太田述正コラム#8702005.9.18

<民主党新党首誕生>

 (前回のコラム#689に大幅に手を入れてHPとブログに再掲載してあります。急用ができて推敲しないで上梓したため、ご迷惑をおかけしました。)

 民主党が、17日の両院議員総会で民主党「次の内閣」防衛庁長官の前原誠司衆議院議員(43歳)を新党首に選出しました。菅直人前党代表を96票対94票(無効票2票)という僅差で破ったものです。

 私は前原議員に、2002年、彼が民主党の幹事長代理であった時に、彼の方から連絡があって、民主党本部で会ったことがあり、政策論議を交わしたわけではありませんが、初対面の彼の溌剌とした態度に大変好感を持ちました。

 それ以前から、彼が京大法学部卒、松下政経塾出身で安保・防衛問題に関心が強く、自衛隊の制服組との交流もある政治家であることは承知していましたが、彼が裁判官だった父を中学2年の時に亡くし、奨学金を得て学業を続けた元高校球児で、SLの写真撮影が趣味だ、といったことは、今度初めて知りました(http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050917i112.htm。8月17日アクセス)。

 前原氏は代表就任後の記者会見で、憲法改正について、「(戦力の不保持などを定めた)憲法9条2項を削除して自衛権を明記する」との持論を示したうえで、「党内の議論をスピードアップして、受け身にならない、しっかりした案を持って対応できるよう進めていきたい」と述べる(http://www.asahi.com/politics/update/0917/007.html。8月17日アクセス)とともに、「既得権益の対極にいるのがわれわれだったのではないか」とした上で、「(郵政民営化法案に)労働組合の意向で対案が出せなかったのではないか。民主党を闘う集団に変えることだ」と踏み込んだ党改革を訴えて、同僚議員達を驚かせました(http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/seitou/news/20050918k0000m010062000c.html。9月17日アクセス)。

 この彼の考え方は、彼が、日本新党の衆院議員だった1994年に、党代表の細川護熙氏(元首相)が小沢一郎氏(民主党前副代表)との連携を強めると、反発して離党した(http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050917i112.htm上掲)ことを考えると、恐らく私の考え方とほとんど同じだと思います。 

 私は随分以前から、小沢氏の、集団的自衛権に対する煮え切らない態度と、それと関連しているところの、自衛隊とは別に国連待機部隊を設ける、という持論のいかがわしさに反発していましたし、何よりも彼が岩手の地元で、自民党経世会在籍当時のまま、(同じく経世会に在籍していた鈴木宗男ばりの)土建業者と癒着した選挙を続けてきたことに強く反発しており、2001年の参議院議員選挙に民主党から立候補した時の演説には、自民党批判はもちろんのこと、当時小沢さんが党首であった自由党批判も必ず織り込んだものです。

 ですから、私は前原さんの民主党党首就任に心からお祝いを申し上げたいと思います。

 前原さんが、ご自分の考えで民主党内をまとめられることに成功されれば、若干の脱落者は出るでしょうが、それよりも自民党に与える打撃の方がはるかに大きいでしょう。

 自民党が権益擁護だけの政党であって、実は(党是に反して)憲法改正反対勢力であること(注)、が否応なしに炙り出されてくるからです。

(注)自民党は、今次総選挙で大勝利を博したにもかかわらず、憲法改正の手続きを定める国民投票法案を審議するために衆院に新たな常任委員会を設けるとの提案を出したと思ったら、公明党に「配慮」したと称して、この提案を撤回した(http://www.asahi.com/politics/update/0916/001.html。9月16日アクセス)。

 小泉首相は、ついに自民党はぶっこわせそうもないけれど、民主党に政権を担いうる政党への脱皮を促すことには成功した、と言えるのではないでしょうか。

 日本の将来に、ようやく一筋の光明がさしてきました。