新しめの専門書を覗くようにしている。
 なんというか、こっちがゼロだと、専門家とのコミュニケーションは取れないということを、僕は経験から学んだ。
 斉彬と蘭学者とのコミュニケーションはスムースだったに違いない。}
・{上記のコメントには、蘭学の専門家のほうが、斉彬よりも西洋文明の理解が深いということが前提になっている。
 斉彬のほうがはるかに西洋文明理解が深かったという太田さんの指摘は、この前提をたたき壊す。
 斉彬と箕作阮甫の関係は、毛沢東と毛沢東の通訳の関係と同じ。
 斉彬のマネージメント力の超人的なレベルから、太田さんに分がある。
 ここ以降は、斉彬の超人的能力も、一項目おいて、考えてみます}

⇒なーんだ、ご理解いただけているようで、ほっとしました。(太田)

・1844年に宣教師?
 1644年の間違いではと思ったら、間違いではない。
 理性万歳の革命政府(カトリックの神父もたくさん死んだ)をへた国がフランスという頭があったから、この下りはひっかかった。
 調べてみると、『19世紀中葉のフランス極東政策と琉球』という論文がみつかった。
http://okinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12001/8021/3/No25p83.pdf
 これによると、カトリックは海軍と結託して、植民地進出を積極的に進めていたとのこと。
 これは僕のフランス観に修正をせまる事実だった。
 今、パリのノートルダムにいくと、観光寺院化していて、信仰者の真摯な魂の匂いがない。
 あの世俗化はパリの、フランスの一面でしかなかったのか、と反省させられた。
ついでに、この論文には植民地別の貿易額の一覧があるので、そっち方面に興味がある方も使えると思う。
 ・・フランスの琉球進出は気まぐれではなく仏政府中枢のGuizot という命令主体を有している。
 フランスはイギリスと類似の権益を得るという方針で動く。
 イギリスが賠償金の担保に舟山島をもらったから、琉球をくれと清朝にねじこむ。
 それと並行して周到にも琉球王朝とも交渉する。
 フランスの現地指揮官はディユプラン大佐は宣教師を動向させる。
 琉球王朝(実は薩摩藩)は最初からフランスと通商条約を結ぶ気はない。
 宣教師が口実になる。
 キリスト教布教禁止令があるからダメという理屈をつくってこの交渉を一旦は切り上げさせる。
 ・・フランスは海軍の基地建設地を求めており、琉球の運天港が候補になっている。
 この交渉のとき、フランスは運天港の測量を行っている。
 ・・琉球経由でフランスと貿易をするというのは、フランスの狙いでもあった。
 米国の着々と進む日本進出に遅れをとらないように、琉球を間においた貿易をフランスは企画する。
 フランス人は琉球の倉庫まで物資を運び、それを長崎でさばくのは琉球人の仕事にしようとしていた。
 斉彬は貿易を望んでいたかもしれないが、フランス側には最初から貿易も領土もという野心がある。
 1855年に結ばれた琉球フランス条約にはこんな、バリバリ植民地調な文言がある。
 『もしフランス人に与えられた土地、住居、事務所が適していないとフランス人が判断した場合、より適切なものを提供しなければならない当局にその旨を指摘すること。 もし当局がフランス人の正当な要求を認めないならば、フランス人は自分たちに都合のよい土地、住居、事務局を賃借することが許される』

⇒琉球が実は薩摩だったことに全く気付いていない時点で、フランスはまるでダメです。
 英国は、支那に既に香港という拠点を持っていましたし、清当局は、このことを知っていたのだから、英国は、清当局関係者から聞き出していた可能性がありそうですが・・。(太田)

・シャルル・ド・モンブラン。ウィキペディアの記述を読むと、この人はイギリス寄りでフランスに忠誠をつくす気などないベルギー貴族気質と読めました。
 この男が斉彬ドクトリンのうち倒幕の部の対外発表係を果たしています。
 「日本の主権は天皇にあり、幕府と交渉するのは間違い」。
 ベルギー男爵けんフランス伯爵は金で買収される男(薩摩とイギリスのために動いています)だったとしても僕は不思議には思いません。
 ただこの男が西園寺公房と親しかったことは気になります。
・オリンピックの使い方をMoon Jae-inに教えられました。
 薩摩藩の万国博利用も創造的です。
 革命を狙う組織は、万国博にブースを出す。
 この手はいまでも使えそうです。
 余談ですが、何か国際的に不人気なことをしたら、オリンピックをやって非難をうやむやにするという手法がありそうです。
 ヒトラーがそれを使いました。
 今度のロシア、ワールドカップもウクライナ侵攻の不評を挽回するという働きをはたしている気がします。
 過去三回のワールドカップの中では飛び抜けて名勝負が多いロシアワールドカップ。
 このおもしろさがロシアの演出だったことが100年後にわかるなんて、ならないかな。

