太田述正コラム#1687(2007.3.10)
<アングロサクソンの起源>

 (本篇は、情報屋台用のコラムを兼ねています。)

1 始めに

 昨年、オックスフォード大学のオッペンハイマー(Stephen Oppenheimer)教授(
http://www.bradshawfoundation.com/stephenoppenheimer/
)が、 The Origins of the British: A Genetic Detective Story, Carroll & Graf という劃期的な本を上梓し、遺伝子学(Y染色体(Y-chromosomes )とミトコンドリア(mitochondrial) DNAの分析)にのっとり、言語学・考古学・古文献をも参考にしつつ、アングロサクソンの人種的・語学的起源論におおむね決着をつけました。
 この本で展開されている教授の説をご紹介しましょう。
 なお、オッペンハイマー教授は、現代人類は、東アフリカから、せいぜい数百人が旅立ち、北アフリカとそれ以外の全世界に散らばって行ったと主張した『エデンの東(East of Eden。1998年)』や、白色人種(Caucasoids)はインド亜大陸の北西部から西ユーラシア大陸へ、黄色人種はインド亜大陸の北東部から東ユーラシア大陸・オセアニア・太平洋・アメリカ大陸・グリーンランドへと散らばって行ったと主張した『本当のイブ(Out of Eden/The Real Eve)』を書いたことで有名な学者です。
(全般的に、
http://www.nytimes.com/2007/03/05/science/05cnd-brits.html?_r=1&hp=&oref=slogin&pagewanted=print
(3月6日アクセス)、
http://www.nytimes.com/2007/03/06/science/06brits.html?pagewanted=print
(3月7日アクセス)(以上の二つの書評は、タイトルは違うが中身は同一)、
http://www.amazon.co.uk/Origins-British-Genetic-Detective-Story/dp/1845291581
http://www.bradshawfoundation.com/origins_of_the_british.html
http://www.prospect-magazine.co.uk/article_details.php?id=7817
http://en.wikipedia.org/wiki/Stephen_Oppenheimer
http://www.telegraph.co.uk/connected/main.jhtml?xml=/connected/2006/10/10/ecbrits10.xml
http://www.wilsoncenter.org/index.cfm?fuseaction=wq.essay&essay_id=216048
http://www.dailymail.co.uk/pages/live/articles/news/news.html?in_article_id=440748&in_page_id=1766&ito=1490
http://ml.ci.uc.pt/mhonarchive/archport/msg01018.html
(以上、3月10日アクセス)によっ。)

2 オッペンハイマーの説

 氷河時代には現在のブリテン諸島のあたりは、氷河で覆われて人間は南方に待避したため、4,000年間にわたって誰も住んでいなかったが、氷河期が終わりかけた約16,000年前から約7,500年前にかけて、現在のイベリア半島から、バスク(Basque)系の人々が、まだ陸続きであった英仏海峡を通って(まだ諸島に分かれていなかった)ブリテン諸島のあたりへ、三々五々戻ってきた。
 この段階では、彼等は狩猟採集生活を送っていて、(印欧語族に属さない)バスク系の言葉を用いていた。
 次に、約6,000年前から約3,700年前にかけて、(既に約7,500年前に)英仏海峡によって大陸から隔てられたブリテン諸島へ、船で、南フランスから北スペイン経由で、ケルト人が農業を携えてアイルランド島及び大ブリテン島西岸に渡来した。
 渡来したケルト人の数は少なかった(注1)が、農業とケルト系の言葉がこれらの地域に普及した。

 (注1)遺伝子分析を行うと、ケルト系は、北ウェールズの人々の約三分の一、残りの大ブリテン島の人々の10%未満(うち南岸の人々の10%)を占めているが、アイルランド島の人々のわずか4%を占めるに過ぎない。だから、アイルランド島の人々はケルト系とは言えない。

