太田述正コラム#1397(2006.9.4)
<マクファーレン・メイトランド・福澤諭吉(その1)>

1 始めに

 注文したマクファーレン(Alan Macfarlane)の本3冊(コラム#1380)のうち、2冊が週末から本日にかけて届きました。
 そこで、まず1冊目の本、The Making of the Modern World?Visions from the West and East, Palgrave 2002 の紹介を行いたいと思います(注1)。

 (注1)太田述正コラムの部分的有料化から2ヶ月ちょっと経ったが、一週間に一回程度の有料版は理論編、一週間に六回程度の無料版は応用編という感じの仕分けになってきている。この際、こういった点を含め、有料版のあり方について、有料読者及び無料読者の皆さんのご意見をお寄せいただきたい。ちなみに、この間、有料読者数も無料読者数もほとんど変化していない。(それぞれ全く増えていない、と言うべきか。)なお、今回のシリーズは理論編だが、一回目だけ例外的に無料版にすることにした。

2 本の概要

 (1)注目点
 何と言ってもこの本が注目されるのは、著者が、West代表としてのE.W.メイトランド(Maitland。1850??1906年)とEast代表としての福澤諭吉(1835??1901年)を対置させる体裁をとっていることです。
 これは、イギリスを代表する法史学者の一人であるメイトランドを、「近代世界観の形成者」と捕らえ直したという点で、そして福澤を「東」におけるそのメイトランドに匹敵する存在として高く評価した点で画期的であると言えるでしょう。

 (2)メイトランド論

 私のアングロサクソン文明・欧州文明峻別論の種本がマクファーレンが1979年に上梓した「イギリスにおける個人主義の起源」(コラム#88)である(注2)とすれば、そのマクファーレンの種本が1895年にメイトランドが上梓したHistory of English Law before the Time of Edward ?? であったことが分かりました。

 (注2)口幅ったいが、私のオリジナリティーは、この両文明峻別論を援用しつつ、欧州文明の特徴を掘り下げた点にある、と自分では考えている。

 さて、これまで読んだマクファーレンの本では、アングロサクソン文明の起源が明確ではあるなせんでしたが、メイトランドが、タキトゥスの「ゲルマニア」等を引用して(PP41等)ゲルマン人起源論を主張していたことを知りました(注3)。

 (注3)私が、「ゲルマニア」を引用しつつ、先回りしてアングロサクソン文明・ゲルマン人起源論を展開していた(コラム#41、125、372、852、854、857)ことは、ちょっぴり自慢してもよかろう。しかも、メイトランドは、イギリスがアングロサクソンの侵攻以降も、何度もゲルマン系の侵攻を受けたことが、イギリスがゲルマン的純粋性を維持できた要因の一つとして挙げている(PP42)のを知ってまたもやびっくりした。たまたま私もおなじことを以前(コラム#854で)指摘しているからだ。

 また、メイトランドが、アングロサクソン文明と欧州文明の最初の岐路について、イギリスではアングロサクソンが侵攻した時にローマ文明が拭い去られた(swept away)のに対し、欧州(フランス・イタリア・スペイン)ではゴート族やブルグンド族は侵攻先のローマ=ガリアの人々の中の圧倒的少数派に過ぎず、しかも彼らが(征服者ではなく)ローマ皇帝の家来ないし同盟者に他ならなかったことからローマ文明の法・宗教・言語が生き残った(注4)ことを挙げている(PP77)ことも知りました。

 (注4)この点も私は先回りして以前(コラム#41で)指摘している。

 以上は、私にとっては目新しい話ではないのですが、瞠目させられたのはメイトランドが指摘している、アングロサクソン文明と欧州文明の二回目の岐路である欧州の再ローマ化(12??16世紀)であり(PP75)、また、アングロサクソン文明で個人主義により社会が瓦解することを食い止めている大きな要素の一つが14世紀に生み出された信託(trust)(PP90)の思想である、という二つです。

(続く)