太田述正コラム#10528(2019.5.2)
<映画評論60:帰ってきたヒトラー(その1)>(2019.7.21公開)

1 始めに

 読者の言及(コラム#10521)を受け、表記・・独:Er ist wieder da(彼が帰ってきた)、英:He’s Back Again・・を一昨日鑑賞しました。(A、B)
 原作(2012年)も映画(2015年)の監督もドイツ人のドイツ映画にもかかわらず、この映画の日英独ウィキペディア群中、独のが一番中身がない、というのは不思議です。(A、B、C)

A:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B0%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC
B:https://en.wikipedia.org/wiki/Look_Who%27s_Back_(film)
C:https://de.wikipedia.org/wiki/Er_ist_wieder_da_(Film)

 (原作は、20か国語超に翻訳され、ドイツではもちろん、日本でさえもベストセラーになっていますが、この映画の英語のウィキペディアには、・・いくら何でも英訳は存在しているのでしょうが、・・原作への言及が全くありません。)
 日本語のは、原作についてのウィキペディアを兼ねていることもあり、分量も多いし、ストーリー評論を旨とする私にとって、最も、オイシイ中身になっていました。(A)
 なお、原作者のティムール・ヴェルメシュ(Timur Vermes。1967年~)は、ドイツ生まれのドイツ人ではあるものの、「母親<こそ>ドイツ人で<も>、父親は、ハンガリー動乱が失敗に終わった後の1956年に、ニュルンベルクへ逃れてきたハンガリー難民」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5
です。

2 ヒトラーは典型的ドイツ人

 既に取り上げ済みであるところの「ヒトラー ~最期の12日間」(2004年)は、私見では、「ヒトラーが、「人種主義、排外主義、自惚れと恐れ、によって焚きつけられたところの、ドイツ人達の多くによる自然発生的蜂起の中心」となったところの、少なくとも人種主義に関しては、彼らの中では最も正常・・まとも・・な人物だった」(コラム#10524)ことを訴えたものであるにもかかわらず、映画評論家達等は誰もそこまで踏み込んだ指摘をせず、ヒトラーは普通の人間だったことを訴えたものである、というところまででお茶を濁してきたわけですが、そのような状況に付け込む形で、この映画(原作を含む)は、「」の中の前段について、紛れの余地なく、訴えています。
 しかも、「ヒトラー ~最期の12日間」とは違って、現在(2012年ないし2015年)のドイツを舞台にしていることから、この原作/映画は、ドイツ人はナチスドイツ当時のドイツ人と基本的に同じだ、とも訴えているのです。
 すなわち、ヒトラーがヒトラーそっくりさんではなくヒトラー本人(が蘇ったもの)であることを見抜いた男が、拳銃でヒトラーを殺そうとする場面で、ヒトラーは、自分はドイツの人々によって選挙で選ばれたのであり、自分が怪物だったとすれば、自分に投票した者全員がそうだったということだ、と穏やかに語り、激高した男がヒトラーの顔面に拳銃を発射するとヒトラーはビルの屋上から落下して地上に叩きつけられるけれど、すぐ、男の後ろに現れ、自分は全ドイツ人の一部なので殺されることはありえない、と主張するのです。(B、及び、映画そのもの)
 米国のエンターテインメント業界紙
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC
に載った映画評で、なおもこのことを正視せず・・意気地がなくてできず?・・、「この映画は現代ドイツについても、また、現代ドイツにヒトラーの考えや方法が再び根付く潜在的可能性があるかもしれないことについても、説得力ある形で描いてはいない」、としているのはお笑い草ですが、さすがに、英インディペンデント紙に載った映画評は、この映画の中で、このヒトラーと現代の実際の一般のドイツ人達のアドリブの対話の場面が何度も出てくることを捉え、彼らのヒトラーに対する好意的な姿勢に、驚き、嫌な思いがした(”surprising” and a “little disturbing)、と正直です。

3 ヒトラーが典型的ドイツ人達の中心になれた理由

 問題はその先です。
 ヒトラーが、昔も今も変わらぬ、典型的ドイツ人だとしても、彼が、「蜂起」した人々のうちの1人で終わらず、「ドイツ人達の多くによる自然発生的蜂起」の「中心」になれたのは、一体どうしてなのでしょうか。
 日本語ウィキペディアは、「持ち前の知能の高さ」のおかげだと典拠抜きで主張しています(A)が、まさかまさか、です。

(続く)