太田述正コラム#11251(2020.4.26)
<末木文美士『日本思想史』を読む(その2)>(2020.7.17公開)

 「・・・<但し、>村岡典嗣<(注3)>は『本居宣長』(1911)が高く評価され、東北帝国大学に日本思想史学の基礎を築き、『日本思想史研究』全四巻(1930~49)などの一連の着実な研究を進めた。

 (注3)つねつぐ(1884~1946年)。早大(哲学)卒、独逸新教神学校卒。記者時代に「『本居宣長』を上梓、これが認められて・・・広島高等師範学校教授<、更に、>・・・東北帝国大学法文学部教授となり、日本思想史学科を開設した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E5%B2%A1%E5%85%B8%E5%97%A3
 「『本居宣長上梓後、>認められて欧州に遊学<している。>・・・
 <彼>の方法論は、(1)思想的対象を、それが創出されたそのままに正確に再認識し(文献学的段階)、(2)その対象を同時代や他の時代の作品と比較しつつ理解し叙述する(歴史学的段階)にある。戦前・戦中・戦後で説を改めることはなかった。」
https://kotobank.jp/word/%E6%9D%91%E5%B2%A1%E5%85%B8%E5%97%A3-140808
 「ドイツ文献学を範とし、国学を基礎として、日本思想史学を築き上げんと努めた」
http://lib.kyoto-wu.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BA66903569?hit=-1&caller=xc-search
 
 東北大学はその伝統を受け継ぎ、主要国立大学で唯一の日本思想史講座を設け、今日に至るまでこの分野をリードしている。・・・
 <実は、私が、当時>・・・勤めていた東京大学文学部・大学院人文社会系研究科で、日本学専攻の枠を広げ、日本思想・宗教史の専門を設ける案が浮上した<ことがあり、>私は学内の組織運営には疎かったが、この時だけは熱心に実現しようと働きかけた<のだが、>十分な賛同を得られず、お蔵入りとなり、その後も復活させることができなかった。
 かつて戦時下に文学部に日本思想史講座が設けられ、皇国史観の平泉澄<(注4)>が担当して、戦後つぶされた経緯があった<ため、>日本思想史はタブーになり、結局その壁を破ることができなかった。

 (注4)きよし(1895~1984年)。東大文(国史)卒、同大院進学、同大講師、文学博士[・・学位論文「中世に於ける社寺と社会との関係」は、アジール論の展開で学界の注目を集めた。・・]、助教授、欧米外遊、教授。この間、昭和天皇や満州国皇帝の溥儀に進講(昭和天皇には「楠木正成の功績」を進講し、後醍醐天皇を讃えた)、海軍勅任嘱託。敗戦を機に平泉寺白山神社第4代宮司、公職追放。〈皇学館大学学事顧問,日本を守る国民会議発起人などとして活動した。〉
 なお、「平泉自身は、自ら皇国史観を称したことはない」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%B3%89%E6%BE%84
https://kotobank.jp/word/%E5%B9%B3%E6%B3%89%E6%BE%84-1103843 ([]内)
 「アジール権(アジールけん)とは、俗世界の法規範とは無縁の場所、不可侵の場所という意味。・・・通常神殿や寺院、教会などがこれにあたる。宗教的、呪術的に特殊な聖域と考え、俗世界で犯罪を犯しても、アジールに逃げ込めば聖的な保護を与えられ、世俗権力による逮捕や裁判を免れるという一種の治外法権のような性質を持った。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%AB%E6%A8%A9
 「歴史的には、当初は統治権力は存在せず、全ての場所が(のちに言うところの)アジール<(仏:asile、英:asylum)>であった。統治権力は、徐々にその支配領域を広げていったが、多くの場所が統治権力の支配下となっても、いまだその支配を受けない場所が、あちこちにとびとびに残された。この段階になってはじめて、アジールは後に歴史研究におけるテーマとして注目されるものとなった。
 アジールとされた地域には、教会、神社、仏閣などの宗教的聖地の要素を持つ場所や、市場など複数の権力が入り混じる自由領域・交易場所などがあった。商業都市も、武力を背景とした統治権力に対抗する「自治都市」として強いアジール性が認められた場合がある。単に「統治権力が及ばない地域」というだけではなく、「大きな統治権力と小さな統治権力がせめぎあった結果、大きな統治権力の実効支配が否定されている地域」と理解することもでき、統治権力が大きく統合されていく過程で生じた過渡的な現象ということもできる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%AB
 平泉が、死後公開してよいとして弟子の田中卓(たかし。1923~2018年。東大文(国史)卒、國學院大博士、皇學館大學教授、同大学長等
< https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%8D%93 >)
に託した自筆諸論文中に、「日本の国体<の>・・・大原則として「天皇親政」でなければならず、日本の国そのものが“天皇の親政によって成立”し、“保持”され、“発展してきた”ということを、歴史の事実として論述<したものがある。>」
https://www.kokusho.co.jp/np/isbn/9784336054630/ (〈〉内も)

⇒私見では、日本において、天皇は最高権威者であり続けるとともに(潜在的にですが)モード転換者でもあり続けたけれど、天皇が親政を行った時期は、日本史における例外的な時期であって、この時期においても、私の言う、聖徳太子コンセンサス信奉者達、及び、桓武天皇構想完遂者達は、封建制の創出という形での天皇親政の停止を目指していた、という、私の現在の日本史観に照らせば、平泉澄の日本史観は根拠薄弱で誤りである、ということにならざるをえません。
 なお、平泉がどのようにアジール論を援用したのかは詳らかにしませんが、日本の日本史学会では、アジール概念を拡張し過ぎているように思います。
 論じるのは別の機会に回しますが・・。(太田)

 <そして、>その挫折が遠因となって、定年前に東京大学を去ることになった。・・・
 <さて、日本>思想史は三つの分野から考えなければならない。
 第一に王権に関する思想であり、政治思想と言うことができる。
 第二に神仏に関する思想であり、宗教思想と言うことができる。
 第三に、両者の緊張関係の中に展開する思想であり、古典解釈などの知識階層における知的な営為や文学・芸能などに関する思想、あるいは実戦的な倫理思想を含む。
 それと同時に、より生活に密着した医学・暦法・労働・技術などに関する思想も考えられる。
 このように大伝統<(後出)>の基本的な形は三分野からなる。・・・
 このような思想史の構造は、近世までの前近代においてもっともよく当てはまる。
 それに対して、明治維新後の近代においては、それまで両極に分かれていた王権と神仏の要素が天皇を中心として一元化される。
 そのような体制はまた、戦後に解体され、西洋的な近代の民主主義の理念が根底に置かれるようになる。
 このように、日本の思想史は大きく三つに分けて考えることができる。
 前近代と近代と戦後である。
 それをそれぞれ大伝統・中伝統・小伝統と呼ぶことにする。
 「伝統」と呼ぶのは、単なる時代区分でなく、それぞれが伝統として重層化して蓄積し、今日の日本の思想文化を規定していると考えられるからである。」(3、7~9、249)

(続く)