 その後しばらくしてからローマの侵攻以前までの間に、ベルギーあたりから、ベルガエ(Belgae)というゲルマン系の人々が少数、大ブリテン島の東部沿岸と南部沿岸に渡来し、これら地域にゲルマン語の一種のベルガエ人の言葉が普及した。これと平行して、スカンディナビア地方から同じくゲルマン系の人々が、大ブリテン島の東部(のシェットランドからアングリアにかけて)に渡来した(注2)。彼等の間にもまたベルガエ人の言葉が広まった(注3)。

 (注2)遺伝子分析を行うと、この時期に渡来したゲルマン系は、大ブリテン島の東部及び南東部の人々の10??19%を占めている。
 (注3)これが英語であるわけだが、どうしてベルガエ人の言葉がイングランド全体に普及したのかは、今後の解明を待ちたい。なお英語は、ゲルマン語の三つの系統中の西ゲルマン語(ドイツ語・オランダ語)から派生したのではなく、ゲルマン語の独立した四番目の系統であると認識すべきだ。いずれにせよ重要なことは、英語は、アングル・サクソン・ジュート人が持ち込んだ言葉ではないことだ。だから、ローマが侵攻した時点では、イングランドの人々は既に英語を用いていたことになる。

 遺伝子分析を行うと、現在のアイルランドの人々の88%、ウェールズの人々の81%、コーンウォールの人々の70%、スコットランドの人々の70%、イングランドの人々の68%がバスク系の人々であることが分かる。つまり、ブリテン諸島全体では、約四分の三の人々がバスク系であり、うちイングランドでは、約三分の二の人々がバスク系だということだ。
 バスク系の人々より後でブリテン諸島に移住ないし侵攻してきたグループは、いずれもそれぞれ5%以下のウェートしか占めていない。
 最新の説によれば、4世紀に、アングル・サクソン・ジュート人(=アングロサクソン人。ただし、その大部分はアングル人)は大ブリテン島の総人口が約200万人であったところにわずか約25万人がやってきたにすぎない(注3)。また、1066年のノルマン人の侵攻に至っては、せいぜい約1万人の規模でしかない。
 しかし、この説ですら、アングル・サクソン・ジュート人(アングロサクソン人)のウェートを過大に見ている。私見では、彼等はブリテン諸島の人々の5%しか占めていない。(ただし、アングル人が最初に住み着いたノーフォークのいくつかの地方では15%を占める。)累次のバイキングの侵攻でブリテン諸島に住み着いた人々のシェアの方が大きいくらいだ。
 だから、アングロサクソン人は実はアングロサクソン人(=イングランド人≒(ウェールズ人を含んだ)イギリス人)ではなかったし、英語(=イングランド語)もアングロサクソン語ではなかった、という舌をかみそうな話になる。

3 感想

 人種的に同じなのに、アイルランド等の人々が、自分達はケルト系であるという(誤った)認識から、イングランドの人々と400年にわたって角突き合わせてきたのは馬鹿みたいな話ですね。
 やはり、言語こそ文化・文明の核心部分であり、アイルランド等の人々の間にケルト系の言語が普及し、イングランドの人々の間にゲルマン系の言語が普及したことが、悲喜劇の始まりだったということなのでしょう。
 ところで、両者の祖先はどちらも基本的にはバスク系であったわけですが、現在のバスクの人々は、自分達以外の文化や言語には目もくれない、頑固で柔軟性に欠ける人々である(アマゾン前掲)というのに、アイルランド等とイングランドの人々は実に柔軟ですね。
 これは恐らく、遠路はるばる歩いてブリテン諸島のあたりにやってきたのは、バスク系の人々の中でも進取の気性に富んだ人々であったからでしょう。
 結論的に申し上げれば、イングランドの人々の大半は印欧語族に属さないバスク系を祖先としているところの、(バスク地方を除く)欧州大陸の人々とは全く異質な人々であり、その彼等がゲルマン系の言語・文化を継受したことによって、化学反応が起こり、アングロサクソン文明が生誕し、その文明が現在、グローバルスタンダードとなって、世界を覆っている、ということになるわけです。