太田述正コラム#9961(2018.7.22)
<松本直樹『神話で読みとく古代日本–古事記・日本書紀・風土記』を読む(その33)>(2018.11.5公開)

 「スサノヲのヲロチ退治は「日本神話」の中で最も有名な話の一つであり、「出雲神話」の代表と言ってもよいだろう。
 それが当の出雲国風土記には存在しないのである。
 この点、出雲国風土記の最大の謎とされている。・・・
 出雲国風土記は体系化された〈神話〉世界を持っている。
 古事記や日本書紀の〈建国神話〉のように時間軸に沿った文脈を形成してはいないのだが、それでも郷(さと)や駅(うまや)や神戸(かんべ)(特定の神社が所管する民戸)など、行政区画や施設ごとに記された小さな伝承の集合体が、意図された一つの〈神話〉世界を形作っていると言える(小村宏史<(注76)>・・・)。
 
 (注76)1971年~。「島根県斐川町に生まれる。1994年3月都留文科大学文学部国文学科卒業、2005年3月早稲田大学大学院博士後期課程満期退学。早稲田大学非常勤講師。専攻・上代日本文学、学位・博士(文学)」
http://www.hmv.co.jp/artist_%E5%B0%8F%E6%9D%91%E5%AE%8F%E5%8F%B2_200000000789621/biography/

⇒松本は、とにかく、同業者(国文学者)しか引用しませんね。
 彼は早稲田人であるところ、登場するのが早稲田関係者が多いことについてまで目くじらをたてることは控えますが・・。(太田)

 だから、「なぜないのか」を問うべきなのである。・・・
 「風土記」は地誌であり、古事記・日本書紀の体裁は史書である。
 そこには自ずと性格上の違いがある。
 次の二点を確認しておきたい。
 第一点目は、出雲国風土記には神話的異界が現れないという点である。
 天上界にカミムスヒがいて、その宮殿・・・<に言及され>る・・・が、天上界についてそれ以上には具体的な記述がない。
 アメノフヒ<(注77)>(意宇(おう)郡屋代郷(やしろのさと))のほか、地名起源となる神々の「天降り」が記されるにもかかわらず、それらの原郷としての天上界のありさまはまったく記されることがない。

 (注77)「アメノホヒ(天之菩卑能命、天穂日命、天菩比神)<は、>アマテラスとスサノオの誓約(うけい)で産まれた五柱の男神の一人。国譲りで二番目に地上に向かうがオオナムチ(大己貴命)に懐柔され戻ってこなくなる。出雲国造の神賀詞(かんよごと)では息子のアメノヒナドリ(天夷鳥命)と剣神フツヌシ(経津主神)を従えて地上の悪神を平定したとされる。農業神、稲穂の神であり、養蚕・絹糸・木綿の守護神など、産業開発の神として信仰される。祭神とする神社:・亀戸天神社(東京都江東区)・大戸里神社(東京都あきる野市)・石津神社(大阪府堺市)・牛島神社(東京都墨田区)」
https://www4.atwiki.jp/gods/pages/989.html
 「アマノフヒ(天乃夫比命)・・・別名:アメノフヒ(天夫比命)・・・祭神とする神社:支布佐神社(島根県安来市)」
https://www4.atwiki.jp/gods/pages/36397.html

 また「黄泉之坂(よみのさか)」「黄泉之穴(よみのあな)」(出雲郡)はあり、人の死に関わる俗信が記されているが、古事記・日本書紀が描くような異界としての黄泉国は見えない。・・・
 第二点目は、ほとんどの〈神話〉が・・・地名起源に結びついている点である。
 地名の由来を結末としない伝承は、わずかに・・・三つに過ぎない。・・・
 いずれも、実在する岬や山にまつわる小さな神話である。・・・
 地名ではないが、その土地の現在につながっている<神話な>のである。・・・
 このようなことを踏まえると、高天原を舞台にしたアマテラスとスサノヲのやりとり、根堅州国という異界におけるスサノヲやオホナムチの活動、また出雲の土地に関わらない稲羽の素兎の話(以上、古事記)や、スサノヲとその子イタケル<(注78)>の新羅降臨(日本書記)などは、風土記として必ずしも取り上げる必然性がなかったのだ。

 (注78)「五十猛神(イソタケル)は、日本神話に登場する神。「イタケル」とも読まれる。『日本書紀』『先代旧事本紀』に登場する。『古事記』に登場する大屋毘古神(オホヤビコ)と同一神とされる。射楯神(いたてのかみ)とも呼ばれる。須佐之男命(スサノオ)の子・・・
 天(『古事記』では高天原)を追放された素戔嗚尊とともに新羅曽尸茂梨に天降り、スサノオがこの地吾居ること欲さず(「乃興言曰 此地吾不欲居」)と言ったので、一緒に埴土船で渡って出雲斐伊川上の鳥上峯に至ったとある。五十猛神が天降る際に多くの樹木の種を持っていたが、新羅には植えずに全てを持ってきて、九州からはじめて大八洲国に植えたので、青山に被われる国となったという。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%8D%81%E7%8C%9B%E7%A5%9E

⇒イタケルらの新羅降臨は、国引き神話との関連もあり、出雲国風土記が「必ずしも取り上げる必然性がなかった」とは到底思えませんね。
 それにしても、日本神話の中の至るところに、新羅と日本列島との特殊な関係を示唆する物語が存在することに、今更ながら驚いています。
 イタケルらの新羅降臨譚は、日本列島出身の弥生系の人が新羅の創世記にその王となるも、それが持続しなかった「史実」が背景にあるように思われます。
 また、少なくとも、出雲国風土記が書かれる頃までには、既に、新羅、というか、朝鮮半島南部、には乱伐のために禿山が多くなってしまっていたことも推察されます。(太田)

 また、地誌であって〈歴史〉ではないから、『旧事紀』などの〈神話〉とも事情が異なり、古事記・日本書紀の神代の〈歴史〉=〈建国神話〉のすべてに対応する義務もなかったのだ。」(245~246、249~251)

(続く)