太田述正コラム#10323(2019.1.19)
<丸山眞男『政治の世界 他十篇』を読む(その3)>(2019.4.10公開)

 これは、和辻が「城壁」というメタファーで語ろうとした問題である。
 つまり、「城壁」とは、「強靱な貴族的伝統や、自治都市、特権ギルド、不入権をもつ寺院などの国家権力にたいする社会的なバリケード」を意味するのである。

⇒これがまさに、欧州文明が階級社会であることの意味なのだ。(太田)

 このような社会的次元の抵抗がなかったために、日本では、統一国家の形成が速く、産業化も速かった。

⇒アングロサクソン文明継受を旨とした弥生モード化が速やかに行われた、ということだ。(太田)

 <支那>では、西洋とは違った意味で、こうした「社会的なバリケード」が強く、それが国民国家の形成と産業資本主義の発展を遅らせた。・・・

⇒それは、支那の場合は、一族郎党命主義、だった。
 以上の三社会中、社会の軍事化に前二社会は成功したものの最後の一社会は失敗し、また、三社会とも、個人主義/資本主義の継受には成功しなかった。(太田)

 一方、そのようなバリケードがなかった日本では、急速な資本主義化が進行した。
 しかし、それを可能にしたのは、日本に国家とは異なる「社会」という次元が無化されていたことである。
 それはまた、日本では、自立化する個人のタイプが存在しにくいということでもある。
 このような個人がなくても、あるいは、むしろない方が、産業資本主義の発展がスムーズになされることができる。
 そして、その中では、人々は国家に対抗しようとすれば、せいぜい「私化」あるいは「原子化」によってそうするほかない。また、このようなところで、資本主義を否定すれば、それは「社会主義」ではなく、「国家主義」に帰結するほかない。なぜなら、そこには、自発的結社(アソシエーション)にもとづく「社会」の次元が存在しないからである。」
http://www.kojinkaratani.com/jp/essay/post-68.html

⇒とんでもない。
 日本では、世界で唯一、効果的にして効率的な社会主義、であるところの、日本型政治経済体制、の成立を見たのだ。(太田)

 「極東国際軍事裁判昭和22年(1947年)11月24日、ノーラン検察官が南京事件に関して反対尋問した際の松井石根の証言について政治学者の丸山眞男は昭和24年(1949年)に発表した「軍国支配者の精神形態」で論じた。
 丸山は、検察から部下(兵士)の暴行の懲罰について努力したかと尋問されると松井が「全般の指揮官として、部下の軍司令官、師団長にそれを希望するよりほかに、権限はありません」と証言したことを部分的に引用しながら「自己にとって不利な状況のときには何時でも法規で規定された厳密な職務権限に従って行動する専門官吏になりすますことが出来る」のであるとして、松井のような態度を「権限への逃避」と評した。
 丸山はこうした「権限への逃避」は、ナチスのゲーリングが全責任を負うとした「明快さ」と異なり、「日本ファシズムの矮小性」の一側面であるとし、日本軍人戦犯は一様に「うなぎのようにぬらくらし、霞のように曖昧」な答弁をすると表した。
 このような丸山眞男の松井評価について牛村圭<(注2)>は、松井石根が同尋問で「私は方面軍司令官として、部下を率いて南京を攻略するに際して起こったすべての事件に対して責任を回避するものではありませんけれども、しかし各軍隊の将兵の軍紀、風紀の直接責任者は私ではないということを申した」と自分の責任を回避しないと答弁したことが裁判記録に残っており、丸山は論文に引用にする際に松井答弁を意図的に省略していたことを発見した。

 (注2)1959年~。東大文(仏文)卒、同大修士、シカゴ大留学、東大博士、現在、国際日本文化研究センター教授(比較文学)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E6%9D%91%E5%9C%AD
 国際日本文化研究センター(International Research Center for Japanese Studies)。「京都府京都市西京区にある大学共同利用機関。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%96%87%E5%8C%96%E7%A0%94%E7%A9%B6%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC

 また、当時東京裁判の検察も松井が責任を回避しないと答弁したことを確実に受け取っていたのであって、松井の答弁は「道義上の責任」と「法律上の責任」を区別した明瞭なものであると牛村は再評価した。
 牛村圭は裁判記録を虚心坦懐に読解すれば、松井が「道義上の責任は決して回避せぬが日本陸軍の法規ではこうなっていると説明している」と解釈する方が自然であり、丸山眞男の論については「松井の人格を歪曲する削除を加え」「予断と先入観を、恣意的と呼んでいい論証法を用いて押し通そうとした。
 このような論法につき、丸山眞男は<道義上の責任>を感じてしかるべきであろう」と批判している。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E4%BA%95%E7%9F%B3%E6%A0%B9

⇒丸山の、欧州文明事大主義とそれと裏腹の関係にある日本文明卑下主義、なる倒錯的価値観が史料の恣意的な摘み食い的引用をもたらした可能性が大であり、一事が万事であるとすれば、丸山は、学者としての資質を問われる人物だ、というべきだろう。(太田)

(続く)