太田述正コラム#1420(2006.9.25)
<佐藤優の「国家の罠」(その2)>

 (誤解が無いように付言しておく。
 橋本内閣以降の日本政府の基本方針は、4島とも日本に主権ありとロシアに認めさせた上で2島を先行して返還させる形で日露平和条約を締結するという、いわゆる2島先行返還論であるところ、田中真紀子は外相就任会見で、これをかつての(彼女の観念の中では田中内閣当時の)4島とも日本に返還させた上で日露平和条約を締結するという旧来の基本方針に戻す意向を表明するという一回目の大チョンボをやらかした(65頁、50??51頁)(注5)。私は、田中親子の4島一括返還論はもちろん、現在の政府の2島先行返還論もまた無理筋だと言っているのだ。)

 (注5)外相当時の田中真紀子のその他のチョンボについては、115頁の表参照。なお、私の田中真紀子外相論(小泉真一郎首相論を兼ねる)については、コラム#15参照。
 
 それから、ロシア、具体的には北方領土に対する経済援助によって日本に有利な形で北方領土問題の解決を図る、というやり方も愚劣きわまりないとしか言いようがありません。
 佐藤は、三井物産の社員の「軍事力をもたない日本としては、経済に支えられた外交しか選択がない」という言葉を肯定的に引用しています(190頁)が、私も同感です。
 問題は佐藤に、「経済に支えられた外交」、すなわち日本「外交」でもって、領土問題を日本に有利な形で解決を図ることなど不可能だ、(いわんや前述したように日本に理のない領土問題をや、)という認識がないことです。
 佐藤は、「ロシアではある種の問題は、官僚レベルでは絶対に解決しない。その中に、戦争と平和の問題、領土問題などが含まれる」と認識している(185頁)のですから、日本「外交」の守備範囲であるところの、官僚レベルで解決しうる経済問題の優先順位がロシアでは低いことは自覚していたはずです。
 そうである以上、軍事力を持たず、ロシアの経済安全保障に関わるような天然資源を持っているわけでもない日本が、平和条約がらみの領土問題、(しかも、何度でも繰り返すが日本に理のない領土問題、)で経済援助をエサにロシアに譲歩させることなど不可能である、という認識を佐藤は持ってしかるべきだったのです(注6)。

 (注6)私は、1956年の日ソ共同宣言で、ソ連は平和条約締結時の2島返還を約束したというのに、その後その約束を反故にしたのは、オホーツク海地域が、その後ソ連の対米第二撃核戦力たる核弾道弾搭載原子力潜水艦を潜ませる聖域となり、このこととも相まって、米国から見て同地域が、東西熱戦勃発時の有力反撃地域となった(コラム#30等)ためだと考えている。オホーツク海地域がソ連の安全保障上かくも枢要となった以上は、2島といえども日本に返還することは、この地域の防御をそれだけ困難にすることから、返還する約束を撤回した、ということだ。
     東西冷戦が終焉を迎え、ソ連が崩壊してから、ロシアが日ソ共同宣言のラインまで戻ることを示唆するようになったのは、欧米等が敵でなくなった以上、この地域が安全保障上枢要でははなくなったからだ、ということになる。
     とはいえ、領土問題を経済問題より重視するロシアの姿勢に変化はない。その理由として、ロシアにおける、領土が広いことが軍事安全保障に資するという帝政ロシア時代以来のオブセッションに加えて、領土が広いことが鉱物資源や動植物資源等の確保、すなわち経済安全保障につながるという新しい観念が生まれたことが挙げられよう。

 ロシアへの自由民主主義と市場経済の定着を図るという名目で大々的な経済支援をロシアに行い、その結果として領土問題が進展することに期待する、ということであればまだしも、わが外務省は、経済的に困窮している北方領土のロシア人住民に対し、経済援助(人道支援)を行うことによって彼らを親日にするとともに日本に依存させる・・そのためにも、ロシアの北方領土「不法占拠」を助長するような恒常的なインフラ整備は行わない・・ことによって、北方領土返還の資とする、というみみっちい政策を推進することにしたのです(162??163頁、169頁)。
 その結果は、北朝鮮への「人道」支援と大差なく、ドブにカネを棄てただけのことであり、ロシアからは、先般の「不法」操業漁船への銃撃事件といった形での強烈な返礼を受けるありさまです。
 この愚劣な政策に、佐藤が疑念を抱いた形跡もまた、皆無です。
 一層救い難いのは、日露の領土問題の解決ないし平和条約の締結など、日本「外交」全体の観点からは、とるに足りない案件である、ということに佐藤が全く気付いていないことです。
 その証拠が、この本の中に、米国がただの一度も登場しないことです。
 最近何度も繰り返して恐縮ですが、日本は米国の保護国であり、日本に外交自主権はありません。その日本「外交」の特定案件に関し、米国にお伺いを立てたり、米国から指示されたり、という場面が全くないということは、当該案件が、日本「外交」の基本に関わらない雑魚案件であることを物語っているのです(注7)。

 (注7)これは冷戦終焉以降の話であり、冷戦時代はそうではなかった。北方領土・日ソ平和条約問題は、宗主国米国の関心事項であり、従って日本「外交」の基本案件の一つだった。日本に北方領土問題の提起を促したのも、2島返還での決着に反対したのも米国であり(典拠省略)、これは、南樺太及び千島列島の帰属が国際法上未決着である上、北方領土を抱えるというソ連の弱点を衝いてソ連に米国がオホーツク海地域に強い関心を抱いていることを示し、心理戦をしかけたもの・・ソ連が欧州を攻めれば、第二戦線を開いてオホーツク地域を米国が占領し、南樺太と千島列島は永久にソ連に返還しないことを匂わせることによってソ連を抑止したもの・・と私は考えている。

 そんな雑魚案件の進展に、佐藤は無数のルール違反を犯してまでして全身全霊を注ぎ、その挙げ句、勤務先の外務省から裏切られ、刑事被告人となり、外務省から事実上追放されてしまったことに対しては、佐藤の限界のしからしめたところとはいえ、お気の毒にとしか言いようがありません。

(続く)