太田述正コラム#12782006.6.5

<東大法学部群像(その2)>

 村上には酷な言い方ですが、村上を見ていると、山のように証拠を残した上で、逃亡しないまま逮捕された秋田男児殺害事件の被疑者の女性そっくりだな、と思ってしまいます。

 村上が記者会見で故意ではなかったと主張している(http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20060605k0000e040049000c.html)点も、女性が死体遺棄だけしか認めていない(http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20060605k0000m040100000c.html)点とそっくりの往生際の悪さです。

 

 (2)ひっかかる村上の言葉

  ア 株式投資は投機ではない

特に眉を顰めたのは、村上の前記記者会見です。

 「構成要件」なんて法学部出らしい言葉を使ったりしていました(http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20060605k0000e040049000c.html)が、彼が、「株式投資は投機ではない」と言う(記者会見TV中継)のを聞いてまず耳を疑いました。

 なぜなら、投機(speculation)とは、「偶然の利益をねらって行う行為」もしくは「将来の価格変動を予想して、価格差から生ずる利益を得ることを目的として行う売買取引」(大辞林第二版)であることからすれば、どちらの意味においても、株式投資は投機そのものだからです。

 ちなみに、投機の後者の意味は、ほぼ裁定取引(arbitrage市場間の価格差を利用して利益をあげる経済行為。その結果として両市場の価格差は縮小する(大辞林上掲))と同じ意味です。

ひょっとして村上は、自分のやってきた株式投資は「裁定取引」であって「偶然の利益をねらって行う行為」(=浮利の追求=狭義の投機)ではなかったと言いたかったのでしょうか。

 しかし、村上流の株式投資は、「随所にメディアを使って情報を小出しにし、株価をつり上げ」(毎日上掲)た上で売り抜けるという点ですこぶるつきに浮利追求的でした。

 より大事なことは、村上流の株式投資はインチキな裁定取引であった、という点です。

 裁定取引も投機である以上、本来はリスクを伴うはずです。

 しかし、村上が狙った投資先は、ことごとく、アングロサクソン型企業(株主だけをステークホルダーとする企業)ではないどころか、典型的な日本型企業(株主がステークホルダーのうちの一つに過ぎない企業)でかつ買収防止策が不十分なところばかりです。日本の企業に係る法制度が急速にアングロサクソン的グローバルスタンダード化しつつあり、日本型企業は遅かれ早かれアングロサクソン型企業へと変身すべきであるとされているところ、典型的な日本型企業に関し、変身した将来時点での企業価値と現在の企業価値との間に高低のギャップがあるのは当たり前であり、かかる企業の株は割安であって当然なのです。だから買収防止策が不十分でかつ典型的な日本型企業の株を、資金力に物言わせて買い集めれば、株価つり上げの小細工を弄さなくても株は確実に、すなわちリスクなしで値上がりするものなのです。

 このように、村上の投資先は確実に株価が上がると知っているからこそ、「随所にメディアを使って情報を小出しに」するだけで、一般投資家が同じ株を買いに殺到し、「株価がつり上」がり、その結果、MFは年60%とも言われる利益を外国のファンドに還元してくることができた(6月5日1900NHKTVニュース)のです。

 確かにこれは投機ではなく、錬金術です。

 こう考えてくると、株式投資は投機ではない、というのは村上の本心だ、ということになりそうですね。

  イ 金儲けがなぜ悪い

 前記記者会見で村上が、「自分はカネを儲けすぎたから目の敵にされるのだ」と言った(http://www.sankei.co.jp/news/060605/sha033.htm)のにもカチンときました。(上述のようなあこぎな儲け方をした人間がよく言うよ、と思いますが、そのことはしばし忘れることにしましょう。)

 村上にとっては、アングロサクソン型企業からなるアングロサクソン社会こそ理想の社会であるようですが、このような社会が維持できるのは、それが営利追求だけの社会ではないからです。すなわちアングロサクソン社会は、法の支配(コラム#90)と反産業主義(コラム#81)の社会でもある、とかねてより私は指摘してきたところです。

 村上は、確信犯的故意で法律違反を犯したと目されている人間であり、かつまた恐らくは慈善活動など個人としてもMFとしても全く行っていなかったに違いないことからすれば、彼は、営利追求だけの人間であって、仮にアングロサクソン社会においても、間違いなく目の敵にされる人間なのです。

  ウ 日本は悪い国になりつつある

 更に同じ記者会見で、彼が「日本は悪い国になりつつある」と宣ったの(産経上掲)には私は思わずのけぞりました。