太田述正コラム#2272(2008.1.1)
<ブット暗殺(その5)>
<バグってハニー>
 おめでとうございます。
 ちょっと気になる記事があったのでリンクだけ貼っときます。
パキスタン、瀬戸際に ひび割れた国はどう揺れる――フィナンシャル・タイムズ
2007年12月29日(土)20:36
http://news.goo.ne.jp/article/ft/world/ft-20071227-01.html
「自爆テロ犯の脅しに屈するために生きてきたのではない」ブット元首相寄稿――フィナンシャル・タイムズ
2007年12月29日(土)21:35
http://news.goo.ne.jp/article/ft/world/ft-20071226-01.html
Apres Bhutto: Part 3
by Anatol Lieven
12.28.2007
http://www.nationalinterest.org/Article.aspx?id=16562
 このリーベンというのはFTの元記者だそうです。楽観的な太田先生と違って、記事はいずれも悲観的です。選挙を控えている国で最大野党の党首が暗殺されるというのはどう考えても悪いニュースに聞こえますが。
 それでは、本年がみなさまにとって明るい一年となりますように。
<太田>
 ブットの書いたものは読む気がしません(本日以降のコラム本文をお読みになればその理由をお分かりいただけます)が、ジョー・ジョンソンとアナトール・リーベンのそれぞれのコラムは読ませていただきました。
 私は、「この暗殺は必然であったし、その結果はパキスタンにとって必ずしもマイナスではない、と私は見ています。」(コラム#2262)とこのシリーズの最初に申し上げたところですが、これを楽観論と受け止められるとちょっと違うのであって、上記の二人の言っていることと私の考えは基本的に同じです。
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 次に、「暗殺・・の結果はパキスタンにとって必ずしもマイナスではない」(コラム#2262)と私が見ている理由をご説明しましょう。
 最初に、首相時代のブットの実績です。
 ブットは1988年に首相になります。
 イスラム世界で最初に選挙で選ばれた一国の最高指導者です(注1)。
 (注1)首相になる直前の1986年のインタビューで、「あなたがハク(Zia-ul-Haq)将軍の後釜になれば、イスラム世界で最初の女性たる一国の最高指導者ということになりますね」と聞かれたブットは、「その通りです」と答えた後、13世紀にラジヤ(Raziyya)女王がデリー・スルタン国(Delhi sultanate)を統治したことがあるわね」と訂正した。ちなみに、女王とほとんど同時代人の歴史家は、「この女王は王にふさわしい賢明・公平・寛大といったあらゆる資質を兼ね備えていたが、男達にしてみれば、女性である以上、これらの徳は何の意味もないものと考えられた。結局彼女は男達によって殺害された」と記している。(
http://www.guardian.co.uk/pakistan/Story/0,,2233104,00.html
12月29日アクセス)
 しかしブットは、90年には腐敗していて無能であるとして軍部(の意向を受けた大統領)によって馘首されます。
 1993年にブットは再び首相になりますが、同じ理由で1996年に馘首されるのです。
 (以上、特に断っていない限り
http://www.nytimes.com/2007/12/28/world/asia/28bhutto.html?hp=&pagewanted=print
(12月28日アクセス)による。)
 
 しかも任期中に、彼女はタリバンの生誕と勢力拡大を支援するパキスタン軍の諜報機関の謀略を積極的に支持したとされたと噂されています。彼女は、タリバンにアフガニスタンで権力を掌握させることによって、インドとのインド亜大陸の覇権をめぐる抗争を有利に進めようとしたのではないかというのです。(
http://www.guardian.co.uk/pakistan/Story/0,,2232714,00.html
(12月28日アクセス)、及び
http://www.slate.com/id/2181079/
(1月1日アクセス))
 ところが、彼女はそんなことを軍部がやっていたことは知らされていなかったし、軍部は核兵器の開発状況についても全く教えてくれなかった、そもそもパキスタン軍部が核兵器を開発中であることを1989年に米CIAのブリーフィングで初めて知ったくらいだなどとシラを切り通したのです(注2)(NYタイムス上掲)。
 (注2)2005年のインタビューでブットは首相であった当時、カーン(A. Q. Khan)博士が核技術をリビアや北朝鮮等に売却していることを知らなかったと言っているが、カーンの仲間の証言によれば、ブットは北朝鮮を1990年代に訪問した際、将来パキスタン製の核弾頭を搭載するために北朝鮮のミサイルの設計図を持ち帰っている。
 ある米国の歴史学者は、彼女を「南アジア史上最も無能な指導者の一人」であると酷評しています(ガーディアン上掲)し、イギリスの歴史学者のダリンプル(コラム#1769)は、ブット時代のパキスタン政府に対し、アムネスティー・インターナショナルは、政府に捕らわれた者に係る不審死・殺害・拷問の多さで世界最悪の三本指に入ると非難し、透明性インターナショナル(Transparency Internation)は当時世界で最も腐敗していた三つの国のうちの一つと形容したと指摘しています(
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/story/0,,2233334,00.html
。12月30日アクセス)。
 
 かくも腐敗した無能な統治を行ったブットであったわけですが、一体彼女はどのような人物だったのでしょうか。
(続く)
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太田述正コラム#2273(2008.1.1)
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