太田述正コラム#10443(2019.3.20)
<ディビット・バーガミニ『天皇の陰謀』を読む(その21)>(2019.6.7公開)

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[昭和天皇の国体観]

 「・・・天皇は戦前から「君臨すれども統治せず」というイギリス型の立憲君主制をモデルとしていた。

⇒昭和天皇がこのような考え方を抱くに至ったのは、天皇機関説が刷り込まれたということなのか、それとも、英国ファンだったからなのか、等々、誰か突き止めてくれないものか。
 とまれ、このことこそ、バーガミニの天皇陰謀論が成り立ち得ない根本的理由なのだ。(太田)

 政府の決定を尊重し、2・26事件と太平洋戦争終結以外は自分の意思で決めていないと1981年4月17日の記者会見で述べている。
 そうであるなら開戦の決断は天皇の意思ではない。
 しかし、天皇主権のもとでの立憲君主制は制度上不備がある。
 意思決定せず、責任だけ負う。
 つまり「君臨すれども統治せず。されど責任を負う」ということになる<(注27)>。

 (注27)「昭和天皇<は、マッカーサーとの会見で、>「日本人は戦犯として裁判を受けるとのことだが、彼らは自分の命令で戦争に従事したのであるから彼らを釈放し自分を処刑してもらいたい」と・・・発言<した。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E9%9A%86%E5%90%89 前掲

⇒「注22」からも、天皇は、政務に関しては無答責だが、統帥に関しては答責と考えていたとの俗説(典拠省略)は誤り、ということを押さえておこう。(太田)

 そうであるなら国民主権のもとでの天皇制しかあり得ない。

⇒ここは、間違い。(後で説明する。)(太田)

 天皇は敗戦により制度の変更を痛切に感じたのである。・・・
 <そこで、>天皇は・・・ポツダム宣言受諾後、・・・すでにマッカーサーとの第1回会見前の1945年9月25日の記者会見で、・・・「……立憲的手続きを通じて表明された国民の総意に従い、必要な改革がなされることを衷心より希望する」と述べている<(注28)>。

 (注28)その時、次のようにも述べている。
 「<1991年>9月25日、・・・ニューヨーク・タイムズ特派員との会見<でのやりとり>・・・
記者「日本の将来にいかなるお考えをいだいておられますか」
天皇「英国のような立憲君主国がよい」・・・」
https://books.google.co.jp/books?id=NXljDwAAQBAJ&pg=RA2-PT19&lpg=RA2-PT19&dq=%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%A4%A9%E7%9A%87%EF%BC%9B%E8%8B%B1%E5%9B%BD&source=bl&ots=vX1-AazjvZ&sig=ACfU3U2afvjhIElth8bdtL874nnF8AglWw&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwjK5fPo6ergAhWfx4sBHdu9Ag84MhDoATABegQIAhAB#v=onepage&q=%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%A4%A9%E7%9A%87%EF%BC%9B%E8%8B%B1%E5%9B%BD&f=false

 その2日後がマッカーサーとの会見である。
 ・・・<更に、>天皇は、1946年1月1日の「新日本建設に関する詔書」<(注29)>で天皇主権を否定した。

 (注29)いわゆる人間宣言のこと。但し、「注30」参照。

 天皇は、独立後の記者会見でこの詔書が自分の意思であることを表明している。(注30)

 (注30)1977年(昭和52年)8月23日の会見で、「それ(五箇条の御誓文を引用する事)が実は、あの詔書の一番の目的であって、神格とかそういうことは二の問題でした。・・・民主主義を採用されたのは明治天皇であって、日本の民主主義は決して輸入のものではないということを示<し>た。」と答えた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%96%93%E5%AE%A3%E8%A8%80

 マッカーサーの押しつけではない。
 <天皇>主権が否定された<以上、>大日本帝国憲法は形式だけになった。
 マッカーサー3原則が出たのは1946年2月3日である。
 その前の1月1日、天皇はすでに天皇主権を否定しているから、天皇主権をとる政府案(松本案)ではなく、国民主権をとるマッカーサー3原則が天皇の意思を表現している。
 ・・・国民は天皇を支持していた。
 大日本帝国憲法も、内容はわからないが天皇が与えるものだからよいものだと考え、喜んで支持した。
 <そもそも、>終戦も天皇が戦争を止めるというから従った。
 日本国憲法も天皇が裁可したから喜んで支持した<のだ>。・・・」
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/271385

