太田述正コラム#1418(2006.9.24)
<タイのクーデター(その1)>

 (太田述正コラムの購読者数が、有料化後の7月11日時点の1468名、8月11日時点の1462名から9月11日時点の1464名、と安定的推移をしてきていたところ、この10日間ほどで、1453名へと一挙に減り、ブログへのアクセス数も低迷を続けていることから、緊急テコ入れのため、無料配信は週6回まで、という方針を変更し、週7回以上の配信を当分の間、行うことにしました。有料配信週1回以上、という方針は変わりません。有料読者の方々のご理解を求めます。)

1 始めに

 タイで9月19日、タクシン(Thaksin Shinawatra)首相が国連総会出席のためにニューヨークに滞在している時に、クーデターが起き、軍部が1992年以来14年ぶりにタイの権力を掌握しました。
 これは、立憲君主制(1932年??)下のタイにおける18回目のクーデター(失敗したものも含む)であり(
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/09/20/AR2006092000296_pf.html
。9月22日アクセス)、タクシン氏がクーデター計画を事前に察知し、9月20日夜に首相退陣を要求する市民団体の集会が予定されていたのに合わせ、首相支持の住民や警官隊を動員して集会参加者との衝突状況を作り出し、混乱収拾を名目に非常事態を宣言して権力維持を図るとのシナリオを描いたのに対し、ソンティ(Sonthi Boonyaratkalin)陸軍司令官ら軍部が、その数日前に非常事態宣言の情報を入手し、宣言が予定された前夜(19日)というぎりぎりのタイミングを選んでクーデター決行に踏み切った、ということのようです。
 (以上、特に断っていない限り
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/news/20060924k0000m030139000c.html
(9月24日アクセス)による。)

2 クーデターへの反応

 タイ国内ではクーデターを歓迎するムードが強く、9月20日にタイで実施された世論調査によれば、実に84%のタイ国民がクーデターを支持しています(注1)。(
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/09/20/AR2006092000296_pf.html上掲)。

 (注1)もっともこの世論調査は、調査対象が首都バンコックに偏っている、と評されている。
     実際、都市の貧民層や人口の80%が住む、その大部分が貧困地帯であるところの農村の住民の間でのタクシン人気は、今なお根強いものがある(
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/09/23/AR2006092300372_pf.html
。9月24日アクセス)。

 また、ソンティが仏教国タイ初のイスラム教徒たる陸軍司令官であって、かねてよりタクシンの、タイ南部のイスラム反乱分子に対する強硬な対処方針に反対し、対話を主張していたこともあり、イスラム反乱分子の一派の亡命中の幹部は、クーデター歓迎の意向を示しています
http://www.cnn.com/2006/WORLD/asiapcf/09/21/thailand.coup/index.html
。9月22日アクセス)。
 他方、米国は、クーデターを非難し、これは民主主義の後退であるとして文民政府が復活するまでタイとの自由貿易協定締結交渉を中止すると発表し、EUは軍部が選挙で成立した政府に権力を返還するように求め(
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/09/20/AR2006092000296_pf.html
前掲)、アナン国連事務総長も、選挙の可及的速やかな実施を求めています
http://www.cnn.com/2006/WORLD/asiapcf/09/21/thailand.coup/index.html上掲)。

3 フィリピンとの類似性

 タイとフィリピンは、片や仏教国、片やカトリック国ですが、同じ東南アジアの国であり、どちらも貧富の差が激しく(注2)て中産階級の層が薄く、かつ国内に少数派のイスラム反乱勢力を抱える、という共通点があります。
 タイで、貧者の味方というイメージを掲げ、自分のつくった党を2001年の議会選挙で勝利に導き、首相に就任した新興成金のタクシンが、その「腐敗」をとがめられてクーデターで失脚したという軌跡は、フィリピンで映画俳優のエストラダ(Joseph Estrada)が、やはり貧者の味方というイメージを掲げ、1998年の大統領選挙に勝利し、2年半ちょっとで、大統領の「腐敗」を批判する群衆蜂起にみまわれ、軍が群衆側に立ったことで失脚させられた軌跡と重なります(
http://www.guardian.co.uk/Columnists/Column/0,,1878410,00.html
。9月23日アクセス)。

 (注2)タイの富者はほとんどが首都バンコックを基盤にしている(
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/09/20/AR2006092000296_pf.html
上掲)のに対し、フィリピンの富者は大土地所有者達で農村を基盤にしている(典拠省略)。

 「階層分化を前提にすると、民主主義は、有能で財産と教養ある上流階層を犠牲とする、無知で無能で貧乏な人々による支配以外のなにものでもないこと」から、個人主義のアングロサクソン文明は、自由主義的ではあるけれど、本来的に反民主主義的文明である、と申し上げてきたところです(コラム#48、91等)。
 英国等のアングロサクソン世界では、実際には民主主義化の過程で、心配されたような貧者による富者の専断的支配は起こらなかったのですが、タイやフィリピンでは、貧者の支持で権力を掌握した首相や大統領の出現に富者の側が猜疑心を募らせ、富者が軍を使って首相や大統領を失脚に追い込んだわけです。

4 国王というワイルドカード

 では、タイとフィリピンの政変の根本的な違いは何か?
 タイには国王というワイルドカードが存在し、国王が富者の側に立って、軍の影響力行使に暗黙の同意を与えた、という点です。

(続く)