太田述正コラム#1569(2006.12.15)
<ベレゾフスキー対プーチン(その4)>
 

 そして陰謀論者は、米国は、ロシアの経済を破綻させることによって、地政学的観点からは、ロシアが二度と米国の覇権を脅かす存在にならないようにすると同時に、NATOをかつてのソ連の領域にまで拡大させることを可能ならしめたし、かつ、純粋に経済的観点からは、ロシアが高付加価値産業を持つ有力な競争相手になることを妨げ、ロシアをして、鉱業、とりわけ化石燃料の掘削と欧米への輸出、に特化した第三世界的な経済の国へと零落させた、と主張するのです(
http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article491上掲)。

 さて、私はかねてより、米国は積極的な陰謀ができるような国ではない、と言い続けてきました。
 米国の大統領が、特定の外国の運命を左右するような陰謀を企てたとして、かかる陰謀を実行に移す過程で沢山の人々がこれに関わることになるはずですが、米国は、報道の自由が保証され、メディアが鵜の目鷹の目で特ダネをモノしようとしている国なのですから、秘密が早晩ばれることは必定であり、陰謀が陰謀でなくなってしまうのです。
 ところが、ソ連崩壊は1991年のことですから、15年も前の話であるところ、そんな頃の陰謀がいまだに米国のメディアによって暴露されていない、ということは、そんな陰謀などなかった、ということなのです。
 なお、陰謀論者が持ち出している戦後直後の古証文など、もはや時効ですし、15年前のウォルフォヴィッツなど、ポリティカルアポインティーの中堅程度の存在であり、そんなウォルフォヴィッツの当時の発言など、何の根拠にもなりはしません。
 そもそも、ロシアにカネを出し、アドバイザーを送り込んだのは米国政府・諸機関・財団・教育機関という多岐にわたる組織であり、米国政府がこれら組織をすべて一糸乱れずコントロールしていたなんて、諜報機関関係者が牛耳るプーチン政権下のロシアじゃあるまいし、およそあり得ないことくらいお分かりでしょう。
 要するに、当時の米国民は、落ちぶれ、人口が半分に減少したソ連とでも言うべきロシアを、一挙に米国流の自由民主主義と資本主義の国へと作り替えるべく、上も下も、はち切れんばかりの善意を持って、ロシアに押しかけ、全く意図せざる結果として、ロシアを壊してしまい、ロシアの大部分の国民に塗炭の苦しみを与えてしまった、ということなのです。
 
 こんな思いをさせられた大部分のロシアの国民が、自由民主主義と資本主義そのものに幻滅し、ソ連時代を懐かしみ、かつ、自分達がひどい目に遭っていた時に、我が世の春を謳歌していたオリガーキーらに憎悪の念を抱くに至ったことは、当然と言えば当然でしょう。
 だから、大部分のロシア国民は、自由民主主義を骨抜きにして強いリーダーシップを発揮し、ベレゾフスキー等のオリガーキーにリースしていた旧国家資産を国家の手に取り戻して国家資本主義的体制を構築するとともに、これらオリガーキーを収監、あるいは追放したプーチンに拍手喝采を送ったのです。

4 ソ連の崩壊という悲劇

 このように見てくると、ソ連が崩壊したことは果たしてよかったのか、という深刻な疑問が生じてきますね。
 そう、コーエンは、ソ連が崩壊したのは悲劇だった、と主張しています(注2)。

 (注2)ソ連崩壊の9ヶ月前に実施された世論調査では、ロシア国民の76%はソ連が維持されるべきだと考えていた。

 すなわち、コーエンは、ソ連崩壊は、ゴルバチョフ(Mikhail Gorbachev。1931年??)による政治的・経済的改革の性急さ、エリティンがゴルバチョフとの権力闘争に勝利するために、ゴルバチョフが国家元首であったソ連を、その後のことを何も準備しないまま崩壊させようとしたこと、ソ連の官僚エリートたるノメンクラトゥーラ(nomenklatura)が国家資産の護持より掠奪に食指を動かしたこと、によって生じたとした上で、このソ連崩壊によって、漸進的、コンセンサス的でトラウマを残さない形で、従ってより実りある形で低コスト的にロシアを民主主義化し近代化する、という歴史的機会が失われてしまったというのです。
 (以上、
http://www.guardian.co.uk/comment/story/0,,1970752,00.html
(12月13日アクセス)、及び
http://www.nytimes.com/books/00/10/08/reviews/001008.08kaplant.html
上掲、による。)

(完)