太田述正コラム#1412(2006.9.19)
<重村智計氏の本(その1)>

1 始めに

 日曜日に読者の島田さんから、彼が読んだばかりの重村智計氏の本1冊と佐藤優氏の本2冊の寄贈を受けたのですが、まず重村氏(かつて毎日新聞記者、現早稲田大学教授)の「外交敗北――日朝首脳会談と日米同盟の真実」(講談社2006年6月)を読み終えたので、感想を述べたいと思います。
 この本から日本の「外交」に関して私が得られた唯一の収穫は、外務省担当記者が(国内政治を担当している)各メディアの政治部の記者であって外信部の記者でない(55??56頁)、という知識が得られたことです。
 そいつにはふつつかながら気がつきませんでした。
 それが事実であるとすれば、日本の「外交」に関する記事・論説の多くは国際問題についての識見がほとんどなく、英語の力にも乏しい記者によって書かれているわけであり、これらの記事・論説のクオリティが総じて極めて低いのも当然であると腑に落ちました。(なぜ「外交」であって外交ではないのかは、後で分かります。)
 得るところはそれくらいしかないのですから、国際問題に関心のある皆さんにはこの本を読むことをお勧めできません。
 ただ、この本には、私がかねてから口を酸っぱくして指摘してきた、日本の政治家の堕落ぶりが、日朝交渉を材料にビビッドに描かれている(注1)ので、日本の「外交」ではなく、そちらにご関心のあるむきは、斜め読みされるのも悪くないでしょう。

 (注1)実はこの本には、外務官僚の堕落・無能ぶりも描かれているのだけれど、一般論ならともかく、こと日朝首脳会談に関する限り、重村氏の筆致には承伏しがたい部分が多い(後述)。

2 私が一番首をかしげた点

 私が最も首をかしげたのは、タイトル(「外交敗北」)からもうかがえる、この本の最大のテーマです。
 日本政府は二度の日朝首脳会談等の結果、わずか12万5千トンの食糧と7百万円相当の医薬品を北朝鮮に供与しただけ(
http://www.hanknet-japan.org/data/05_01_02a.html
。9月19日アクセス(以下同じ))(注2)で、拉致被害者5人の永住帰国とその家族8人の来日・永住をかちとった上に、北朝鮮の金正日体制の悪者イメージを国内外に広めることができたのですから、これはどう考えても日本の「外交」の大勝利であって「外交」の敗北とは言えないからです。

 (注2)重村氏は食糧支援にだけしか言及していない(130、171頁)。

 重村氏は、日本政府が、米ブッシュ政権が対北朝鮮宥和政策に反対であることを知っていて極秘裏に日朝国交回復に向けての北朝鮮との事務交渉を行い、日朝首脳会談の実施を決め、その後でそれを一方的に米国政府に通知したことで、日米同盟を危機に陥れたとし、それが敗北だ、というのです(30??46頁)。
 しかし外務省は、2002年8月27日に、東京でアーミテージ米国務副長官とベーカー駐日米大使(いずれも当時)に対し、平壌で日朝首脳会談が行われる3週間も前の未公表時点(注3)で、そのことを通知しており(43頁)、小泉首相が9月12日にニューヨークでブッシュ大統領に会い(30頁)、改めてそのことを話題にするまでの間には、日米両政府間で十分調整が行われたはずです。

 (注3)公表したのは8月30日(22頁)。

 小泉首相が、かねてから「拉致問題の解決なくして<北朝鮮との>国交正常化なし」というスタンスであること(244、249頁)は当然伝えられたでしょうし、日朝首脳会談において合意され、発表される予定の平壌宣言の案の骨子についても米国政府に伝えられたはずです。
 具体的には、この平壌宣言中には、「双方は朝鮮半島の核問題の包括的な解決のために、該当するすべての国際的合意を順守することを確認した。」、「双方は、日本側が朝鮮民主主義人民共和国側に対して国交正常化後、双方が適切とみなす期間にわたって・・<各種経済協力>・・が実施されることがこの宣言の精神に合致するとの基本認識のもと、国交正常化会談で経済協力の具体的な規模と内容を誠実に協議することにした。」という条文があり(
http://www.dprknta.com/polotics/il-cho.html
)、北朝鮮に核に係る国際的合意を遵守させるを約束させる一方で、国交正常化以降にしか日本は北朝鮮に経済協力を行わないことを説明したはずです。
 つまり、米国は、北朝鮮への経済協力は日朝国交回復が前提であり、その日朝国交回復は、拉致問題が解決すること、かつ北朝鮮が核に係る国際的合意を遵守すること、が前提条件であると受け止めたはずなのです。
北朝鮮が、ジュネーブ合意に反して核開発を行い、濃縮ウランの計画を進めているのをしぶしぶ認めたのは2002年10月4日に平壌でケリー米国務次官補(当時)に対してでしたが(79??84頁)、8月までには米国はその状況証拠をつかんでいたことが、ボルトン米国務次官(当時)が8月26日に東京での記者会見で、「北朝鮮がジュネーブ合意を・・遵守していると確認できない」と述べていた(41頁)ことからも分かります。
日朝首脳会談開催を知らされる前から、米国政府は日本政府に対し、近々北朝鮮の核開発の証拠を提示するつもりでいて、開催を知らされた後も、証拠さえ日本政府に提示すれば、その時点で日朝国交回復交渉にストップをかけられる、と判断していたと考えるのが自然です。
そうである以上、北朝鮮側から拉致問題で何らかの情報開示がなされる・・金正日体制の恥部の一つが暴露される・・と日本政府から聞かされていた日朝首脳会談にゴーサインを出しても何ら問題がない、と米国政府は判断したと考えられるのです。
私が言いたいのは要するに、二度の日朝首脳会談等の日本の「外交」についても、それが米国の承認の下、米国の対北朝鮮政策の一環として行われたと考えるべきである、ということです。
そもそも重村氏には、日本は米国の保護国であって(注4)外交自主権などなく、従って米国の意向に基本的に沿った外交、すなわち「外交」しかできない、という根本的な認識が全く欠けています。

(注4)軍隊が存在せず・・自衛隊があるではないかとおっしゃる読者は私の過去の関連コラムを熟読して軍隊との違いを納得されたい・・、諜報機関も存在しないからこそ、日本にとっては日米安保条約という米国による日本保護条約が不可欠であり、この条約の下で日本は紛れもない米国の保護国なのだ。

 そんなことは、少なくとも政治家や外務・防衛・旧大蔵・旧通産官僚で日米関係に携わった人々にとっては暗黙の常識です。その常識を欠く重村氏は、これら政治家や官僚のただ一人とさえ腹を割った話をできる関係を構築していないという点で、(かつての)新聞記者としても国際問題研究者としても、いささか問題なしとしない、ということになります。
 これくらいにしておきましょう。
 米国の承認の下で行われた二度の日朝首脳会談等の日本「外交」は、北朝鮮に大敗北をもたらしたのであり、日本の小泉政権に対するブッシュ政権の覚えは一層めでたくなったのです。

(続く)