太田述正コラム#11564(2020.9.29)
<2020.9.26東京オフ会次第(その3)>(2020.12.22公開)

 この戦後経済高度成長は、戦前(1930年代)から始まったところの、日本型政治経済体制の構築、と、経済高度成長、が、戦後も、前者の体制は基本的に維持され、後者は復活したものであり、終戦は、基本的に何の影響も与えなかったことになる。
 つまり、戦前と戦後は、体制においても経済成長においても、継続していたわけであり、この点からも、日本の敗戦はなかったに等しいことになる。
 戦後、西ドイツもそれなりの経済高度成長を達成していることから、人的インフラさえあれば、敗戦は、有効需要の大幅増大を意味するのだから、日本の場合も不思議ではない、とは言えないのではないか。
 (下掲中の「第6図 主要国の一人当たり実質GDP・・・の推移」を参照。
https://www.jcer.or.jp/j-column/column-saito/20181120.html
 戦後日本の経済高度成長は、その成長率の高さにおいて、西ドイツ/ドイツやイタリアのそれらを大きく引き離しており、結果的に、産業時代になってから、非欧米世界で初めて、欧米世界のレベルにまで一人当たりGDPを到達させた、という意味で、世界史における金字塔を打ち立てた、と言っても過言ではない。)
b:横井小楠コンセンサス、島津斉彬コンセンサス、勝海舟通奏低音、の違いをもたらしたものは何か。
o:小楠が北条得宗家の末裔、斉彬が武家の棟梁家(頼朝)の子孫、海舟が父親の代からのまがいもの武士、だったからだろう。
 小楠は遠交近攻策で対露抑止に当面専念すべきだと考えたのに対し、斉彬は日本に対する潜在的脅威である欧米勢力の総体の無力化を図ろうと考えて日蓮主義を採用し、海舟は日本列島を守ることだけを考えれば事足れるとした、といったところか。
 斉彬の場合、素性の定かではない徳川家なんぞではなく、島津家こそが、江戸時代において、本来、歴代将軍に任じられるべき武家の棟梁家だ、という気持ちだったのではないか。
 近衛家だってそう考えていたからこそ、江戸時代においても、島津家と一心同体の存在であり続けたのだ、と思うのだ。
a:文麿の父親の近衛篤麿がアジア主義の父となったのも、その文脈で捉えるべきなのだろうな。
o:さて、肝心の個人の責任の話だが、自民党「タカ」派の首相であった、岸や中曽根もまた、日本は先の大戦で敗北したと思い込んだままだった。
 だから、旧軍、就中帝国陸軍、に対する嫌悪感を抱き続き、日本独立への努力を、前者は十分に行わず、後者は行うふりをするだけでお茶を濁した。
 中曽根の場合は、先の大戦は、一介の海軍主計将校として経験しただけだったので無理もない面はあるが、岸の場合は申し開きが出来ない。
 高度の知力を持ちながら、しかも、満州の時と戦時中に、帝国陸軍と濃厚な付き合いがあったにもかかわらず、杉山構想を知るところとならず、知ろうとする努力を十分行った形跡もないからだ。
 だから、私は、しいて一人をあげるならば、岸信介が、日本文明を滅ぼしたことに最大の責任を負うべきであると思っている。
b:日蓮主義はどうして生まれたのか。
o:聖徳太子コンセンサスが成立した時点では、日本は、朝鮮半島にも勢力圏を持っていた。
 だから、もともと、厩戸皇子は、日本列島だけを守る軍事態勢の構築を考えていたわけではない。
 しかし、その後、白村江の戦いを契機に、日本は同半島から退いてしまう。
 他方、聖徳太子コンセンサスは、桓武天皇構想の形で、実施に移され、鎌倉幕府の成立でもって、見事に一応の完結を見る。
 しかし、困ったことが起きた。
 日本列島だけを守る軍事態勢としては過大なものを日本は抱えることになってしまったという・・。
 集権的軍事態勢であれば、命令一家、軍事力を縮小すればいいのだが、分権的軍事態勢においてはそうはいかない。
 そこに日蓮が現れたわけだ。
 彼は、蒙古が襲来することもそれを日本が撃退することも予想した上で、その後、日本の軍事力を大陸に展開し、朝鮮半島と支那を席捲させることを通じて、東アジアに日本文明を移植しようと目論んだところ、これが日蓮主義なのだが、北条得宗家が笛吹けど踊らず、実現することはできなかった。
 しかし、この日蓮の思いは、日蓮主義として日本において脈々と受け継がれ、ついに斉彬によって、島津斉彬コンセンサスとして生命を再度吹き込まれ、明治維新後の日本の指導者達の中のとりわけ心ある人々の間で共有するところとなる。
 そしてどうなったかは、ご存知の通りだ。
b:ところで、どうして、米国は世界覇権国になれたのか?
o:アングロサクソンが植民地時代や米国の初期の中心であったことが大きい。
 (だから、イギリスに引き続き、)米国が世界覇権国になったのだ。
a:イギリスもドイツも石炭がとれたが、米国の場合、テキサス等から石油が出たことも大きいのではないか。
o:寒いので、米国に比してハンデを負っているところの、同じアングロサクソンが始めたカナダが、米国よりも一人当たりGDPでちょっと劣る程度でずっと米国に追随してきて現在に至っており、米国に何も特異なことはない、と、私は思っている。
 (米国の一人当たりGDPは、1877年頃まではイギリスと全く同じで推移してきてそれから上回り出す(上掲)。その要因が何だったのかは、機会があれば改めて考えてみたい。
 なお、上掲資料は、米国がイギリスに代わって新たに世界覇権国になったのは、イギリスと比較して人口の伸びが大きかったからだとしている。)
b:どうして、米国で黒人問題を解決することが不可能なのか?
o:危険を顧みず、故郷を捨てて、或いは捨てざるをえず、一打挽回/一獲千金を夢見て遠路英領北米植民地/米国に渡ってきた「異常な」連中が米国人の大部分で、そうじゃない、つまりは「正常」な、人々は、アメリカ原住民と黒人奴隷だけだ。
 「異常な」連中と「正常な」人々とが共棲できるワケがない。
 これが、米国における有色人差別の本質だ。
 で、さんざん殺戮し、感染症で殺してからだが、元からいたアメリカ原住民とその子孫達には保養地が与えられた。
 ところが、故郷から拉致されてきたというのに、奴隷の子孫達には、いまだに何も与えられていない。
 だから、補償をしなければいけないのだ。
 もとより、保養地に住むアメリカ原住民の大部分が幸せではないように、補償金を受け取ったって、奴隷の子孫達の大部分は幸せにはならないだろう。
 でも、とにもかくにも、補償をしなければしょうがないのだ。

(完)