 上掲は、近畿大学通信部短期大学・松永章生氏による論考だが、目からうろこが落ちた思いがした。
 新憲法(日本国憲法)の基本は昭和天皇の発意によるのだとすれば、新憲法が、旧憲法(大日本帝国憲法)の改正手続きで制定されたのはおかしくもなんともない、ということになりそうだ。
 但し、私は、全面的に氏(講師?)の結論に賛同している訳ではない。
 昭和天皇は、英国の不文憲法を成文憲法に書き起こせ、という意向を示されたのだが、それなら、議会主権にしなければならない・・民主主義と議会主権は両立することは英国自身の例が示している(注31)・・ところを、GHQも日本政府も、きちんとその意向を受け止める能力がなかったのではないか。

 (注31)日本はポツダム宣言を受諾して連合国に降伏したが、そのポツダム宣言には「日本政府は日本国国民における民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍は排除するべきであ<る>」と書かれている
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%84%E3%83%80%E3%83%A0%E5%AE%A3%E8%A8%80
が、国民主権にせよ、とは書かれていない。
 (そもそも、民主主義化せよとすら書かれておらず、単に「民主主義的傾向の復活を強化」せよ、と書かれているだけだ。)
 ポツダム宣言(1945年7月26日)を行った、米国、中華民国、英国、のうち、英国は議会主権国であって国民主権国ではない以上、それは当然なのだ。

 (GHQはともかく、当時の日本政府や日本の憲法学者達はだらしないと言うほかない。申し訳ないが、松永氏もこの点では同じだ。)
 但し、実際に採択された新憲法は、「国民主権」が明記されたものの、以下記す理由から、実質的には議会主権憲法になっている、と言えそうだ。↓

 前文に、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動<する。>」とあるのは、まさしく、議会主権宣言であると読むことができる。
 前文に、「主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」とあるのは、一種のミステークだ。
 しかし、それに引き続く、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」というくだりも、議会主権的な書きぶりになっている。
 また、「第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」も、「主権の存する」の部分に関して(だけ)はミステークだ。
 しかし、「第41条 国会は、国権の最高機関であ<る。>・・・」は、まさに、議会主権を高らかに謳ったものだ。
https://home.hiroshima-u.ac.jp/mfukuok/er/EL_NK_NK.html (「」内)

 ちなみに、英国は、不文憲法であるので、より正しくは憲法が存在しないので、参照しにくいが、一応成文憲法が存在するところの、カナダ憲法
http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_3487777_po_201101d.pdf?contentNo=1
もオーストラリア憲法
http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/document/2003/2/20030206.pdf
も、議会に関する規定はあっても、内閣(行政権)については規定すらなく、そのことが、議会主権であることを、間接的に表しているところだ。

 ところで、軍隊を放棄したところの、新憲法の第9条はどう考えるべきか。
 これは、カナダ憲法でも謳われているところの、総督(国王)が軍隊の最高指揮官という、英国流立憲君主制のもう一つの属性の新憲法における不存在、についてどう考えるべきか、と言い換えてもよい。
 これは、上出のポツダム宣言に、「日本軍<が>武装解除され・・・<、日本の>戦争能力が失われ・・・<、かつ、>日本<が>・・・戦争と再軍備に関わ<る>もの<を>保有<しなくなった、こと>・・・が確認されされる時までは、・・・日本国領域内の諸地点は占領されるべきものとする。」とも謳われており、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%84%E3%83%80%E3%83%A0%E5%AE%A3%E8%A8%80 前掲
軍隊の放棄は、この条件をクリアするための占領下日本の義務である、占領終了後の日本は、適当な時期に、第9条は当然改正される、と昭和天皇は受け止めていたのではないか。 
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(続く)