● 3島津斉彬の考え (6)維新後における対外政策の基本
●● 台湾領有
・砂糖の精製の研究を集成館でしたことは、台湾植民地経営を意識したものだっかどうか斉彬に聞いてみたい気がします。
・宇宙軍(以下 宙軍と呼称)が人工衛星から飛行機を攻撃できるようになれば、台湾に基地を置くなんてことはますます重要性が薄れます。
 敵に基地を作られても平気。
 この現代からは計り知れないほど斉彬時代の台湾には戦略的重要性があったと推定できます。
 明治のはやいころに台湾を領有できたことが、日本繁栄の一つのカギだったように思います。
 台湾領有、朝鮮半島領有、北海道領有(開拓することで侵入を防ぐ)は、日本が軍事的に独立国として立つためには不可欠でした。
 国内の産業化が先でしょうと木戸の味方だった小学校五年生は愚か者です(僕だけではないでしょうが)。

● {間奏曲}[幕府と、南朝正統論・尊王論・攘夷論]
・新田氏の加担した南朝は政治手法道具箱に『倒幕』というツールを入れていた。
 南朝の政治手法道具箱を認めれば、倒幕も認めることになる。
 徳川家は、どうせ同じ清和源氏の足利氏の末裔に系図を変えておけば、よかったということになりますね。

⇒新田氏の子孫に得川氏
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%97%E5%B7%9D%E6%B0%8F
がいることを発見して、徳川家の系図「捏造」担当者は小躍りしたんでしょうね。
 得川なんて、「えがわ」だったのかもしれないのに・・。(太田)

 今言えない悪口を系図で言うという手法は気に入っています。
 おかげで、今まで見向きもしなかった系図を見るのが楽しくなりました。
親のDNAの影響を医学が考慮することを考えれば、系譜(親やじじばばの顔をみて)を人間の判断材料にするのは合理的かもしれませんね。
 学習院かな? 祖母の学歴まで記入させると聞きましたが、都市伝説でしょうか。
・吉田松陰の楠木正成好きは、彼の孟子好きからもきています。
 江戸幕府にとっての『神皇正統記』が、中国歴代王朝にとっての『孟子』だと思います。自分を破壊する爆弾を両王朝とも懐に抱いていたところがおもしろいと思います。
 余談ですが、孟子を大学で読んだとき、清朝考証学の注釈と仁斎、徂徠、松蔭、その他の日本人の注釈を並べました。
 中国のは荒っぽいですよ(日本の読解技術が世界一の根拠)。

⇒こりゃ、ご主張について、一つ、綿密な「考証」コラムを書いていただきたいな。
 それが面倒なら、もっともらしい典拠を見つけて紹介してくださいよ。
 もっとも、仮にここをクリアできたとしても、「日本人は・・・文献読解技術に関しては当時世界最高峰にいた」(コラム#9908.TSY)であることを「証明」するためには、支那人との比較だけじゃダメなんで、当時の、全世界の国々の人々との比較を行わなきゃいけませんで。(太田)

 胸にくる注を書けたのは仁斎と松蔭でした。
吉田松陰は楠木正成より先に孟子を学んだという確信があります。
 江戸とはそういう知的制度の 時代ではないでしょうか。
・孟子は、徳川家にとっても危険ですが、天皇家にとっても危険です。
 天皇家を仁の物差しで測って、天皇家の存続を論じる、日本人思想家がたくさんいてもいいはずです。

⇒話は逆で、(仁」じゃなく「人間主義」ですが、)そ「の物差しで<ありとあらゆる日本の識者達が>測って」もハズレの天皇が、殆どいなかったくらい、個々の天皇が頑張ったからこそ、天皇制が続いてきたんですよ。(太田)

 太田さんの覇道なら覇道らしく武に生きろ、というのは、「義人なし一人だになし」という旧約聖書的な世界観をもてば、まったくその通りだと思います。
・弁護士心得で、返答内容が予想できない証人を呼んではいけない、というのがあります。
 人に尋ねることは危険だなということが、幕府の失敗から学べます。
 あるいは幕府は、開国の是非を尋ねる演技をしたとき、尋ねた相手は全員「私には手に余る国事ゆえ、公方さまに万事おまかいたします」と返事をすると確信していたのかもしれませんね。

<太田>

 「講演」の後半部分についても、引き続きよろしーく。

<komuro>

 オーディオ関連の記事を見ていたら、以下を見つけました。
 ヒトは加齢と共に高音が聴こえにくくなりますが、だいたい何kHzまで高音が聴こえるかをテストする音源です。

・どこまで聴こえる? 「ハイレゾ聴力テスト」を作った。
https://av.watch.impress.co.jp/docs/series/dal/1129263.html

