太田述正コラム#10508(2019.4.21)
<映画評論56:ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男(その1)//三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』を読む(その11)>(2019.7.10公開)

 –映画評論56:ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男(その1)–

1 始めに

 昨夜、今度は、久しぶりに、Amazon Prime の中から選んだ映画を鑑賞してやろうと、物色したのですが、関心の湧くものが少なく、かなり躊躇しながら、まずは表記を選びました。
 例によって、史実に様々な脚色が施されていましたが、マクロ的には史実通りに物語は展開するところ、そのテーマは、先の大戦初期の英国政府における、チャーチル・イーデン・ジョージ6世、に対するに、チェンバレン・ハリファックス、の争いである、と言ってよいでしょう。
 この映画を通じて私が新たに学んだのは、前者にアトリー(労働党)が加わっていたことであり、チャーチルが首相になったのは労働党のお気に入りだったからであるところ、そうである以上、ドイツの敗戦後に久しぶりに行われた英総選挙で、労働党が勝利し、労働党が首相に就けたチャーチルに代わって、就けた側の労働党のアトリーが首相になったこと(以上、A-1、A-2による)が、まことにもって合点がいった次第です。

A-1:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%AB/%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%8B%E3%82%89%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%82%92%E6%95%91%E3%81%A3%E3%81%9F%E7%94%B7 
A-2:https://en.wikipedia.org/wiki/Darkest_Hour_(film)
B:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B86%E4%B8%96_(%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E7%8E%8B)
C:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E5%85%B5%E5%AD%A6%E6%A0%A1_(%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9)
D:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%BA%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9
E:https://en.wikipedia.org/wiki/Clement_Attlee
F:https://en.wikipedia.org/wiki/British_undergraduate_degree_classification
G:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%83%83%E3%83%89_(%E5%88%9D%E4%BB%A3%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E4%BC%AF%E7%88%B5)
H:https://en.wikipedia.org/wiki/Neville_Chamberlain
I:https://en.wikipedia.org/wiki/Mason_Science_College
J:https://en.wikipedia.org/wiki/Stanley_Baldwin
K:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%AB
L:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3
M:https://en.wikipedia.org/wiki/Anthony_Eden

 さて、私が、かねてからチャーチルは無能であった、と主張していることはご存知の方が多いと思いますが、この映画に触発され、私は、当時、彼とウマがあった人々はもちろん、彼とそりが合わなかった人々もまた、無能であった、という思いにかられるに至りました。
 この私の思いを、果たして、史実によって裏付けることができるのか、を検証してみることにしました。

(続く)
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    –三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』を読む(その11)–

 サンソムはそれによって「封建制度から中央集権的王政に、中央集権的王政から議会政治への変遷が英国の政治生活に起った」と説明しています。

⇒サンソムは高等教育を欧州で受け、イギリス史をそういうものとして教わった、ということなのでしょうが、多くの皆さんが熟知されているように、これは誤りであり、イギリスは、この間、一貫して変わることなく、議会主権国であり続けたわけです。(太田)

 16世紀から18世紀にかけて、このような政治的発展は英国のみならず、オランダやフランスのようなヨーロッパ諸国でも進んだのですが、それは同時代の日本には見られなかったのです。

⇒欧州諸国に関してはその通りですが、そんな代物が、文明の全く異なる日本に、いかなる時代においてであれ、「見られなかった」ことがどうかしたのかね、と切り返したくなります。(太田)

 このことはサンソムによれば、当時の日本人に政治能力や政治思想が欠けていたからではありません。
 逆にサンソムは当時の日本人の秩序形成能力や政治についての深い哲学的関心を高く評価しています。
 行政技術において日本人は他国民に卓越していましたし、政治哲学の探求においても同様でした。
 「徳川将軍時代の日本の政治はどこから見ても秩序と規律の奇跡であって、たまたまそれを目撃した少数の外国人から多くの賞賛を博した」とサンソムは述べています。
 たしかに徳川支配体制の政治は過酷な面をもっていましたが、それは同時代の英国の政治についても同様であったとサンソムは見るのです。
 しかし、日英の政治には決定的なちがいがありました。
 英国には自由主義的伝統、とくにその主要な要素である「個人の尊重」の伝統が影響力をもっていたのに対し、日本にはそれはたしかになかったのです。

⇒これは、単に、アングロサクソン文明特有の個人主義、と、日本文明の特徴たる人間主義、が違うというだけのことであり、前者における人間主義の脆弱性こそ問題なのですから、これは言いがかりである、倒錯である、と、私としては、三谷に強く訴えたいですね。(太田)

 それは、英国が国王権力の維持のために、「議論による政治」の要素を導入する必要があったのに対し、日本の場合には将軍権力の維持のために、そのような手段に訴える必要はなかったことによるところが大きいでしょう。・・・

⇒「議論による政治」を、若干無理やりにですが、「議会主権」と言い換えるとすれば、それは、イギリスの歴史を通じて一貫しているのであり、歴代英国王もまた、主権を持つ議会が(少なくとも観念上は)イギリスが統一国家になった時点以降、任命してきたのであり、かつまた、個人主義と議会主権とは直截的に結び付くものでもなく、とにかく、サンソムは、自分が生まれ、自分が仕えてきた、肝心のイギリスという社会/国のことがよく分かっていない、という感を深くします。
 とにかく、サンソムは、日本が議会主権の国ではなかった、と言っているのに等しいわけですが、イギリス以外には、世界に議会主権の国なんて存在しないのですから、私には、彼が一体何を言いたいのか、さっぱり分かりません。
 とにかく、17世紀から19世紀にかけて、日本は、イギリスと違って、200年以上にわたって、内戦も戦争も起こさず、植民地も(沖縄はやや微妙ですが)持とうとせず、従って持たなかった、という諸点だけからしても、もっともっと、サムソンや三谷の「称賛を博し」てしかるべきでしょう。(太田)

 要するに、英国の宗教勢力のような有力な対抗勢力をもたなかった日本の中央集権的支配と宗教勢力を含む有力な対抗勢力からの不断の挑戦にさらされた英国の中央集権的支配との強度差が、それぞれの「前近代」から「近代」への政治的発展に質的な差異をもたらしたと考えられるのです。

⇒このくだりは、サンソムの考えの受け売りなのか、三谷の独自の考えなのかは定かではありませんが、一体、どこの国のことを彼ら(彼?)は語っているのだろうか、と言いたくなります。
 ヘンリー8世による1534年の英国教会の樹立・・カトリシズムの否定・・をいとも簡単に断行し得たイギリス
https://kotobank.jp/word/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E5%9B%BD%E6%95%99%E4%BC%9A-169092
の、どこが、わざわざ「宗教勢力」でもって代表させられているところの、「宗教勢力を含む有力な対抗勢力からの不断の挑戦にさらされた」、と、三谷はいうのでしょうか。
 ひょっとして、三谷(ら?)は、17世紀の「清教徒革命」のことが念頭にあるのかもしれません。
 しかし、それはミスノーマーであり、国王主権派と議会主権派との間での「イギリス内戦」であって(コラム#省略)、その折、清教徒達が議会主権派の有力構成者達であったかもしれませんが、だからと言って、それは、断じて「宗教勢力・・・からの・・・<国王主権派への?>挑戦」などではありませんでした。(太田)

(続く)