太田述正コラム#704(2005.4.26)
<日中対話用メモ(その1)> 
 (24日夜にメーリングリスト登録者数が1225名と、新記録を達成し、12月末から四ヶ月間に及んだ長期低迷期をようやく脱した観があります。そして昨25日には、1228名となりました。
 福知山線の鉄道事故に気を取られ、また風邪をこじらせて調子が悪いので、このシリーズは、雑談的に書かせていただきます。)

1 始めに

 自分自身のために、中共の人々と対話をする際の雑記帳的メモをつくってみました。

2 メモ

 (1)今回の反日行動について
 中共当局が意図的に実施させたものであり、その目的は、日本の中共進出企業等に恐怖感を与え、今後日本政府に台湾問題から手を引かせることです(コラム#687、689?700、702、703)(注1)。

  • (注1)しかし日本では、いまだに立花隆氏のように、ピンボケの評論を垂れ流している人物に事欠かかない。今回の中共での反日行動について、「日本で起きた60年安保から70年安保にかけての日本の世相とそっくりだ」とは恐れ入る(http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050422_seijisekinin/index.html。4月25日アクセス)。

 (2)靖国問題について
 日本人と神道とは、切っても切り離せない関係にあります。
 初詣には(キリスト教徒の多くや創価学会員等を除いて?)日本人の大部分が行きます(http://nk-money.topica.ne.jp/odajima/odajima1.html。4月26日アクセス)。また、七五三のお祝いにも神社は欠かせません。建設工事にあたっては神主さんを呼んで地鎮祭が行われますし、神社のお祭りは地域の一大イベントです。
 このお祭りの奉加金は、日赤賛助金や赤い羽根募金等と並びで町会が徴収しますし、町会の集会所が神社の中にあることも少なくありません。
 船には神棚がつきもので、海上自衛隊の護衛艦にだって神棚はありますし、大きな航海にあたっては金比羅山参り等が行われます。また、多くの自動車の中には交通安全お守りがぶら下がっています。
 ですから、政治や行政と神道を完全に切り離すことなど、到底できることではないのです(注2)。

 それでいて、神道の教義がなんであるか、(そもそも教義らしい教義がないこともあって)誰も気にしていませんし、個々の神社の祭神が何であるかも、関心のある人はほとんどいません。
 ややこしい名前の神様が祭神であることが多いからですが、著名な故人を祭神としている場合でも、乃木希典の乃木神社や東郷平八郎の東郷神社はともかく、明治神宮あたりになると、「明治天皇だったかなあ」と自信がなくなってきます(注3)。

 靖国神社の祭神だって、日本人の大部分は、必ずしも正確な認識を持っていません。
 祭神は、戊辰戦争以降の戦争または事変において戦死、戦傷死・戦病死若しくは公務殉職した軍人・軍属およびこれに準ずる者(http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/yogokaisetyu.html。4月27日アクセス)(先の大戦における戦犯で死刑に処せられた者を含む)です(注4)。

  • (注4)祭神の詳細・全国各地にある護国神社の祭神との異同・自衛隊との関わり、等については、機会を改めて論じたい。

 中共政府は、公式には、この最後の「戦犯」のうちA級戦犯の合祀がけしからんと言っているわけですが、人民日報等では、ABC級を問わず「戦犯」全体の合祀を問題視したこともありますhttp://www.nipponkaigi.org/reidai01/Opinion1(J)/yasukuni/ohara.htm。4月26日アクセス)。
 (靖国神社はA級戦犯の合祀の分祀を拒否していますが、)仮にA級戦犯を分祀したとしても、次は中共が戦犯全体を分祀せよ、と言い出すことは必至です。(挙げ句の果ては日清戦争以降の戦死者等はすべて祭神として不適格だ、などと言い出す可能性も排除できません。)
 それでは、このような中共のクレームにはどう答えたら良いのでしょうか。
 そもそも、神道の教義も神社の祭神も、日本人はつきつめては考えていないのであって、祭神を切り分ける発想自体に違和感がある、と言いたいところです。
 それはさておき、私は次のように考えています。
 毎年、日本武道館で営まれる「全国戦没者追悼式」の対象は、先の大戦に係るものだけ、という点では靖国神社より狭い一方で、空襲の犠牲者や終戦時の民間人自決者などをも含むすべての戦争死没者だ、という点では靖国神社の祭神より広いのですが、「戦没者」の中には「戦犯で死刑に処せられた者」も含まれており、歴代の首相はこの追悼式に主催者として参列し、追悼の意を表してきました。
 「戦没者」選びはもちろん政府が直接行っているし、靖国神社の祭神選びも事実上政府が行ってきた(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE。4月26日アクセス)ことからして、日本政府が、「戦犯で死刑に処せられた者」を慰霊ないし追悼の対象としてきたことは否定できない事実なのです。
 この日本政府の措置の背景としては、講話条約発効後、戦犯釈放運動が日本全国で行われ、署名数4000万人にものぼった結果、1958年までに全戦犯が釈放され、戦犯にも恩給法・援護法を適用することとなった(http://www.yasukuni.or.jp/siryou/siryou4.html。4月24日アクセス)ことがあります。
 戦犯がこのように国民的同情の対象となったのは、死刑に処せられた者を含むところの戦犯もまた、国民が議会を通じて(民主的に)協賛した戦争を忠実に遂行しただけのことであり、戦死者や戦病死者を含むところの一般の軍人・軍属と何ら異なるところはない、という観念であったに相違ないのです。(コラム#35)。

(続く)