 このページの真ん中辺りに音源ファイルへのリンクがあるので、ダウンロードしてください。
 それを適当な音楽プレーヤーで再生すれば良いです。
 アンプのボリュームは、普段より大きめの方が聴こえやすいです。

 「【聴力テストの音声ファイル】192kHz/24bit 10khz_40khz.wav(35.16MB)
 このWAVファイルを再生して聴いてみれば自分が何kHzまで聴く能力を持っているかを確認できるはずだ。
 前述のとおりスタートは10kHzで、30秒かけて40kHzまで上げていくので、ちょうど1秒ごとに1kHzずつ上がっていく。 」

 私が試したところ聴こえたのは5~6秒間なので、15kHzということになります。
 ただし単音で聴こえないからといっても、「高音を感じていない」のとは違います。
 実験で音楽に聴こえないはずの高音を付加すると、音が変わって聴こえるからです。
 それはともかく、聴力に自身がある方はお試しあれ。

<太田>

 斉彬疲労が抜けたら試してみましょう。

 それでは、その他の記事の紹介です。

 スポーツ観戦ファンは、と言い換えるべきだが・・。↓

 「林修の「サッカーファンは幸せになれない」という衝撃的なデータに中島健人が猛抗議!・・・」
https://thetv.jp/news/detail/151902/

 ヒッヒッヒッ。↓

 「日の丸を巻いた外国の子どもまで!韓国ネットがうらやむW杯日本戦の光景・・・
 「頭に日本の鉢巻きを巻いて応援する欧米人も多かった。本当に文化というものはすごい。身体的に欧米に劣るアジア国家であるにもかかわらず、文化をベースに欧米人を魅了する唯一の国家が日本だ」と寄せるスレッド主、最後には「日本がうらやまし過ぎる」という一言を残している。
 これを受け、他のネットユーザーからは「自分も(W杯を)見ていてそう思った。韓国戦の時はいなかったのに(笑)」との声をはじめ、「これこそ日本の実力」「外国人は日本にいいイメージがあるから。韓国で言ったらドイツってところ」「個人的に日本文化はユニークで魅力的」「日本はアジアナンバー1。それ以外は東洋人」と納得する声が上がっている。
 一方で「でも韓国に文化を侵食されている日本」「BTSが米国を揺るがし、KPOPはアジアを飲み込んだ!。2年後には韓国が文化的に日本よりも優れていることを全世界が知ることだろう」とのコメントも。
 その他にも「韓国は日本のように人気になりたくてKPOPを無理に掲げる非好感国家」「BTSのファンも韓国を応援してた。だけど韓国の試合内容が恥ずかし過ぎて…(泣)」など嘆き節ともとれるコメントも見られた。」
http://news.livedoor.com/article/detail/14924932/

 朝鮮日報も、サッカーを、連日、書くわ書くわ。↓

 「サッカーW杯:ブーイング浴び出陣した日本、ロシアで躍動–日本代表「大逆転」の秘訣は?–短いパス中心のサッカーに磨き–30代ベテラン9人、欧州組も14人…先制点許しても動揺せず・・・」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/06/26/2018062600699.html
 「W杯:好調日本と崖っぷち韓国、16強に向け対照的な韓日–疲れを知らない「おっさんジャパン」、ファンの懸念を一掃–韓国は経験不足で自ら危機招く・・・」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/06/25/2018062502850.html

 ゴルフまで書いたわ。↓

 「LPGA:身長158センチで263ヤード、19歳畑岡が日本勢最年少V–畑岡奈紗、アーカンソー選手権優勝–今年ホールインワン2回 抜群のアイアンショット・・・」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/06/26/2018062600810.html

 ロッテ、国籍問わず、人いないねえ。↓

 「経営復帰探るロッテ創業者長男 株式保有率と信頼の低さがネックに・・・」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/06/26/2018062601185.html

 今度は心配ないようだ。↓

 「絢子さま お相手・守谷慧さんは「驚くほどお酒に強い」・・・」
http://blogos.com/article/307105/

 過去の類似事件の一覧が載っている。↓

 「白昼銃声、緊迫の小学校 児童に「先生はみんなを守る」・・・」
http://news.livedoor.com/article/detail/14924718/

 ハヤブサ2号について、かなり報道されている。下のは代表例。↓
https://www.nytimes.com/2018/06/25/science/hayabusa-japan-asteroid.html?action=click&pgtype=Homepage&version=Moth-Visible&moduleDetail=inside-nyt-region-2&module=inside-nyt-region&region=inside-nyt-region&WT.nav=inside-nyt-region

 ピアノの練習をすると、聴覚が鋭敏になり語学能力が高まるとさ。↓

 Music lessons help children learn language skills by honing their ability to differentiate between pitches・・・
http://www.newsweek.com/scientists-music-lessons-amazing-bonus-995179

