太田述正コラム#9877(2018.6.10)
<『西郷南州遺訓 附 手抄言志録遺文』を読む(その11)>(2018.9.24公開)

 肥後の長岡<(注23)>先生の如き君子は、今は似たる人をも見ることならぬ様になりたりとて嘆息なされ、古語を書て授けらる。

 (注23)長岡是容(これかた。通称は監物(けんもつ)。文化10年(1813年)~安政6年(1859年))。「文化10年(1813年)、熊本藩家老・米田是睦の長子として誕生。天保元年(1831年)、家老見習いとして出仕し、天保3年(1833年)に父が死去すると1万5,000石の所領を襲封し、藩家老となって江戸藩邸で藩主細川斉護に仕えた。横井小楠<ら>と共に協力して藩政改革に取り組み、・・・藩校の時習館改革などに尽力し、・・・実学党と呼ばれる一派を形成した。しかし改革に反対する保守派である学校派の家老・松井佐渡・・・の反対を受け挫折。弘化4年(1847年)、親しくしていた水戸藩主・徳川斉昭が隠居させられると、それによって是容も家老職を辞職させられた。
 嘉永6年(1853年)、・・・ペリーが再来航したのを契機として家老職に復帰を許され、浦賀の守備隊長として江戸詰を任じられた。江戸において徳川斉昭、藤田東湖、吉田松陰、西郷隆盛らと盛んに交流した。しかし攘夷論者であったため、・・・開国論[に転じた]・・・友人の小楠と対立し、・・・かえって熊本藩にさらなる混乱の種を生むこととなった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B2%A1%E6%98%AF%E5%AE%B9
https://kotobank.jp/word/%E9%95%B7%E5%B2%A1%E7%9B%A3%E7%89%A9-17161 ([]内)

夫天下非誠不動。
 非才不治。
 誠之至者。
 其動也速。
 才之周者。
 其治也広。
 才与誠合。
 然後事可成。

⇒僧月照との入水事件の後、西郷は、長岡監物宛に「私事士中の死骨にて、忍べからざる儀を忍びまかり在り候次第」との切実かつ率直な手紙を送っています。
https://books.google.co.jp/books?id=p9c2DwAAQBAJ&pg=PA66-IA1&lpg=PA66-IA1&dq=%E9%95%B7%E5%B2%A1%E7%9B%A3%E7%89%A9&source=bl&ots=k2r7tzdztP&sig=33TKQgblrPmjQ5jNaXaS4FOvJyM&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjphvOj7cXbAhUKErwKHZLsDzk4FBDoAQg5MAM#v=onepage&q=%E9%95%B7%E5%B2%A1%E7%9B%A3%E7%89%A9&f=false
 藤田東湖と島津斉彬が既に亡くなっていた当時、監物は、西郷にとって残された唯一の師だったのでしょうね。
 それにしても、斉彬が評価していなかった水戸学(やはり、今度のオフ会「講演」参照)、の泰斗である東湖、と、最後まで攘夷論を貫いた点で、やはり、斉彬とは相いれなかったはずの、監物、とを、斉彬と並ぶ、師としたことからして、西郷は、当時も、そして、恐らくは息を引き取る瞬間まで、斉彬の戦略の何たるかを理解することができない程度の頭脳と感性しか持ち合わせていなかった、ということなのでしょう。(太田)
 
四〇条:翁に従て犬を駆り兎を追ひ、山谷を跋渉して終日猟り暮し、一田家に投宿し、浴終りて心神いと爽快に見えさせ給ひ、悠然として申されけるは、君子の心は常に斯の如くにこそ有らんと思ふなりと。

⇒これは、自分はずっと野にとどまっているべきだった、という西郷の、ホンネの吐露でしょうね。
 「手に取るなやはり野に置け蓮華草」だというのに、酔狂な斉彬が、西郷を野から引きずり出してしまったために、西郷は悲劇的人生を生きることになってしまったのです。
 いや、より正しくは、斉彬が、西郷を引きずり出しておいて、「勝手に」急死してしまったのがいけなかったのです。
 斉彬自身、「<西郷>は独立の気象あるが故に、彼を使ふ者、我ならではあるまじく候」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%B7%E9%9A%86%E7%9B%9B 前掲
と言っていたにもかかわらず・・。(太田)

四一条:身を修し己れを正して、君子の体を具ふるとも、処分の出来ぬ人ならば、木偶人も同然なり。
 譬へば数十人の客不意に入り来んに、仮令何程饗応したく思ふとも、兼て器具調度の備無ければ、唯心配するのみにて、取賄ふ可き様有間敷ぞ。
 常に備あれば、幾人なりとも、数に応じて賄はるる也。
 夫れ故平日の用意は肝腎ぞとて、古語を書て賜りき。

文非鉛槧也。
 必有処事之才。
 武非剣楯也。
 必有料敵之智。
 才智之所在一焉而巳。

追加一:事に当り思慮の乏しきを憂ふること勿れ。
 凡そ思慮は平生黙坐靜思の際に於てすべし。
 有事の時に至り、十に八九は履行せらるるものなり。
 事に当り卒爾に思慮することは、譬へば臥床夢寐(むび)の中、奇策妙案を得るが如きも、明朝起床の時に至れば、無用の妄想に類すること多し。

⇒ここは、珍しく、西郷が、その限りにおいては真っ当なことを言っています。
 しかし、私に言わせれば、危機管理における大前提は、その管理者が、当該危機管理を行うのに十分な知的能力・・記憶力と情報処理能力・・を有しているかどうかです。
 危機においてだけではありませんが、危機管理責任者しか、その時点までに得られていた関連情報を全て把握する権限がないものであるところ、いざ危機に直面して関連情報を把握する過程において、過去に自分が与えられていた関連情報の中で忘れてしまっている部分について、これを、人、または機器、を用いて検索する時間的余裕など基本的になく、かつ、これら情報を処理するのに、平時であれば許されるだけの時間を費やしている余裕もなく、さりとて、以上の全てを行う権限を、自分よりも知的能力が高い他人に委譲しようとしても、「引継ぎ」をする時間的余裕もまたないからです。
 (典拠はありません。私の経験から申し上げています。)
 にもかかわらず、西郷が、そのことに言及していないのは片手落ちも甚だしい、と思うのです。(太田)

(続く)

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