太田述正コラム#10626(2019.6.19)
<三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』を読む(その55)>(2019.9.7公開)

 1923年には、約2000万ドルの朝鮮半島開発を目的とする東洋拓殖会社社債がナショナル・シティ銀行その他によって引き受け発行されます。
 また関東大震災の翌年の1924年には、震災復興のための政府公債がモルガン商会をはじめとする米英銀行団によって引受発行されます。
 次いで東京横浜両市市債がモルガン商会等の手を通してニューヨーク市場で発行されます。
 こうした米英資本の流入は、1930年まで持続し、その間1928年のラモントを通して行われた東京電力の前身である東京電燈社債引受発行、金解禁の準備としての2500万ドルに及ぶ1929年のクレジットの設定、1930年の台湾電力社債の引受発行等が行われたのです。
 こうした日米間の国際金融関係の密接化について、モルガン商会を中心とする銀行団による震災復興公債の引受発行が決定した際、その交渉を担当した大蔵省海外駐箚財務官森賢吾<(注59)>はラモントに対し、これを「新しい同盟」(A new alliance)と形容しました。・・・

 (注59)1875~1934年。佐賀県出身。東大法卒、大蔵省入省、やがて、財務官として英仏駐在、パリ講和会議全権委員、賠償に関するジュネーヴ会議政府代表等、関東大震災後外債募集に尽力、米国駐在。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E8%B3%A2%E5%90%BE

 1927年に金融恐慌後の日本の経済状況を視察するために再び来日したラモントは、・・・米国資本を導入することを目的とする・・・満鉄社債発行計画と日本の金融情勢についての井上の見解を本国へ紹介した電文の中で、それを極めて信頼に値するものと評価し・・・ています。・・・
 井上はまさに・・・「・・・米国のウォール・ストリートや英国のロンバード・ストリート<(注60)>の国際的な投資銀行<からなる、国際>・・・金融・・・帝国」の価値体系を共有していたのであり、・・・<この>価値体系の基本的要素が金本位制であり、井上は金本位制を成立させ、維持するための必要条件として、金準備の蓄積を推進する緊縮政策を志向しました。

 (注60)Lombard Street。「ロンドンのテムズ川北岸のいわゆるシティ・オブ・ロンドンに位置する・・・約300mの通りの名称。多くの銀行や保険会社が軒を連ねることから、ロンドン金融市場の異名ともされる。イギリスでは13世紀末にエドワード1世がユダヤ系の金融業者を追放したが、この前後から北イタリアのロンバルディア出身の[金細工師]等が来住、貿易とからめ両替・為替業を営み銀行業者の地位を固めた。その後のチューダー王朝、スチュアート王朝下ではイギリス国民たちも金融業務に参加し、[16世紀には商品取引所(Royal Exchange)ができ、]17世紀には金匠やイングランド銀行もここで銀行業を開始した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88_(%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3)
https://en.wikipedia.org/wiki/Lombard_Street,_London ([]内)

 緊縮政策(retrenchment finance)は・・・日本の金解禁に対する国際金融資本の支持(すなわち短期クレジット供与)の条件でした。・・・ 
 日本がこの時期に行った軍縮もまた緊縮政策の一環であり、金本位制を基本政策とする国際金融資本の論理の必然的要請でした。・・・
 つまり米英の国際金融資本にとって、井上の存在は日本に対する債権の最大の担保の意味をもっていたわけです。・・・

⇒逆に言えば、井上は、国際金融資本の日本における、良く言えばエージェント、悪く言えば傀儡、であったということです。
 もっとも、恐らくは、井上にその自覚はなかったと思われます。
 彼は、自分が身に付けた経済学の理論通りの経済政策を単に推進している、という意識だったのではないでしょうか。
 ところで、戦前の日本の安全保障の基本は事実上帝国陸軍が所管していたわけであり、その結果、として、外務省は日本の外交全般の中枢ならぬ経済外交のみの中枢へと堕してしまっており、その外務省が、大蔵省/日銀の国際金融における英米一体論の影響を受けて英米一体論に染まって行った、と言えそうですね。
 問題は、帝国海軍がどうして英米一体論に染まってしまったか、です。
 ここで、念のために申し上げておきますが、「国際金融の世界では「世界最大のタックスヘイヴンは<米国>と<英国>」というのが常識になってい<て、例えば、>シティと呼ばれるロンドンの<ロンバード>街<は、>・・・ジャージー島、ガーンジー島、マン島の王室属領、ケイマンやジブラルタルなどの海外領土、シンガポール、キプロス、バヌアツのような<英>連邦加盟国、香港などの旧植民地<、からなる>タックスヘイヴンの重層的なグローバルネットワーク・・・の中心に位置する」
https://diamond.jp/articles/-/43490
、ということが端的に示しているように、ウォール街とロンバード街を中心とする国際金融の世界には国境を超えた一体感・・帝国意識!・・があって、この国際金融の世界は新世界覇権国たる米国や旧世界覇権国たる英国と持ちつ持たれつの関係にあり続けて現在に至っているとはいえ、ウォール街は米国ではなく、ロンバード街は英国ではないのであって、両街の「地主」である米英両国それ自体は、一体どころの騒ぎではないのです。(太田)

(続く)