 中共官民の日本礼賛(日本文明総体継受)記事群だ。↓

 <人民網より。
 訪問はかまわないとして、発言内容に最初は眉を顰めたが、よく読んだら、問題発言ではなさそうだ。↓>
 「福田康夫元首相が侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館を訪問・・・」
http://j.people.com.cn/n3/2018/0627/c94474-9475063.html
 <以下も、日中交流人士モノ。↓>
 「「万引き家族」の是枝裕和監督 「賈樟柯監督と映画についてよく語り合う」・・・」
http://j.people.com.cn/n3/2018/0627/c206603-9474978.html
 「中国芸術家代表団が東京で松山バレエ団の創立70周年を祝うパーティー開催・・・」
http://j.people.com.cn/n3/2018/0626/c94473-9474917.html
 「「中日青年科学技術関係者交流計画」訪中団が北京入り 交流の旅スタート・・・」
http://j.people.com.cn/n3/2018/0626/c95952-9474889.html
 <ここからは、サーチナより。
 そうそう。↓>
 「・・・中国メディアの快資訊・・・記事は、多くの中国人は日本について「没落しつつある国」と認識していると伝える一方で、不可解なのは「天然資源がなく、国土も小さい日本が数十年にわたって世界第2位の経済大国であり続けたことだ」と主張。そして、日本が経済大国となった背後には、日本人の高い文明的素質があるのだと論じた。」
http://news.searchina.net/id/1662029?page=1
 <上のも実はそうだが、以下はサッカーもの。エッヘン。↓>
 「日本代表はアジアの模範だ! 「アジアのサッカーファンに光をもたらした」・・・中国メディアの快資訊・・・」
http://news.searchina.net/id/1662040?page=1
 <エッヘン2。↓>
 「日本代表の予想を超えた成績から垣間見た「日本人の精神」・・・「自分に厳しいこと」、「チームワークがすばらしいこと」、そして、「チームに貢献するという自己犠牲の精神」・・・中国メディアの快資訊・・・」
http://news.searchina.net/id/1662099?page=1
 <へー。↓>
 「セネガル戦で観客席の日本サポーターが見せた完ぺきなヘディングシュートに、中国ネット「だから日本は強いんだ」・・・今日頭条・・・」
http://news.searchina.net/id/1662076?page=1
 <おーカワイソー。↓>
 「やるせなさ半端ないって・・・W杯取材の中国人記者「ロシアの行く先々で日本語であいさつされる」・・・中国メディア・新浪体育・・・」
http://news.searchina.net/id/1662072?page=1
 <負けるな韓国!↓>
 「GL突破の可能性 日本81%、韓国1%・・・韓国メディアの予想に中国ネット「99%敗退と言え」・・・中国メディア・東方網・・・」
http://news.searchina.net/id/1662073?page=1
 <同じく。↓>
 「日本代表はクリーンなのに・・・韓国はなぜ「ラフプレーが多いのか」・・・」
 日本は「しっかりとボールを蹴っているが、韓国は相手選手を蹴っている」・・・
 もしサッカーが「国民性や気質を反映するスポーツならば、クリーンなサッカーを展開する日本に対して、韓国にラフなプレーが多いという事実は、日本人と韓国人の国民性が大きく違っているということを示すのかもしれない」と主張した。・・・中国メディアの快資訊・・・」
http://news.searchina.net/id/1662106?page=1
 <以下、サッカー以外。
 定番。↓>
 「中国は日本が不要としたものを拾って喜んでいるだけ・・・日本は「没落した先進国」じゃない・・・中国メディアの快資訊・・・」
http://news.searchina.net/id/1662047?page=1
 <同じく。↓>
 「地震に強い国、日本から「中国は学ぶべき点が多い」・・・中国メディアの快資訊・・・」
http://news.searchina.net/id/1662109?page=1
 <定番と言うより使いまわし記事。↓>
 「日本人は朝食を食べないの? 中国と違って「朝食屋が日本にない理由」・・・中国メディアの快資訊・・・」
http://news.searchina.net/id/1662075?page=1
 <定番化しつつある。↓>
 「日本のソフトパワー、アニメ・漫画産業の強さの秘訣は・・・中国メディアの快資訊・・・」
http://news.searchina.net/id/1662079?page=1
 <これもだ。↓>
 「日本だって農薬を使っているのに! なぜ残留農薬が問題にならないの?・・・中国メディアの快資訊・・・」
http://news.searchina.net/id/1662090?page=1
———————————————————

太田述正コラム#9911(2018.6.27)
<松本直樹『神話で読みとく古代日本–古事記・日本書紀・風土記』を読む(その8)>

→非公開