太田述正コラム#1563(2006.12.12)
<ポロニウム殺人事件の実行犯ほぼ判明>

1 始めに

 「ポロニウム210が簡単に手に入る(注1)<以上>、ポロニウム殺人事件は、たとえ捜査にロシア当局の全面的な協力が得られたとしても、迷宮入りの可能性が大ですね。」(コラム#1547)と申し上げた(注2)ばかりですが、私の予想に反して、実行犯がほぼ割れてしまいました。

 (注1)簡単に買うことができるポロニウム210を用いてテロリストがダーディーボンブを造ったりすることを防止すべく、米国の核規制委員会(Nuclear Regulatory Commission)とウィーンのIAEAは、ポロニウム210の流通に対する監視の強化を検討している(
http://www.nytimes.com/2006/12/10/world/europe/10nuke.html?pagewanted=print
。12月10日)。
 (注2)12月10日付のロサンゼルスタイムスは、仮にポロニウム殺人事件が迷宮入りしたとしても、この事件の本質は、殺されたリトヴィネンコが、著名なジャーナリストであったポリツコフスカヤ女史殺人事件を追っており、ロシアではプーチンが大統領に就任した2000年から現在までに21名のジャーナリストが殺され、2名が行方不明になり、320名が襲撃を受けた、ということだ、とロシア政府犯人説をにじませた社説(
http://www.latimes.com/news/opinion/la-ed-russia10dec10,0,6395203,print.story?coll=la-opinion-leftrail
。12月11日アクセス)を掲載した。

2 急転直下絞られた下手人

 そこへ、12月10日にドイツの捜査当局から、下手人は、11月1日にロンドンでリトヴィネンコが会ったコヴトゥン(Dmitry Kovtun。41歳)(注3)である可能性が高い、という発表が為されたのです。

 (注3)コヴトゥンは、軍学校(後述)卒業後、チェコスロバキアとドイツで軍関係ないし諜報関係の任務に就き、その後ドイツで12年間過ごし、ドイツ人女性と結婚した。離婚し、現在はロシアに戻りビジネスコンサルタントと称している。

 コヴトゥンは、10月16日にソ連の軍学校(Supreme Soviet Higher Military Command School)同期生でKGB歴のあるルゴヴォイ(Andrei Lugovoy)(注4)によって初めてリトヴィネンコに紹介され、後少なくとも2回同じメンバーで会った後、モスクワに帰り、モスクワからハンブルグに10月28日にやってきたのですが、その時空港から乗ったBMWからも、また、29日に彼が泊まった元義母の家からも、30日に訪れた外国人管理局で彼が記入したファイルカードからも、31日に泊まった元妻の家で彼が寝たソファからも、ポロニウム210らしき放射能が検知されています。

 (注4)リトヴィネンコとルゴヴォイは10年来の知り合いであり、ロシア人大富豪で前オリガーキーであったベロゾフスキー(Boris A. Berezovsky)と関わりが深い。

 コヴトゥンが11月1日にロンドンに赴いたドイツの民航機からは放射能が検知されていませんが、コヴトゥンがシャワーを浴びていた可能性が指摘されており、また、その後この民航機の内部がクリーニングされていることも判明しています。
 ロンドンでは、コヴトゥンは、まず、ルゴヴォイと、やはり上記軍学校でこの二人の同期生であり、かつKGB歴のあるソコレンコ(Vyacheslav G. Sokolenko)(注5)と会った後、ルゴコフと二人でリトヴィネンコに会ったのですが、同じ日に、その後ソコレンコもリトヴィネンコと会ったという未確認情報もあります。

 (注5)ルゴヴォイとソコレンコは、時期は少し違うが、KGBで共産党上級幹部を警備する第9部に勤務し、ソ連崩壊後もFSBにおいて、そして独立機関において、同種の勤務を続けた。その後、二人とも退職して、民間警備会社関係業務に従事している。ソコレンコは、ロンドンに来た主目的はサッカーの試合観戦だと言っている。

 コヴトゥンは12月7日にモスクワで入院し、ポロニウム210に冒されており、重篤説も流れています。

3 やっぱり怪しいロシア政府

 ロシア政府は捜査に非協力的です。
 まず、コヴトゥンがモスクワからハンブルグに来たエアロフロート機がポロニウム210で汚染されていたかどうか、ロシア捜査当局は明らかにしようとしていません。
 また、ロシア捜査当局は、コヴトゥンを犯罪被害者としか見ていません。
 コヴトゥンは必ずしも重篤ではないという情報もあり、入院は、英国やドイツの捜査当局にコヴトゥンと接触させないためとも考えられます。
 それに、かつてロシアの諜報機関にいた者は、辞めてからも諜報機関との関係は切れないとされています。特にロシアの民間警備会社は諜報機関と密接な関係を維持していることで知られています。
 ルゴヴォイは、英国捜査当局との接触を回避し続けていますが、これもロシア当局の意向を受けたものとも考えられます。
 (以上、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/12/10/AR2006121000562_pf.html 、
http://www.nytimes.com/2006/12/11/world/europe/11spy.html?ref=world&pagewanted=print。(どちらも12月12日アクセス)による。)

4 感想

 事件の手がかりをあらゆるところに残すというドジな犯行をコヴトゥンにやらせたロシア政府当局ないしロシア政府関係者のおかげで、もともとギクシャクしていた英露関係だけでなく、密接であった独露関係までおかしくなりかねない展開になってきました。
 これからのプーチン大統領の出方が見物です。